ヒトリゴト。
Let's Talk about What you like.
9/30(火)--------------------------------------------------------------------------------
いよいよ10月。来週には鈴鹿ですね。
(電話番号、昨年と同じです。基本的にセッション後はS2フェラーリスタンドにいる予定)
■アメリカGP メモ
予選後、やや悲観的にならなかったとは言わない。こりゃ鈴鹿でまじめに応援せにゃならんか、と覚悟を決めた。今年は昨年に輪をかけてDC仕様で行く心積もりでいたから、正直、参ったな、と頭を抱えつつ。
一方で、レース直前には昨年の展開を思い出し、大丈夫、と踏んだ。インディはオーバル部分でスピードに乗れるから、トップスピードさえあれば後方からでも追い上げは難くない。それに、なんだか「荒れる」気がしたのだ。天気が、ではなく、レースが、だが。その予感に根拠はなかったが、仮に荒れたレースになればお手のもの、という確信はあった。
結果はご覧じろ。
つまりこれは、鈴鹿では心置きなくデビの応援をしてこい、ということか。(笑)
…それにしても、雨天でこんなに差が出るとは思わなかったなぁ。
9/25(木)--------------------------------------------------------------------------------
本腰入れて英国GP観戦記を書いているので、日々の更新がいまいち放置気味です。
■期待と不安と。
何の気なしにアメリカGPのプレビューを読んで、あっちゃ〜、と頭を抱える。…そう、すっかり忘れていたのだ、昨年の『醜態』を。よくもまぁ忘れていられたものだと思うが、ようするに、思い出したくもないから記憶の底辺に放りこんだ、らしい。
昨年の観戦ノートをひっぱりだしてきてみると、ライブ放送だけあって、表情から仕種から逐一書き留めてある。ぜんぜん覚えがなかったが、昨年は今と同じ生活スタイルだったから、寝不足覚悟でぜんぶ見た、ということなのだろう。
実は今年、翌朝があるしレースは観ないで寝ようかなどと考えていたのだが、去年もやっていることなら、と開き直ることにした。ここまできたら皿まで齧れ。
シーズンの行きつく先についてはあちこちで憶測が絶えないが、私はいつものとおり、静観するつもりだ。騒いだってはじまらないし、いろいろ考えはじめるとろくでもない結果ばかり想像してやきもきする羽目になる。今週末決定しようが、鈴鹿まで持ちこそうが、持ちこした挙句に掻っ攫われようが、目の前で圧勝してくれようが、見届けるまで。
ただ、ひとつだけ願うとすれば、私は鈴鹿で、この目の届くところで、ミヒャエルに勝ってもらいたいと思う。一生にいちどだけでいいから、彼がトップでチェッカーを受ける姿を、生で見たい。そうしたら、タイトルがどうなろうとその瞬間の私は世界一幸せだろう。
…それはともかく、昨年のヒトリゴトやら雑記やらを読んで、今よりきちんと書いているなと感心したあと、落ちこんだ。えー…っと…。(慣れって怖いなぁ)
9/22(月)--------------------------------------------------------------------------------
週末はWGPブラジルグランプリでした。
実は今年、WGPをまったく見ていません。94年以降F1を離れたセナファンの気持ちが少しわかるような気がします。観ることができないんです、彼の不在を確認してしまうことが、怖くて。
私にバイクレースの面白さを教えてくれたのは岡田忠之選手でした。そして、こんなこともできるんだよ、と驚かせてくれたのが、たぶんロッシと大治郎だったのだと思います。
また普通にレースが楽しめる日の訪れを待ちつつ、まずは目前に迫ったもてぎのパシフィックGPの盛況を祈ります。BBCの報道によれば、来年の日本GPは安全性を考慮して、鈴鹿ではなくもてぎで開催されるそうです。
■"We believed in
ourselves all the way through."
