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ヒトリゴト。
Let's Talk about What you like.

12/30(月)-------------------------------------------------------------------------------

■この大莫迦者〜っっ(T T)

誰が…って。私です。昨夜、総集編見損ねました。すっかり素で存在忘れてました。今日、『年末年始のTV番組表(某車会社よりカレンダーとともに頂いたもの)』をぱらぱら捲っていて、29日の日付のところで思いっきり固まりましたよ。
「おかーさま、今日ってなんにちだっけ?」
「30日。」
という心温まる(嘘)会話のあと、しばらく私が再起不能に陥ったことは言うまでもなく。
私が総集編を見るのは、復習と反省のためでもあるので、絶対に逃したくはなかったんですよね。シーズン中ってやっぱりどこか冷静じゃないので、判断を思いっきり誤っていても気がつかないことって結構多いんです。とくに最近は一戦一戦のビデオを録ることはなくなったので、総集編は貴重な映像資料でもあったのでした。あーあ。

■F1Racing(英国版)1月号

先週届きましたが、まだ見出ししか見ていません。
相変わらずミヒャエルの特集組んでますが、ポートレイトの写真に、本当にこの人は優しい眸をするようになったなァとつくづく。それがいいとか悪いとかではなく、ただ、そういうまなざしを見つけると、ふと和みます。何もかもを切りつけるような眼をしていた貴方も恰好よかったけれど。
個人的に面白そうと思っているのは、パトリック・ヘッドとマット・ビショップの対談。正味7ページにおよぶ長編となってます。これは、対フェラーリ追撃陣を探る、という趣向の一環。続けて、マクラーレンのスタッフ解剖が5ページ、ルノー(5ページ)、ミシュラン(2ページ)、その他(苦笑)。
やっぱり秀逸だなと感心したのは、Picture of the Yearの発表でした。ダレン・ヒース(Heath, Darren)の視点  着眼点?  にはいつも意表をつかれます。今回も面白い作品がいっぱい。マシンを芸術的にうつくしく撮る、というよりは、芸術的な発想をもとにマシンを撮っているかんじかな。そんなダレンのオフィシャルサイトはこちら。→
他にはアンソニー・デイビッドソンのインタビュー。彼、F3で何回か会ってちょっと話もしましたけど、レーシングスーツと私服とでかなり印象が違うというのを今回はじめて知りました。

そんなわけで、今年のお正月の友はこれらの記事の読破と、鈴鹿観戦記の仕上げです。…ええ、打ちとめたわけではないです観戦記。ちょっと意図的に一時停止してただけです。いつのまにやら年越しですが…ま、いーや。(よくない。)
それでは皆さま、よいお年を。


12/18(水)-------------------------------------------------------------------------------

■琢磨、BARと3年契約

契約のうちわけは、2003年=テスト&リザーブドライバー、2004年〜=レースドライバー(オプション)というもの。私は確認をとっていないが、BBCおよびAutosportによれば、ジャックは来期のマシンの出来如何で引退するという。琢磨のコメントは更に、「もしかしたら来年だってチャンスはあるかも」と明るい。
"I want to be with a team where my driving ability is the most important consideration rather than other factors," というのが琢磨自身の述べた移籍の理由。
確かに、今のジョーダンは沈みゆく船だ。パッケージも変わり、来期どのくらいの戦闘力を維持できるかは判らない。BARも戦闘力という点ではまだまだだが、少なくともこちらにはホンダが本腰をいれようとしている。目先の利益を捨て、将来を買うのは、手としては悪くない。F1Liveはハッキネン、パニスの例をあげる。
ただし忘れてはいけないのは、ブルツという例もあるということ。ホンダが後ろにいるからといって、うかうかしてはいられない。来年が琢磨にとって本当の勝負の年であることにかわりはないだろう。
彼がF1をめざしているとき、私は無条件にそれを応援していた。F1に辿りついたとき、応援することをやめた。ひとりのF1ドライバーとして   プロとして彼を見たいと思ったからだ。その気持ちは今も同じだ。彼の才能に期待するからこそ、あえて応援せずに見守っている。
それでも、祝祭のこの季節に、ひとことだけ祈ろう。彼の決断が、彼の未来にとって吉となりますように。

