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May April March February January 2004


ヒトリゴト。
Let's talk about What you love.

4/26(月)--------------------------------------------------------------------------------

イモラの感想、散文ですが。
ちょっと体調崩してまして、あんまりまともに情報集めてません。今週はぼちぼちいきます。

ちなみに、地上波は一生懸命ミヒャエルとセナを絡めようとしてましたけど、もう吹っ切ってるでしょうと思うのは私だけですか。いろいろ喋れるのは、すでに思い出と化していればこそ、というのが私の見解です。


4/19(月)--------------------------------------------------------------------------------

■一周忌

ちょうど一年前の今夜、でした。大治郎くんが去ったのは。(正確には20日早朝ですが)
仕事帰りにふらりと立ち寄った書店で、青空を背に佇む大治郎の写真を目にして、はっとしました。そろそろだとは思っていたけれど、今日だったんだ、と。冷静に読めるか自信はありませんでしたが、開いてみました。
命日にあわせて出版されたこの本は、生前彼と関わった数多くの人々が大治郎の為人を語ったものです。その数、彼のゼッケンに合わせて、74人。いい本でした。立ち読みしただけで買わなかった理由は、まだ、手元に置いておけるほど割り切れていないから。写真を見たら、やっぱり、涙が出てきちゃいました。

昨年の4月は、ミヒャエルの絶不調にはじまり、大治郎の事故、ポッサム・ボーンの事故、ミヒャのお母様の死と続き、挙句は自宅で祖母が昏倒して救急車で運ばれるという、いま思えばとんでもないことばかりが立て続けに起こった縁起でもない春でした。病院の家族待機室で誕生日迎えるなんて、なかなか体験できるもんじゃありません。
今年は今のところ平和です。このまま何事もなく過ぎてくれることを祈りつつ。

明日から5月6日まで、青山のホンダウェルカムプラザでは、加藤大治郎メモリアル展が開催されます。たぶんおそらく私は行かれないと思いますが。
今年も、モトGPは見ない(見られない)可能性大です。


4/15(木)--------------------------------------------------------------------------------

下記PLAYBOYの記事の筆者、アヒム・シュランク(Achim Schlang)を私はよく知らないが、Amazon.deで検索すると、ミヒャエルに関する著作にぶつかる。記事の一部は、最近流れたこちらの発言(Autosport.com)と被っているが、これはミヒャの公式サイトからの抜粋。さっき行ってみたら、昨日は確かになかった英語版ができていた。(流石にニーズが高かったんでしょうね)
ちなみに、ミヒャの発言にある"モズレーの見解"というのは、こちら(記事中央以降)。
セナの記事を読めばどうしたって悶々と思い巡らすのだが、一方で、不必要に感傷的にはなりたくはないと思う。何をどう惜しもうと、起こってしまったことは覆らないし、私が何をおいても見たいと願った勝負の末は、永遠に知れないままなのだ。確かなことは、あのとき、ミヒャエルが大人になったということ。無心に上を目指すだけの少年の立場から、ひとつの世界を担い引っ張っていく存在へと脱皮したのだということ。
単なる感想や思い出語りではなく、あの日、あの週末に何が起こったのかを纏めたものでは、ティモシー・コリングスの文章が秀逸。これだけの悩み嘆きを抱えながら、あの日、レースを中止しようと働きかけた人はいなかった。ふと、必死に周囲を説き伏せようとしていた2001年秋のミヒャエルのことを思い出した。

■忘れてたわけじゃありませんよ。

今期のジェームズ・コートニーの行方。昨年末時点のインタビューによれば、今年はFポンJGTCを同時に戦いつつ、F1に繋がるようなメーカーの興味を引こうという計画だったらしいが、現在のところ実際に参戦しているのはJGTC(TOMSスープラ)のみ。調べてみたら、FポンのほうはチームNOVAからの参戦予定だった模様で、ところがそのNOVAは今年、JAFへの公式登録(2/13)は済ませているもののドライバー欄は空白で、その後テストも開幕戦も欠場したまま。プレスリリースも出されていないようだ。
記憶違いかもしれないが、NOVAはかつて活動休止を検討したことがあったはず。ムーンクラフトの例(資金難から2003年以降Fポンを撤退、現在はチーム国光と組んでJGTC参戦中)もあるが、日本のレース業界はビジネスとしては成功から程遠い。実際に某GTチームの人と話してみても、規模も体勢もこぢんまりなんてものじゃなかった。
ジャガーJr.の子猫ちゃんズの片割れ、アンドレ・ロッテラーは日本に根付いた感がある一方で、ジェームズのほうはどうにも浮草の雰囲気。先出のインタビューを見ても、今年はオーストラリアに住みつつ日本まで通ってレースをすると言っていて、何だかなぁ、と思ってしまう。
英国で会ったときは、落ちこみやすいアンドレのほうが先行き心配だったのに、3年経ってみたら、立ち直りの早いジェームズのほうが袋小路に嵌っているのだから、人生わからないものだ。


