Aug July June May April March Februaly January 2003


ヒトリゴト。
Let's Talk about What you like.

7/31(木)--------------------------------------------------------------------------------

とりあえず明日から思考はドイツGPモードへ。英GPについての残りの感想は観戦記に書きます。

■イギリスGP 報告その3

飲食物について。味は最初から期待していなかったので(慣れてるし)別にどうでもいい要素ではあったのだが、どうでもよくなかったのは値段である。水250mlボトル一本が£1.50とは何事。ロンドンでも通常£0.70くらいです。ちなみに£1.00=約200円。食事は安くて600円くらいでハンバーガーだったかな?
渋滞避けのため宿を田舎に取ってしまったため、サーキットまでの道程にスーパーどころか商店さえ一軒もなかったのが痛かった。値段の高さは知っていたのに、中で買わざるを得ない事態に陥りました。(T T)

人々について。英国人は島国気質が強い割には親切である。型や形式にとらわれないともいうか。警備員だろうが警官だろうがオフィシャルだろうが、にっこり笑って挨拶して世間話ができる。
そのおかげで助かったことは、土曜日のチケットを落としたときに(ええまぁそういうアホをやらかしましたよこの人は。)大勢の人に親身になって相談にのってもらえたこと。おかげでちゃんと指定席で観戦できました。
それからおもしろかったのは、近隣の町や村のパブで「シルバーストーンに行ってきた」というだけで話題の中心になること。あるときなぞ道を歩いてるときに目敏くパスケースを見咎められて、店にひきずりこまれた(笑)。付近の人々はたいてい一度はグランプリを観に行ったことがあるらしく、話は弾む。思わぬ出会いや苦い経験、たくさんの人のたくさんの体験に耳を傾ければ、なんだかんだ言いつつも彼らがこの伝統行事を愛していることがわかる。
願わくば来年の夏も、かの地にエギゾーストが帰ってきますように。

日本ではありえないアトラクション。
RAF(Royal Air Force=英国空軍)の航空ショーが、土日の2日間あった。土曜日はなんと戦闘ヘリ7台(Blue Eagles)によるアクロ。ヘリのアクロなんてはじめて見た。というかそんなことができることすら知らなかった。強風の中ホバリングするだけでも難しいだろうに、至近距離で展開するアクションに絶句。日曜日はおよそ15分にわたって、戦闘機の一群(Red Arrows)が息をのむうつくしいアクロを披露してくれた。
ベントレーはたったの2周しかしなかった(ギアボックスがトラブったという情報がまことしやかに。ものすごい白煙があがっていたぞ)けれど、やはり綺麗だった。マシンは、やはりかっとばしているのを見るのがいちばんいい。
本戦後のヒストリックカー・レース。つまりはクラシックカーで本気でレースをしてしまえ、という企画。センターアクセス(コースの内側に入るチケット)を持っていれば、事前に参加車両すべてがチューンを行っているエリアを見学できる。日本では骨董品扱いで博物館に展示されるだけで終わりそうなご老体が何台も、ぴかぴかに磨き上げられ、誇らしげに鎮座していた。レースがただの見世物ではなく本気の一戦だということは、練習走行で衝突してべこべこにへこんだ後部を必死で直している最中のマシンがあったり、足回りやハンドリングなどの調整に余念がない参加者の態度で知れる。本戦で命を落とされた方がいたのが、残念だ。

のんびりと、ゆっくりと、自分のペースで雰囲気を楽しんだ、贅沢な3日間。
また来年も開催されるのならば、行きたいと本気で思う。


7/28(月)--------------------------------------------------------------------------------

■イギリスGP 報告その2

今期初旬にメディアやファンの口をたいそう賑わせた新ルール。私も「せっかくサーキットに行くのにマシン見る機会がほとんどなくなる」と相当に文句をたれた。…が、体験してみて一言、「そんなに悪かない」。
いちばんのメリットは、何より「時間ができた」。セッションが少ないので、すなわち拘束時間が短い。高いチケット代払ってセッションを棒に振るのは嫌だけれど、走っていないのなら心置きなくあちこち見物ができる。
それからこれはもしかしたら英国なればこそだったのかもしれないが、ドライバーがインタビューに応じる機会が多かった。朝からサーキットビジョンは様々なドライバーの表情を豊かに映し出す。取材されるほうも、多少は時間のゆとりがあるのかサービスがよかった。
肝心の一発予選方式はというと、これがなかなか面白かった。サーキット中がひとりのドライバーの挙動を固唾をのんで見守るその緊張感が、一種の心地よい静けさとなってサーキットを支配する。そこをたったひとつのエギゾーストが切り裂いていく。
ただし、問題がまったくないわけではない。まず、やはり下位チーム(或いはもっと正確に表現すれば、自分がどうとも思っていないドライバー)の順番がくると、緊張感が解ける。紛れもないセッション中だというのに、観客席に居眠りしている御仁を多く見かけたのはそんな折だ(実は私もうとうとしました)。それから、自分の目の前を通過する一瞬以外は、結局オーロラビジョンを見つめ実況を聞いているしかないという事実。TVで見るのと変わらず、わざわざ現地観戦する意味が薄れる。また、写真を撮りたい人には、単純にその機会が減った。
それでも、とりあえずは私としては合格点を出しておく。誰にも邪魔されずにミヒャエルのあのラップ(最後で失敗してくれたけど)を満喫できただけで、価値は十二分にある。