琢磨とD.リチャーズのインタビューは、こちらから。→ 1:琢磨  2:リチャーズ


12/14(土)-------------------------------------------------------------------------------

■ヒルのジョーダン@98年スパ

ドニントンパーク・サーキットには『グランプリコレクション』という名前のちょっとした博物館がありますが、そこにデイモン・ヒルの98年スパ優勝マシン(ジョーダンの初勝利マシン)が飾られることになりました。
この博物館、長年のF1ファンなら一見の価値はあります。昔のレーシングカーから、アクティブサスの時代を経て最近のものまで、とにかくフォーミュラカーだけを掻きあつめた『クルマの博物館』です。中でも圧巻はマクラーレン&ウィリアムズの部屋で、細長い部屋の端から端まで、ずら―…っと並んだマシンの姿には感動さえ覚えました。先に見るのがウィリアムズ部屋なんですが、整然と並べられたロスマンズカラーは強烈です。そしてマクラーレン部屋でまた腰を抜かしてください(笑)
私は基本的に過去は振りかえらない主義なのですけれど、このコレクションを見、ドニントンのサーキットを歩いて、ふと、セナの『93年雨のドニントン』を見逃したことを心底くやしく思いました。
(そのうちにレポートを書く予定です。…いつになるかは判りませんが…<汗)

■これも不況の所為かしら

コリン&ニッキーに続いて、カルロス・サインツ&ルイス・モヤもコンビ解消となった。かくて、WRC界の最長コンビ記録は15年で止まることに。
理由はニッキーの場合と違い、金銭的なものだ。サインツは来期シトロエンへの移籍を決めたが、このときモヤに提示された契約金が、本人の主張によれば『フォード時代の半額だった』(@Autosport.com)らしい。これについてモヤは、「市場最高額を要求するつもりなんてさらさらないけど、なんでシュコダのドライバーと同待遇で我慢しなきゃならないんだ」とおかんむり。それもそのはず、彼はサインツとともに161戦のWRCを戦って24勝をあげ、最も成功したコドライバーとして名を馳せてきたのだ。サインツが彼以外と組んだのは、デビュー直後の4戦のみである。
「カルロスと別れるのはとても寂しいよ。15年間ずっと、一緒に引退するんだと思ってた。30歳だったら条件を呑んだかもしれない。でも僕はもう42歳だし、ふたりの子供のことを考えたらこうするしかなかった。」
モヤに代わってサインツの手綱を取るのは、最初に組んだベテランのマルク・マルティになりそうだという。
私にとっては、ニッキーがコリンのベストパートナーに思えていたのと同じく、サインツときたらモヤ、というくらいの不動のコンビだった。決別の原因が本人たちの問題でないだけに残念でならない。
ともあれ、それぞれの道を行くふたりに幸あらんことを。


12/7(土)-------------------------------------------------------------------------------

アロウズはやはり駄目みたいですね。200人解雇か…。寂しいなぁ。(トップチームが優勝争いするだけじゃ面白かないでしょ。←優勝争いすらないよりははるかにましだが…。)