4/12(月)--------------------------------------------------------------------------------

■10年目の感想。

10年前のサンマリノGPが明けた週の、ある朝のことが鮮明に記憶に残っている。真っ青で、吸いこまれてしまいそうな空の深さが怖かった。陽は初夏にしては強かったが、むしろ薄ら寒く感じた。初めての喪失の感覚だった。
人様の記述を見て、PLAYBOYを買いに行った。様々な口が語るアイルトン・セナという男の姿は、10年前には考えもつかなかったほどすとんと心に落ちた。
私はセナが嫌いだった。セナの話など知りたくもなかった。セナがいなくなってからは、自分の罪深さを思い知らされるのが怖くて、敢えてその話題を避けて通った。いつ頃からか、ほんの少しずつ、彼について書かれたものを読むことができるようになってきて、そうして最近、ようやくきちんと、素直に向かい合うことができたような気がする。
セナに関する本を、いまさら読み漁ろうとは思わない。そこに私の知るべきことがさほどあるようには思えないからだ。それでも、もう二度と、彼の話題を避けて通ることはないだろう。ミヒャエルがセナに引き比べられるのを、忌避することもないだろう。

PLAYBOYの記事は興味深く読んだ。ミヒャエルとセナにはよく似た部分と、似ても似つかない所とがある。ふたりの差異を考えることは、それぞれのキャリアを考えることでもある。
中部博氏の発言によれば、セナは「いつも若いときと同じスタイルのレースをやってい」「自己改革をしなかった」。一方ミヒャエルのドライビングはといえば、この10年で随分とつまらなくなった。それはつまり、時流に応じて最も効率のよい走りを選択してきたということだ。無駄を省き、不要な動きは捨てる。ファンにとっては寂しいその現実が、彼を未だ世界の頂点たらしめている。
ライバルの存在も大きい。ピケ、マンセル、プロストといった好敵手たちと丁丁発止渡り合ってきたセナは、"最後のライバル"プロストが引退した年に、「寂しい」と言い残してこの世を去った。舘内端氏は「ひとりぼっち」という言葉を使っているが、それを言うならミヒャエルは、同世代のライバルに恵まれず、いつもひとりぼっちだったといえる。ミヒャエルの目標はいつだって自分自身が定めたものだった。だからたったひとり君臨し続けねばならなくなった現在でも、目標を見失うということがない。ポール・トゥ・ウィンで「楽しかった」と屈託なく笑う。
それから、ふたりの、周囲に対する考え方の違い。プライベートを大切にし、メディアやファンなど"その他大勢"は「ぼくらがどんな人間なのか、少しもわかっちゃいない」のだから「できるのはいつでも自分自身でありつづけること」と考えるところまでは共通している。しかしセナはそこで、「時がたてば本当の僕がわかってもらえるだろう」と期待し、あくまで語り続ける意思をみせる。死の半年前のインタビューでのことだ。けれどミヒャエルの態度には、早くから、どうせ理解してはもらえないのだからと諦めていた節がある。メディアを通して語られる自分と、現実の自分とを、潔いほど切り離して捉えてきた。それはおそらく、94年の、周囲のすべてが自分の敵であるかのようなあの雰囲気の中で確立されたものだったろう。孤独で辛いその経験は、皮肉にも、肥大化していくF1というショーのもたらすプレッシャーから彼を守る役割を果たしてきた、そんなふうにも思うのだ。
「セナが家庭を持っていたら、」と書く人は少なくない。家庭を持ち、子どもを育てていたら、彼は「自己改革」をしただろうか。できただろうか。でも、そうしたら、セナはこれほど強烈に人々の記憶に残っただろうか。考えは尽きない。

ミヒャエルはセナについても固く口を閉ざす。僅かに語られた言葉の中で、私はこれがいちばん好きだ。
「ある晴れた日に、僕はF1に辿りついた。彼と同じサーキットでレースをするために。その日のことはよく憶えている」

セナの死から10年、イモラは今年、その歴史に一旦幕を下ろす。


4/8(木)--------------------------------------------------------------------------------

バーレーンの雑記に一項目追加。ホンダとルノーについて。ほんとうはもっといろんな話を書こうと思っていたのに、ちょっと吹き飛んでしまった。

明日から週末は京都に行っていて留守にします。


4/6(火)--------------------------------------------------------------------------------