7/27(日)--------------------------------------------------------------------------------

■イギリスGP 報告その1

天気は幸い大崩れすることなく、グランプリの雰囲気をじっくり楽しめた。いろいろと評判の悪いシルバーストーンだが、個人的には前回訪れたときよりインフラ面が著しく進歩しているのに驚いた。
かつてのA43(シルバーストーンにむかう主要道路)は2車線の田舎国道だったが、ノーザンプトン〜ブラックリー間にバイパスとして片側 3車線の新A43が完成し、そこからサーキット正門(西4エントランス)までの道路も拡張されていた。砂利敷きのこじんまりした正門前の駐車場は、広々と見晴らしのいい舗装駐車場になっていた。
ある意味、愕然とする光景だった。長閑な『英国モータースポーツの故郷』は、すっかり様変わりしていた。
けれど他の門へ回ると、そこは昔ながらのシルバーストーンだった。放牧地を利用した草っ原の駐車場、キャンピングカー、テント、聳え立つユニオンジャック、エール、バーベキュー。なんだかほっとした。
話に聞いていた渋滞には、まったく影響を受けなかった。泊まったB&Bは、サーキットから車で通常30分のところにあるのだが、3日間ともちゃんと30分以内に着いた。迂回路、という考え方が英国人の脳裡にないのは、2年前に思い知っている。つまり「シルバーストーン騒動」の原因の一部も、ここにあるのではないかという気がした。

1週間の強行軍で、もっともゆっくりできた時間が、サーキットにいるときだったというのも、考えてみれば不思議な話だ。どこまでも高い空と広い大地に挟まれてのんびりとピクニック気分でグランプリの週末を家族揃って楽しむ、どうやらそれが英国流らしい。観客には、幼い兄弟もワンピース姿の老婆もスーツをかっちり着込んだ老紳士もいた。
郷に入りては郷に従え。
3日間が終わる頃にはすっかりこっちもご当地の流儀に慣れて、草原にひっくりかえってエギゾーストを聞いていた。

他国人だから言えることかもしれないけれど、できうるならばイギリスGPはこのままで。そんなふうに思った。


7/15(火)--------------------------------------------------------------------------------

■めずらしくただの日記。

週末の天気予報@シルバーストーンサーキット、を調べて、思わず「ぎゃあ」と悲鳴をば。

 金曜日・・・昼: 小雨/夜: 雨 (20℃/12℃)
 土曜日・・・昼: 晴れときどき曇もり/夜: 曇り (23℃/12℃)
 日曜日・・・昼: にわか雨/夜: 雨 (24℃/13℃)

こちらのサイトは郵便番号からピンポイントで一週間の詳細な天気予報が調べられるのですが、こんな天気が判ったってちっとも嬉しくないよ…。
…が、頑張って生き延びてきます。


7/13(日)--------------------------------------------------------------------------------

■モータースポーツに潜む危険

昨日の朝日新聞土曜版「be」の一面‘ことばの旅人’が、ジル・ヴィルヌーヴをとりあげていた。イモラとマラネロを訪ね、未だに人々に愛される彼の魅力を追う。
『私たちは危険を冒すがゆえにカネを受け取っている』
『レースドライバーはレースをするドライバーじゃないのかい』
私がF1を知ったのは、彼が伝説となって久しい頃だから、元の言葉がどんなものであったのかは判らない。けれど、彼のレースに対する姿勢なら、多少は聞き齧っている。
ちょうど98年スパや97年ヘレスについて考えていた矢先の記事に、奇妙な符号をおぼえた。

1月のヒトリゴトでもちょっと触れたが、2000年に英国で出版された‘Deadly Obsessions: Life and Death in Formula One’(Phil Shirley)という本がある。いわば、グランプリの「死」の歴史を紐解いた作品だ。全22章の本書には、コース上の危険に言及した数多くの関係者の発言が散りばめられ、巻末にはFIAの歴代安全施策と、サーキットで命を落としたドライバー達の名前が並ぶ。
既にこの世にないドライバーの言葉は、重い。どれがいちばん心に響くか、など到底択べるものではないが、たとえばジル・ヴィルヌーヴはこんなことを言っている。
‘People say I drive like a madman, on and off the track. They say I'm insane because I smile when faced with danger. Maybe I am a little crazy, but let me tell you something else - I'll die a happy man because doing what I do makes me feel alive.’