イタリアGPレース後の記者会見にて、勝てなかった期間を振りかえってのミヒャエルのコメント。週末の関係各者の発言のうち、もっとも印象に残った科白。
ちなみに、次点はこちら。"I am not pleased
for anyone doing a lesser job - that is not my attitude."(予選後記者会見にて、同じくミヒャ)
嬉しかったのは、トレメイン(The Independent)のこれ。"When
he(Michael) does things he usually does them in style, and here yesterday
he was at his stylish best." ウィンザーのコメント(現在のトップの言葉)を彷彿とさせた。
9/18(木)--------------------------------------------------------------------------------
■イタリアGP メモ
とても楽しく見ていたのですが、46周目以降、突発的に何も語りたくない症候群に陥ってしまい、口を噤んでました。落ちこんだというよりは、完全なる脱力。
タイヤ騒動が影響を及ぼしたかどうか、及ぼしたとしたらどの程度影響があったのか、つまりBS+フェラーリのパフォーマンスがあがったと見るか、MIのそれが落ちたと見るか。それはこの一戦からだけでは量れない。あくまで個人的な印象論で言えば、MIの新作は、スティントの初めからグリップが効くのは相変わらずだが、後半すこし辛いのかな、という気がした。ラップタイム比較で判るかと期待したが、言うまでもなくコースコンディションが絡んでくるので、判定は不可能。(実際は資料を集めようと思えばできるが、面倒なのでそこまではやりません)
2回目のストップは私も見事に騙されました。直前にちゃんと「ジェネが前」とメモり、両者のラップタイム差から「これはいける」と思っていたというのに、何たる不覚。ショックを受けつつもスタジオのコメントには「いや本人は判ってたでしょ、ロスがちゃんと伝えてるハズですから」と突っこんでいるが、実は本人も混乱していたという話には苦笑。なーんだ、私だけじゃないんじゃん。(爆)
それはともかく、レース中盤からフェラーリのブレーキダストが気になったのだけれど、あんな真っ黒でいいのか?それから、今回マーシャルの旗の提示がすごくわかりにくくて、バックマーカーの問題はそれもあるのかなと思ったり。
表彰台を見上げるトッドの表情がとてもすてきだった。
(思いつくままに散文の限りを尽くしてみました。)
■原因そのA
実は語りたくない病の原因はイタリアGPだけではなくて、というよりもむしろこっちのほうがメインの原因かもしれません。コリンちゃん、予想どおり(あっ)シート喪失しました。そりゃ相手は今期ランキング2位ですから、7位のコリンに勝ち目があるとは端から考えてませんでしたが。だから納得しつつ、気分はゼロ高度飛行中。
主催のリチャーズが「できることはなんでもする」と言ってくれてはいますが、ヒュンダイも一時撤退を決めた今、可能性は著しく低いのが現状です。ついにコリン本人も、「今なら(勝利数)トップ記録を保持したまま辞められるんだよね」と発言。来年はついにWRCが日本にやってくるというのに…。(溜息)
そうそう、ひとつ嬉しかったニュースは、ルイス・モヤがスバルのスポーティングディレクターとして帰ってくるってことかな。彼も思いがけない辞めかたをしたので、こうして動向を知ることができるのは純粋に嬉しいですね。
■今更チャリティ・サッカー
先月CSで放映されたユニセフ・チャリティ・サッカー(7月2日開催、ミヒャが出場)のビデオを見せていただいたのだが、実に楽しい代物でした。何せ面子にファン垂涎のトッププロがずらり。チャリティのいい側面が存分に発揮され、皆さんボランティア精神旺盛であれやこれや披露してくれて、チケットは日本円にして4千円くらい(by実況)だっていうんだから、生で見たお客さんがうらやましいったらありません。開幕の早いイングランド&ドイツ勢が出場していなかったのが心残りではありましたが、久々に『フットボール』を見せてもらいました。