相変わらず、このひとは、どの面下げてこんな科白が吐けるんでしょうか。読んでるこっちが赤面しちゃう。

■バーレーンGP

ライブタイミングで見ていて面白かったので、頑張って地上波全部見ました(ちょうど今週は少し仕事の谷間になるので)。音消してたので実況も気にならず、展開そのものを楽しめました(笑)

雑記はまだ途中なのですが、全部書きあがるのを待っていたらいつになるか判らないので、見切り発車→
前からここを見てくださってる方はご存知でしょうが、琢磨について含むところはございません。(むしろかなり好きですが敢えて応援しないで見守ってるだけです)


4/4(日)--------------------------------------------------------------------------------

バーレーンのコース図は昨夜、予選を見ながら確認しました。図で見るとコンパクトな印象ながら、各ストレートエンドで300kphに達するってことは相当エンジンにきつそうです。にしても相変わらず地上波の某実況アナはちっとも「実況」してくれません(笑)。
ルノーのタイムが(ミスしたアロンソはともかく)予想より悪くないのは、きっとダウンフォースをぎりぎりまで削ってきているからではと推測。ポールのミヒャエルにしても、セッティングはベストではない印象。上位でもっとも「走りやすそう」に見えたのはラルフでした。JPMのほうは左コーナーでよっこらしょ、と曲がってるかんじがしました。
それにしても、あの走りでポールを獲るミヒャが凄いのか、周りがだらしないのか、どっちだろう。

■F1Racing 4月号

どうやら今月から日本版復活のようで、そうすると今私が読んでるこの号からってことになるのかな。…なので、詳しいことは書かず感想中心に行きます。
●Great balls of ire
サムソンによるJPMインタビュー。手法がとても面白い。メディアに対して愛想がよくない気分屋のJPMを乗せるのに、彼らが用いた「トリック」は、赤と青のプラスチックのボールの中に質問を隠し入れるというもの。青い玉には答えやすい問いが、赤い玉にはやや挑発的で答えにくい難問が入っており、JPM自身が玉を選んで答える。気難しいと評判のドライバーもこの手法はお気に召した様子で、終始なごやかにインタビューは進んだそうな。
答えのいくつかは、現在発売中の「Number Plus」の記事(ヴァランタン・オベル)に載っているものと被っているが、受ける印象は微妙に異なる。ふたつのインタビューの間にどういう関わりがあるのか、単に同時期に似たような質問をしただけか、それは判らないが。
ラルフを3語で描写しろと言われ、"Quick, intelligent, inconsistent."と述べたのには笑った。いや、ごもっとも(ただし彼はすぐに、「僕は彼を批評するのに相応しい立場にはないけど」と注を加えてもいる)。個人的に気に入った発言は、フェラーリのNo.1-No.2制度について、"Ferrari decided to put all their efforts into Michael, and it's a gamble that has paid off."
フェラーリのチーム体制については、以前から「すべての卵を一つの籠に入れるのは賢くない(ひっくり返せば全て割れてしまうから)」という諺が引き合いに出されるが、それは事実。だから、フェラーリのやり方は確かにギャンブルだったのだ。何度も失敗を繰りかえしつつ、けれど代わりの籠を使っても何故か最後で底が抜けて、結局はいちばん初めの方針どおり、ミヒャエルという籠で彼らは成功した。それはまるで、彼らがすべてを託したドライバーの母国の、サッカーの試合を見ているような結末だった。
●The Acid Test
別名、「あなたの『ミヒャエル後継者度』は幾つ?」
A/B/Cの三択で全50問に答えると、あなたのグランプリ・ドライバーとしての成功確率を教えてくれる。ミヒャエル・ファンとしては、各問いでどの答えを選択すれば『後継者度100%』になれるかが想定できるから、略して『ミヒャエル度』と言ってしまおう(乱暴な。)
答えは5段階評価で、「車になんか乗らないで歩いたほうが身のためです」というのから、「何ぼやぼやしてるんだ、早くフランク・ウィリアムズに電話して売りこみなさい」というものまで。「ミヒャエルにはなれないかもしれないけど、ラルフにはなれるかもね」というのもある。…私ですか。ミヒャ度49点で、「あんまり巧いとは言えないね、少しでも常識のあるチームボスだったら君を乗せようとは思わないだろう。ちょっと短気で信頼できそうにないもの。お家へお帰り」って言われちまいましたさ。
たぶん日本版で取り上げられるでしょうが、ぜひやってみてください。楽しいです。


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