本書では、ドライバーの威勢のよさは虚勢にすぎないと、自分たちを嗤う声も紹介されている。脅えながら、それでもレースをするしかないのだと、そのために生まれそのために死んでいく運命なのだと。そして、どうせなら派手に終焉を迎えたいものだと強がるのだ。
上記のコメントを残した2年後、ヴィルヌーヴは命を落とす。宙を舞い、ついにそのときが来たのだと覚悟したとき、彼は幸せを感じられたのだろうか?


7/12(土)--------------------------------------------------------------------------------

部屋の片付けと英国行きの荷造りを同時並行したら、6時間もかかってしまいました。(苦手なんです)

■スピードのお祭り

ちょうど10周年を迎える"Festival of Speed"、今年も英国はグッドウッドにて開催中。("Goodwood Festival of Speed"は、毎年7月初旬に英国サリー州の保養地にて3日間かけて行われる、車&バイク&レース気違いどもによる大掛かりな参加型の祭典です。←乱暴極まりない説明;;)
今回の参加者も錚々たる顔ぶれ。これだけ見ても、英国のモータースポーツ文化の厚みが解ろうというものだ。
ちなみに、かのマレー・ウォーカー氏は、BBCのグッドウッド中継(ラジオ)にて、モータースポーツコメンタリーへの第一歩を踏み出したそうです。

○グッドウッド2003・主な出走者
オベ・アンダーソン(セリカ・ラリー)、ルネ・アルヌー(ルノーRS01ターボ)、ジャック・ブラバム(ACコブラ・ル・マン-クーペ)、デイビッド・ブラバム(ベントレー・スピード8)、ジェンソン・バトン(BARホンダ)、デイビッド・クルサード(メルセデス・ベンツ)、クリスチアーノ・ダ・マッタ(トヨタ・グループ7スポーツカー)、ミック・ドゥーハン(ホンダWGP)、ラルフ・ファーマン(ジョーダン・フォード)、マイク・ガスコイン(ルノースポーツクリオ・V6-255)、フィル・ヒル(スポーツカー)、ジャッキー・イクス(ポルシェ936/77スパイダー&フェラーリ312-PB)、アラン・ジョーンズ(ウィリアムズ・コスワースFW07)、ヨッヘン・マス(メルセデス・ベンツW196&ザウバー・メルセデスC11-GTP&フォード・カプリRSケルン)、フェリペ・マッサ(F2002)、アラン・マクニッシュ(ルノーF1&ポルシェ911-GT1)、ファン・パブロ・モントヤ(ウィリアムズBMW)、スターリング・モス(メルセデス・ベンツ300-SLR)、ヨルグ・ミュラー(BMW-V12)、オリビエ・パニス(トヨタTF103)、ネルソン・ピケ(ブラバムBMW・BT52)、デイビッド・リチャーズ(フォード・エスコートMK2ラリー)、佐藤琢磨(BARホンダ)、関谷正徳(トヨタTS-010ル・マン)、ガイ・スミス(ベントレー・スピード8)、ペーター・ソルバーグ(スバル・インプレッサWRC)、ジャッキー・スチュワート(ティレル・コスワース011)、ジョン・サーティース(ホンダRA300F1&メルセデス・ベンツ-W154シルバーアロー)、アル・アンサーJr.(ペンスキー・メルセデスPC23)、ジャスティン・ウィルソン(パルマー・ジャガー-JP1)、他多数

