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ヒトリゴト。
Let's talk about
your Love.
7/6(金) 【日常話+モータースポーツ話】
ご無沙汰でした。アメリカGPは仕事の都合でパスし、フランスGPは「ながら」でしたが観戦したので何か書こうと思っていたら、PCが壊れました。1月以降のデータが吹っ飛びました。
PC自体は仕事専用にしていたサブがあるのですが、HP更新用のソフトが何も入ってなかったので、各種ソフトをインストールしたり、飛んだデータを回収したり、メインPCで使っていた環境を再構築するのに手間取ってました。ただ、壊れたPCは起動できない状態なので、回収できなかったデータも在り。何が消えたか把握し切れてないってのがいちばん問題かも…。
仕事PCは記憶している単語領域も仕事に特化しているので、暫くは何か書くたびイライラしそうです。
先月、モータースポーツ以外のこと云々と言っていたのは、別途ブログを作って吐き出すようにしました。まだ運営が不安定なので、定期的に更新できるようになったらトップページにリンク張る所存。
実は今、浴衣を手作りしてまして、空き時間はすべて縫い物に注ぎ込んでいる現状です。今月末の花火大会に着て行くつもりなので、ネットどころじゃなくってね…。本格的な裁縫なぞ、高校卒業以来なので(マジで)、間に合うかどうかかなり微妙です。
そんな日常。
■フランスGP雑感
別口の作業をしながらのライブタイミング観戦。時折気が散りつつも、ポイント圏内を走るホンダの1台にはずっと注目していた。
昨シーズンの終わり方を考えれば、たかが1ポイントなぞ何の慰めにも言い訳にもならない。相殺しても評価は限りなくマイナスだ。ただ、シーズン開始前に「方向性を間違えた」という情報を得ていたため、どん底状態の現在も「まあ仕方ないか」と溜息をつく程度の心境で済んでいるし、ともかくもポイントを獲得したことでひとまず安堵した。
スポーツ選手を好きになるとき、私には2通りの「嵌り方」がある。1つは、プレー(ドライビング)そのものに惚れるとき。高いテクニックや心憎い頭脳プレーなどを見せられると、わりと簡単にコロリといく。
もう1つは、プレー以外の点で惚れるとき。生き方や考え方に共感したり、単純にそのアスリートの「何か」――外見や言動など――が気に入ってしまったときだ。この場合、プレーが一流かどうかは全く問題にならない。とにかくその選手がプレーしている姿が見られさえすれば、それでよい。良い成績を上げればもちろん嬉しいが、それはあくまでプラスアルファなのだ。
プレーに惚れ込んだ場合、その選手がもはやそのプレーをできなくなったときの対応は、冷淡だ。単純に、目が行かなくなる。私は過去に数限りないサッカー選手のプレーに惚れ込んだが、未だに(あるいは引退するまで)ずっと好きだったという選手は、案外少ない。ただ、中にはプレーに惚れたものの、気づけばその人の人間性や外見にも嵌ってしまっていたということもあり、その場合はいつまでもズルズルと引きずる。以前、「たった一度のファインプレーで愛し続けることができる」というようなことを書いたけれど、それはこの場合を指している。クリスティアン・ツィーゲがいい例だ。
一方、「プレー以外」で好きになったアスリートの代表例としては、ボリス・ベッカーがいる。私が彼を(選手としてきちんと)知ったのは1995年のウィンブルドンと遅い。テニスを見始めたのがその頃だから、「サーブ&ボレー」というプレースタイルだとか、彼の経歴だとか、何も解っちゃいなかった。ただ、サーブをするときのアップ画面で、「綺麗な眼だなあ。そうか、金髪の人は睫毛も金髪なのね」と思っただけだ。睫毛でスポーツ選手に嵌る人間が、果たして世界に何人いるか。自分でも可笑しくなるが、結局それきり引退した今でもベッカーは私のいちばん好きなテニス選手だったりする。
では、ミヒャエルはどうだったか。
答えは、後者の「プレー以外」。あれだけの成績を収めたドライバーに対して意外かもしれないけれども、私がミヒャエル・シューマッハーというドライバーを知ったとき、彼はまだ1勝しか上げていない「生意気な若造」にすぎなかった。翌年から優勝ラッシュが始まるなど当時は思いも寄らず、ポルトガルGPの2勝目が涙が出るほど嬉しかった。
私がミヒャエルに注目したのは、友人がミヒャエル・ファンだったからだ。だがすぐに、その悪戯っぽく生意気な言動や仕種、強い意志を宿した緑がかった瞳の美しさ、太陽がこぼれるような全開の笑顔に一目惚れした。「可愛くてしょうがない」、それが私が最初に抱いた、彼への想いだった。
当時の私はレースどころか車にも興味がなかったから、ミヒャエルのおかげでレースが面白く感じるようになってきたとしても、ドライビングの良し悪しなぞ解るはずもなく、ミヒャエルの将来性というものも自己判断では全く見当もつかなかった。将来性があるからファンになったのではない。たまたま惚れ込んだ相手が、たまたまチャンピオンになってしまった、そんなかんじだ。
ジェンスも、同じく「プレー以外」で嵌った相手。BBCのインタビューに応える瞳の色と、クソ生意気な発言に、「そうそう、新人はこうでなくちゃ」と笑ったのがきっかけ。だからもう、どんな走りをされようが、どんな情けない成績を出されようが、愛想が尽かせられないのは仕方がない。きっと引退するまで、「しょうがない子だねえ」と零しつつ見守り続ける運命だ。
そう、だから、たかが1ポイント、に私が喜んだのも、当然の結果なのだ。
(まず喜んで、それから「おいおい、こんなとこで喜んでちゃ困るよ」と自分を戒めた、そんな自分の反応を分析)
(ジェンスくん背中が痛いそうですが大丈夫かね。母国だから出たいだろうし、たぶん出るだろうけど、無理はしなさんなよ)
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