■「理不尽」な目標のために。

先月30日の朝日新聞土曜別冊Beに、BSの浜島裕英氏がとりあげられた。
『海外では、くりくり眼と笑顔から、「ハミー」と呼ばれる。それが、コースに入ると、射抜くような視線になり、容易に近付きづらい「気」を放つ。』
研究者として入社し5年め、初めて遅刻をした朝、部長に呼びだされた。英語もレースも判らないのに、欧州F2選手権に「放り出された」。同行者はマネジメント担当の安川ひろし氏のみ、たったひとりのエンジニアとしてミシュランと戦った。1周なら速く走れたが、レースではどうにもならない。連戦連敗、高い国際電話で報告するのが辛かった。『まぶしかった。タイヤの性能以前に、データの取り方やロジスティックスのソフト面が洗練されていた。B29と竹ヤリに思えた。』
車が壊れてくれれば、敗因をタイヤのせいにはされない。レース前にマシントラブルを願う日々が、やがてタイヤの設計思想そのものを変えた。『1周だけ速いタイヤは意味がない。レースを安定して走り切るタイヤに意味がある』。今年、フェラーリのマシン性能を敗因にあげるライバルのコメントを聞きながら、かつて車に責任を押しつけたがっていた自分を思い出したという。
本人は、今年の勝因はフェラーリとの関係強化だと答える。R&Dチームをたちあげ、タイヤ専門のテストチームもつくってもらった。F1界で前代未聞との自覚はあるが、『タイヤはタイヤ、車体は車体という考えでは、もう勝てない』。中長期的に、エンジンも含めた車体との関係を見直すのが目的だ。
レースの世界を、性に合っていると言い切る。技術の要は『どこまでタイヤと会話ができるか』。データの計測技術はある程度マニュアル化されているが、走り終えたタイヤの気泡の大きさや位置から車や路面の状況を読み解く支えは、20年余培ってきた勘と経験しかない。負けず嫌いだが、負けてもすぐ切り替える。敗因をつきとめたら、忘れる。でなければ、2週間おきのレースなどとてもやっていられない。
『必要なのは情熱です。粘りといってもいい。「勝つ」という目標は理不尽です。相手の技術レベルはレースが始まるまでわからない、準備に100%はない。95でも勝てるかもしれないが、99でも負けるかもしれない。時間との戦いの中で、どこまで粘れるか。情熱がないとできません。』
来シーズンの抱負はと問われ、答えた。
『今年は勝負に勝って、技術で負けたコースもあるんです。全戦、両方で勝てば言うことなしです。』
(朝日新聞"Be"11月30日より一部抜粋)

レースをやっている人というのは、私の知るかぎり、レースを離れると非常にのほほんとしたところをもっているような気がします。某S氏も、普段話しているときはとても気安いおじさん(お兄さんというにはやや苦しい年齢なので…<ごめんなさいぃ…)なのですが、いちどシルバーストーンのテスト中にパドックで合ったときは、ものすごく近づき難い、気安く話しかけられない威圧感がありました。本人は「そうかぁ?」と笑ってましたが。
上記のインタビューで笑えたのは、困ることとして、給料が普通の会社員とそんなに変わらないのに、『フェラーリのディレクターにご飯に誘われて行くと、とても普通の会社員が入れるような場所じゃない』。さもありなん、というかんじですが。ハイソな舞台ゆえの苦労がもうひとつ、蝶ネクタイがお嫌いだそうです。


12/3(火)-------------------------------------------------------------------------------

アロウズが提訴しましたが、上手くいくやら。(難しいだろう…)

■三菱WRCチーム、2003年参戦休止!

本日の三菱自動車公式発表によると、三菱ラリーアートWRCチームは2003年の世界ラリー選手権参加をいったん停止し、再来年2004年に総合優勝を目指して復活することを、今後の活動方針と定めた。
アリスター・マクレー、フランソワ・デルクール、ヤニ・パーソネンらドライバー陣に関するコメントは未だ出ていないが、いずれも年間通じてのフルコントラクト下にある。WRE(ラリーアートヨーロッパ、これまでのWRC活動の拠点)が開発目的に独自に数戦ノミネートする予定が確認されている以上、難しい状況だといえるだろう。
1月1日スタートの2003年ダカールラリーには、増岡、フォントネなどが予定どおり出走する。