■F1Racing7月号

もうじき8月号が届いてしまうので、慌てて少々ご紹介(というか感想)をば。

>THE POWER THAT BE: ...these are the engine men

各チームのエンジン屋さんトップの紹介 byアラン・ヘンリー。各人のバックグラウンドが垣間見えて面白い。たとえばマルティネッリと、タイセン博士やイリエンのコメントを読み比べると、前者のほうが断然のびやかな印象を受ける。後者はずっと企業人間ぽい。もちろんフェラーリだって立派に企業なのだけれど、やはり『レーシングチーム』色が濃いのだろう、と思ったり。
各エンジンの馬力や回転数が書いてあるけれど、どの程度の信憑性があるのかは判らない。
>Michelin's Top 3: The Low-Down
マクラーレン、ウィリアムズ、ルノーの3チームのうち、フェラーリ帝国の真の対抗馬はどれか?マット・ビショップ、アントニー・ローリンソン、ステファン・サムソンの3人が、それぞれ推薦状を書く。ビショップ、サムソンのふたりが、口を揃えて『ウィリアムズなんて無理』と言っているのが、GPの現状と照らし合わせると興味深い。
>F1 to One: Briatore, Dennis, Williams
ミシュラン3強のトップへのインタビュー3本立て。率直なのに裏の深そうなフラブ、哲学的で小難しいロン、慎重で言質を取らせないフランク、たった1ページに各々の性格がくっきり描き出されている。
‘Dealing with Fernando is like watching a movie for the second time. Every time you see a movie you've seen before, you keep being reminded of little bits which caught your attention first time around.’(ブリアトーレ)
‘I never discuss my options. I learned from Bernie many, many years ago to say nothing to anybody’(ウィリアムズ)
写真が秀逸。
>AS TOLD BY JPM: my life in Formula 1
JPM自身の手による記事。F1に来てから今までのことについて。
‘Overtaking Micharl (at Brazil '01) and leading the grand prix for 36 laps was a great boost to my confidence. I knew then that I could do it, that I could be competitive in F1.’
外国人である彼の英語はとても読みやすかった。


7/9(水)--------------------------------------------------------------------------------

■付け足しなど

すぐ下のリンクで、DCの件に絡めて書いたBBCの番組の話として、「ミヒャエルが97年ヘレスを故意だと認めた」という報道は間違いだったと書いたけれど、それについて少々。
実際に「ミヒャエルが故意にやったかどうか」という点は、この際関係ないと思っていただきたくて。
あれは、純粋に当時の報道内容として間違っていた、という意味で言及したのであって、大本のソースでは書かれていない内容が、抜粋され誇張された結果、二次的ニュースでは真実のように描かれることがある、という一例としてあげたにすぎない。あのときヘレスでミヒャエルが何を思いどんな理由でああいう結果になったか、ということは、また別問題だ。
それについては、6月に刊行されたミヒャエルの『オフィシャル』自伝に、こんなコメントが載っている。

‘It took me a long time to see what I'd done. I probably didn't want to admit it. At first, I really thought that Jacques was not in front of me, and that it was right to defend my line. And there were a lot of points which confirmed my initial conviction. For instance, we were summoned by the stewards, and they judged that it had been a normal racing incident. Nothing particularly serious, they said, and I thought: there you go, that's what I thought.

‘I was absolutely stunned when our president Luca di Montezemolo said to me something along the lines of "What on earth have you done?" and I thought, I beg your pardon? How come I'm suddenly the idiot? He was the first to approach me about it, and in the course of the next few weeks I came to recognise that I was in the wrong, and had made a mistake. Since then I have repeatedly said that if there is one thing I could do over again in Formula One, it would be the race at Jerez in 1997.’

‘Perhaps there's a better example in football. Players who took a deliberate dive in the area and got themselves a penalty were regarded in Germany for a long time as being rather smart. Suddenly, they were being slated for it. That's how I felt at first about Jerez.’
("Michael Schumacher: Driving Force", Sabine Kehm, Ebury Press, UK 2003)

地の文章では、「明らかに速かったヴィルヌーヴが突如(シューマッハーに)襲いかかり、抜き去ろうとした。シューマッハーは自棄になって自分のフェラーリをヴィルヌーヴのウィリアムズにぶつけ、スリップしてグラベルに嵌るという屈辱的な結末を迎えた。その後、ミスを犯したことを責められた彼は、まったくコントロールを失ってしまった」ということ、当時ミヒャエルはまったく罪悪感を感じていなかったこと、このレース(97年ヘレス)を境とする何年かで、急激にコース上のマナーに関する認識が変わってしまったとミヒャエルが感じていることなどが書かれている。

ざっと読んだ印象では、故意であるとも咄嗟の過失であるとも取れるが、「ぶつけても構わない」と当時のミヒャが考えていたのは確かなようだ。
ただし、この本の内容をどこまで信用したものか、実はちょっと迷ってもいる。というのも、この本、オフィシャルといいながら、信じられないような記述ミスが多い。たとえば、「ミヒャがスリックでヒルを抑えたスパ」といえば、ファンなら絶対いつの出来事か間違うはずもないだろうに、この本では堂々と94年の出来事として描かれ、しかも「その後失格となった」と書かれているのだ。(本当は95年)