問題の王様ですが、思ったより巧かったので吃驚でした(…ていうか私、完全に見くびってましたよごめんなさい;;)。さすがに後半30分過ぎたら足が動かなくなってましたけどね。当初のポジションはFWでしたが、当人の希望はどうあれ彼はどう見てもストライカー向きじゃありませんでした(笑)←ポジショニングは甘いし出足の反応は鈍いし、後半見せたパス出しのほうが合ってるんじゃないかなぁ
コメンタリーがまた温かくて、「よっぽど好きなんだろうなー」としみじみ呟かれたのには、ええそーなんです、と思わず頭を抱える。これぞ、まさに「好きこそものの上手なれ」。
9/13(土)--------------------------------------------------------------------------------
まる一週間放り出して何をしてたかというと、ひたすらF1Racingを読み耽ってました。
■ミヒャはミヒャらしく。(F1Racing
10月号の感想その1)
ウィンザーの言葉にはやはり、容赦がない。今年のミヒャエルの『弱点』 或いは劣勢な部分、を次々と指摘していく作業には、躊躇も無駄もない。
「フェラーリはもっと巧くことを運ぶことができたのではないか? それとも、もっと巧く対処すべきだったのはミヒャエルのほうだろうか。」
多くの英国人に、彼はミヒャエル贔屓だと思われている。しかし私は一度として彼がミヒャエルを弁護した文章を読んだことがない。彼の記事はむしろ厳しい。しかし明らかに『アンチ・シューマッハー』の書くものとは違い、不思議な温かさも含んでいる。そんな彼のスタンスは、記事の端々に見え隠れする。
「好き嫌いは別にして、彼は現代F1そのものなのだ。もし彼が勝ち続け、チャンピオンシップを独走するならば、その要因をつきとめることこそがF1というスポーツの真髄に迫るカギとなる。反対に、もし彼が表彰台を独占することができず、他のドライバーが栄誉を受ける場面が続くとすれば、カギとなるのはやはり、彼がどのように状況を覆してくるか、という点なのだ。」
「何もかもが巧くいっている状況での才能の輝きを見るより面白いことが、ひとつだけある。物事が巧くいかないときのそれだ。名のあるドライバーが苦境に立たされたとき、深く探求しなければならないときを見ることだ。」
レギュレーション変更、タイヤ、マシンの性能、チームワーク、ドライバーの能力、あらゆる方向からさまざまな疑問点を洗いだした後、ウィンザーは今年のミヒャエルの『不調』を次のように分析する。
@レギュレーションの変更点があまりに多すぎて、ミヒャエルとしても何がいちばん重要なポイントとなるか、絞りこむのが難しかった、という可能性、AF2002がとてつもなくすばらしいマシンだったため、F2003とBSのコンビネーションもきっと上手く行くはずだと高をくくってしまった可能性、B家族とすごす時間を、おそらくはこれまでなかったほど多くとった結果、ほんの少しとはいえ仕事の細部に向ける注意力が散漫になった可能性。
「パドック最高のパッケージをもはや持たない今、彼は今までより必死にドライブせざるをえず、セットアップや作戦、コース取りなどの面で危険を冒す羽目に陥っている。」
「シーズンも大詰めを迎え、残ったサーキットのすべてにおいてライバルたちは充分な強さを発揮するだろう。唯一の救いは、彼が他ならぬミヒャエル・シューマッハーであるということだ。」
ウィンザーは、チャンピオンシップの行方について具体的な考えは示していない。3人ともに可能性があるような書き方をしている。それは判断がつきかねているからかもしれぬし、妙な先入観を与えたくないと考えているからかもしれぬ。基本的に彼は、憶測や予測ではなく、事実を積み重ねた文章を書く。
一ヶ月後、そしてシーズン終了後、どんな結果が待ち構えていて、ウィンザーがどんな分析をするのか。怖いような、待ち遠しいような。
9/6(土)--------------------------------------------------------------------------------
■F1とモラル(仮題?)