■AUTOSPORT AWARDS

結果発表があった。今年の『マクラーレン・オートスポーツ・BRDC賞』(英国出身の有望な若手フォーミュラドライバーに与えられる賞)の受賞者は、Fルノーのジェイミー・グリーン。
英国最高ドライバーはDC、モナコの優勝が決定打となった。彼は他に自身5回目となる『BRDCゴールドスター賞』も獲得しているが、これはBRDCメンバー中、年間獲得ポイント数上位者に与えられる。
国際ベストドライバーはミヒャ、レーシングカーはF2002という予想どおりの結果。フェラーリ関係者では、あとはロス・ブラウンがその卓越した技術を称えられ、『ジョン・ボルスター賞』を贈られている。JPMの受賞した『グレガー・グラント賞』は雑誌創始者の名にちなんだもので、最高速記録更新を評価した。
ナショナル・ドライバーはロビー・カー(F3)が、クラブ・ドライバーはダニー・ワッツ(Fルノー)がそれぞれ獲得。
ベストラリードライバー/カーはマーカス・グロンホルム&プジョー206に。
そしてBRDC特別賞は、ラリードライバーとして史上初のBRDCメンバーとなった英国のトップラリードライバーふたり、コリン・マクレーとリチャード・バーンズが仲良く分けあった。(これまでBRDCメンバーはサーキットドライバーのみ)

当日は各章の授与者として、早々たるメンバーが集結した。当日の光景はこちらから→ 1 2
↓個人的に好きなものをピックアップしてご紹介
@(ロリーの笑顔がなんとも素敵vv) 
A(ドライバーとその彼女とそのマネージャー。マネージャーさん、酔ってますか?)
B(こんな人も来てました)


12/2(月)-------------------------------------------------------------------------------

■2003年度エントリー発表

本日発表のエントリー一覧はこちらから→

アロウズのエントリー拒否はあり得ると思っていたのでそれほど驚きはしなかったものの、ショックではある。視聴率云々よりも、こちらが優先問題ではなかろうか。レースはレース屋がやってこそだと思っている。そのレース屋が、とてもレースなんぞやってられない状況になりはじめている。
世界最高峰の自動車レースが、メーカーの代理戦争に落ちぶれないことを祈る。メーカーはいずれ撤退する。レースを愛する者の存在なしに、F1の歴史は語れない。

それとはまた別口のショックだが、ウィリアムズのエースが入れ替わっている。こちらも予測はついていたが、はっきりかたちにされるとやはり"くる"ものがある。いったい何を手をこまねいているのやら、歯痒くてたまらない。こちらが呆れる前に、何とかしたまえよ弟くん。(某ジェームズや某デイビッドと一緒、見捨てるつもりはないのです。)

■ロッキンガムはCART開催せず

2003年、英国ロッキンガムサーキットはCARTを開催しないことを発表した。経営収支に見合わないというのがその理由。将来的なことは来年末までに発表する、としている。代わりに名乗りをあげたのが、ブランズハッチ。しかし、コースレイアウトと幅を考えたときに、果たして相応しいかどうかは疑問が残るのですがね…。
というわけで、それぞれのコースをこちらでご紹介。
ロッキンガム・モータースピードウェイは、最初からCARTの招致を睨んで設計されたサーキットで、英国初(だったはず)のオーバルコースを持つ。(→コースレイアウト
一方のブランズハッチ・サーキットは、かつてのF1開催地として有名。コースとしては面白いが、如何せん現代のトップフォーミュラにはコース幅が狭く、レイアウトもこじんまりとしている。とくに1コーナーは坂を下りきったブラインドの直角コーナーで、F3ですら接触多発地帯だ。どうするつもりなのかな、と無責任にわくわくしてみたり。

ところで、シルバーストーンも財政難で将来が危ないという報道がBBCにありましたが、現在シルバーストーンを抱える"Octagon Motorsport"という会社は、シルバーのほか、ブランズハッチ、スネッタートン、オールトンパーク、カドウェルパークという5つのサーキットのオーナーでもあります。会社の命運が、英国のモータースポーツそのものを脅かしかねません。F1を招致できなくなれば、収益もがた落ちするはず。こちらも、どうするつもりなのでしょうね。
とりあえず、来年開催されるのは確かなので、極東からわざわざ観に行く身としては今のところ問題なし。

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