私はミヒャエルのファンであることを隠す気は毛頭ないし、当時は必死で彼を弁護したものだが、今となっては下記のDCの件同様、どうでもいいと思っている。
ただ、真実がどうあれ、本来の内容を捻じ曲げて報道していくという手法には賛同しかねるし、その意味ではやはり2000年のBBCに端を発した一連の報道は、「間違い」「失敗」として整理しておきたい。


7/8(火)--------------------------------------------------------------------------------

■98年スパ


先に仏GPの雑記をと思っていたのですが、メールで教えてくださる方なんかも出始めたので、ここらで一度まとめておきます。→
例によって例の如く、著作権に思いっきり引っかかりまくりなので、いつまでアップしておくかは謎。

個人的な感想を言わせて貰えば、「どうせ過ぎたことなんだから今更ぐちゃぐちゃ言うんじゃない!」
DCが故意だったにしろそうでなかったにしろ、結果は変わりやしないのだ。私はどんなスポーツでも観戦時にさほどスポーツマンシップとやらを求めてはいないから、どうでもいい。というのも、どうせマナー最悪だと叩かれようが、罪が立証されようが、好きなものは好きで、見捨てることなんかできないと判りきっているから。
惚れた弱み、というか、やっぱり、『毒喰らわば皿まで』なのである。


7/4(金)--------------------------------------------------------------------------------

マニクールはなんだか随分と楽しそうなことになってますね。予選一日目、トップはヨスで、ファーマン、ニック、パニスと続いてます。セッション直前に雨が降り、気温も20℃からのスタートだったようで、上位陣は軒並みどうしようもないポジションにつけてる状態。さて、明日が楽しみだ。

■寝耳に水

本日F1-Liveの報道を見て吃驚して知人に連絡をとったら、「俺も今朝知ったんだよ」>BARの差し押さえ騒動。
チーム側はよもやここで先方がこんな手段に出るとは思っていなかったらしい。それでも実は現場の人間は危機感をもっていて、ニュルでは大慌てで荷物纏めてサーキットから逃げ出したのだそうだ。
とりあえず予選・本戦は走れるようだけれど、「フリーで走れなかったから、データ全然ないだろうなぁ。マニクール改修されてるんだよなぁ。嫌だなぁ」。

■タイヤの話。

ニュルの雑記にちょこっと書いた、BSがMIに遅れをとっているという話の追記。
原因として考えられるのは、「MIはもともと欧州のメーカーだから、欧州のサーキットの路面や気候に関して豊富なデータを持っている。マクラーレン・ウィリアムズ・ルノーといった確実かつ有益なフィードバックのできるチームを揃え、これらのチームとの協力体制も固まった今年、その底力を発揮したというかたち」だろうということだ。
毎度のことながら、あくまで知人の言っていることをそのまま書いているので、真偽の程は定かではない。

【更新】
ヨーロッパGPの雑記。ところでBBCの記者ですけど、ずっと「ジョナサン・リガード」と書いてきましたが、実は「レジャード」と発音するようです。失礼しました。



7/2(水)--------------------------------------------------------------------------------

■コニー・モントヤのライブチャット


ITV-F1の今度のライブチャットのお相手は、なんとコニー嬢。木曜日の現地時間午後1時から(ということは日本時間では午後9時から)、ITVのサイトでどうぞ。

■いい話?

ニュルの雑記を書こうと、情報源と取っ組み合い中に、楽しいレポートに出会った。

"Schumacher Benefits from Helping Hands"(Atlas F1, 29 Jun)
内容は、ミヒャエルに手を貸した4人のマーシャルたちへのインタビュー。彼らを『縁の下の力持ち』と表現した記事は、誇らしげなマーシャルたちの姿を生き生きと描く。
「彼のマシンに辿りつくのはちょっと大変だったよ。何せグラベルがとても深くて足をとられてね」
「エンジンはまだ生きてたから、必要なのはちょっと押してやることだけだってすぐ判ったよ。ミヒャエルの手招きを見る前から、何をすべきかは理解していた」
「次の周回で、彼は僕らにむけて親指を立てて合図してくれたよ。もちろん僕らはみんな彼のファンだけど、仮にあれが他のドライバーだったとしても、同じことを同じ素早さでしたさ。たとえライコネンだったとしてもね」
「ミヒャエルは後で『練習すればもっと早くなるだろう』って冗談を言ったというけど、だったらぜひとも僕らを彼のジムに招待してほしいよ」
上は33歳から下は22歳の彼らは、ボランティアでマーシャルをしていた。レース後ミヒャエルは4人にサインと写真(あるいはサイン入り写真?)をプレゼント。きっと、一生の思い出になったことだろう。

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