タイトル争いも大詰めになって、きな臭い騒ぎが起こるのは、これが初めてではない。むしろ、何も起こらないことの方が少ない。F1には政治と金がつきもので、このふたつが絡む以上、決して表沙汰にならない交渉や取引は必ずや存在する、はずだ。
F1に綺麗事を求めなくなったのは、たぶん95年の秋〜冬頃だろう。相次ぐベネトンの疑惑に、私は食傷気味になっていた。ただミヒャエルだけを見ていればよかった前年と違い、レースやF1という世界への理解や知識が深まるにつれ、見過ごせないものが増えた。そうして、いちど私はミヒャエルから離れた。それから、離れようとしても離れられない自分に気がついた。きっとそのときに、F1の抱える灰色の部分まるごと、この世界を認める気になったのだと思う。もちろん、その後もふらふらと心は揺れたけれど、元を辿れば、そんなファンになってまだ初期といえる頃に、私は既に諦めていたのだ。
F1はスポーツであってスポーツではない。もともと自動車レースは陸上やサッカーや野球などといった『普通の』スポーツとはどうしても違う地平に立っている。ヒトとカネと種々の思惑とが入り混じるとき、一方では純粋な競争を、他方では巨大な市場を形成する。モーターレーシングは純粋に走るための準備に異常にカネがかかるぶん、どうしても市場側へ天秤が傾く。次のレースを走るために、政治力が必要になる。ときには裏取引も必要になる。20台のカラフルなマシンが咆哮をあげて一斉に飛び出していく光景も確かにF1の本質だけれど、同時にそれは上澄みの部分でしかない。TVで放映されるF1の姿は、ほんの氷山の一角にすぎない。
七転八倒の挙句、どうせ主役どころの誰もがそれなりに利益を上げ致命的な被害を被らずにすむ結果に収まる、それがF1という巨大な市場システム。チームもFIAもFOCAもメディアも、それぞれお互いがなければ成り立たない持ちつ持たれつの間柄だ。
だから、そんな世界に理想の結末などというものを期待をすることはもうなくて、ただ、そこまでの道のりを、自分なりに楽しめればそれでいいと思っている。誰がどんな思惑を展開し誰が誰の掌中で踊っていようが、氷山の一角が面白くさえあれば、私は満足なのだ。
最後に出る答えが、もしも自分の思惑とぴったりあったなら、これ以上の幸せはない。
…そんなわけで、今回のタイヤ騒動でさえ私は楽しんでます。何となく悪足掻きっぽいところが意外と微笑ましいなとか、次にどんな詭弁を弄してくれるのかなとか。最終的な答えが出るまでは、すべて対岸の火事。
9/4(木)--------------------------------------------------------------------------------
鈴鹿のチケット本日到着。どうせ空き時間はフェラーリピット前、なんて思っていたら、(去年と同じブロック割と仮定して)座席がばっちりそっちのブロックでした…。素直に喜べないのは、そこからだとフェラーリのピットはしっかり死角になるっぽいから。何のためのS2だと思ってるんだよー。←ひとえにスタートとピットストップを見たいがためです
■タイヤその後。
なんかデュパスキエさん頑張ってますね。ちなみにもしこれで某文句たれチームが勝てなかったりした場合、ちょっと格好悪すぎというか情けなさすぎる気がします。(だから勝たないとね)
昨日、たいした問題にならないだろうと予測した根拠は、もちろん99年のマレーシアだ。あのときの状況を思い起こすと、実はけっこう今回の事件と似ていることに気づく。
あのとき、フェラーリの整流板が規定をはみ出していると疑惑を投げかけたのは、マクラーレンだった。フェラーリは当初サイズオーバーを認めたが、法廷では凄まじい詭弁で処罰を切り抜け、無罪放免となった。
「問題の整流板は、あるべき角度で取りつけられた場合、5ミリの許容誤差の範囲内だったと証明された。また、車検における測定方法の規定もあいまいであったため、当法廷は判定を覆し、当初のレース結果を承認する」(判決について説明したモズレーのコメントより)
ロン・デニスの判決直後の発言を借りずとも、これが商業的営利的目的を背景とした一種の手打ちであったことはあきらかで、だから今回も同様の結末を迎える、と私は考えたのだ。もちろん、それにはMIがそれなりの対応をすることが求められる。そう、99年にフェラーリが詭弁だろうがなんだろうが適当な弁明をしたように。
…そう書いた直後、ニュースでMIのニュータイヤのことを知った。そーきたか、と思った。(そして冒頭に戻る。)
ところで、16ミリほどフロントが幅広かったら何か劇的なアドバンテージになるんだろうか、と思ったのは私だけ?
9/3(水)--------------------------------------------------------------------------------
■あらあらら。
ガゼッタ・デッロ・スポルトの報道によると、台風の目は大方の予測どおりフェラーリだった…とロスが白状したらしい。F1-Liveは慎重に、伝聞形式の情報であることを明記している。(こういう部分、私が信用を置く理由です)
「ハンガリーのレース後、BSが日本人カメラマンが撮った写真を何枚か持ってきた。写っているミシュランタイヤの幅が広すぎるということで、我々はそれを携えてチャーリー・ホワイティングを訪ねた」(F1-Live/AFP)
ロイターはこの部分をもう少し詳しく訳していて、「レース後および使用後のミシュランタイヤのトレッド幅が過度に広いことをはっきり写した写真」とロスの発言を紹介している。
「見なかったことにしてFIAにも何も言わないという選択肢もあったけれど、それは正しいこととは思えなかった」
これで状況はだいたいはっきりした。ガーディアン紙が独自にモズレーを取材した記事に、@ミシュランのタイヤを疑う根拠はハンガリーGPのときに既に存在していた(すなわち、先週彼とホワイティングがマラネロを訪問したことは何ら関わりがない)、Aその根拠によれば、ハンガリーで使用されていたミシュランタイヤは、シーズン序盤のものと異なると考えられる、Bタイヤの使用法についても当初と変わってきている可能性がある、というFIAの見解が示されているが、今回の報道はその内容と符合する。
自分に有利に事が運べる証拠が転がりこんできたときに、それを活用することを、私はずるいとは思わない。むしろ、手段があるのに使わないのは、勝負の世界で生きる上で間抜けだとすら思う。だから、今回のフェラーリの対応をずるいとは私は言わない。(つけこまれる要素を作るほうにも問題はあるし)
ただ、不利な状況を覆すためにアラ探しをしたのであれば、みっともよいとの評価は到底できないが。
個人的には、仮にMIがモンツァでこれまでと同じタイヤを供給したとして(現時点ではこの可能性が濃厚)、失格扱いになることはまずないと思う。ガーディアンのウィリアムズ記者に言われるまでもなく、そんなことをすればF1は自滅する。FIAとしてはチャンピオンシップが混迷するほうが都合がよくて、ここでMI勢が総崩れになってフェラーリにタイトルが転がりこんでも何らメリットはない。
それではロスの思惑は外れたかというとそうでもなくて、たとえば今週のモンツァテストにしてもそうだが、MI勢はFIAの顔色を伺いながら今後3戦を戦う必要にかられ、余計なプレッシャーを背負いこむことになったわけで、最終局面でこれがフェラーリに味方する可能性は低くない。
どちらにしろ、あと1ヶ月もすれば答えは出る。
■ラルフのクラッシュ@モンツァ
夜中に、マシンが燃えたというニュースでおいおいと思ったばかり。朝起きたらもっと大変なことになっていた。
事故はレズモで起き、ラルフは意識不明でメディカルセンターに運ばれたが怪我はないとの話にほっとしつつ、"his brother Michael
is by his side" の一文に不謹慎ながら思わず噴きだす。アトラスによれば、更に兄ちゃん、ミラノの病院までついて行ったそうな。心配顔が目に浮かぶわ…。
ガーディアン紙にもっと詳しい話が載っている。事故発生時の速度は160mph、DCに次ぐタイムを出した直後だったらしい。"eyewitnesses
said the Williams FW24 somersaulted spectacularly off the track."
病院にはミヒャエルがついていったほか、後でJPMも見舞いに来たという。ウィリアムズ広報の発表では、「ラルフは笑ったり歩き回ったりしているが事故のことは憶えていないようだ」。
■FN外国勢対談。
今更かもしれないけれど、Racing on No.371のロッテラー×ライアン×トレルイエの対談は、楽しかった。アンドレの科白でジェームズが同じアパートの下の階に住んでいることが判り、それだけでちょっと嬉しくなる私は未だに『子猫ちゃんズ』とこのふたりを一括りにして考えているらしい。…というのはともかく、彼ら外国人ドライバーの日本のレースに対する見解(まあ、ある程度お世辞は入っているだろうけれど)や、日本での生活についてなど、3人がわいのわいの話している光景が目に浮かんでそれだけでも楽しい。
「ヨーロッパから日本に行く人がいると、『すごいな、そんな遠くまで行ってレースをするんだ』って思っていたら、自分にその番が回ってきた(笑)」(アンドレ)
そうよ、私だってまさかあなたたち2人とも揃って私の国に来るなんてこれっぽっちも考えてなかったわよ。(笑)
9/1(月)--------------------------------------------------------------------------------
F1のタイヤ騒動はとりあえず様子見。
(こーれでまた(フェラーリは)狡すっからいのどうのと陰口叩かれるんでしょうがそれがどうした。←慣れ)
■祝♪3pt獲得!(FN)
実は気がついたのが午後11時半過ぎだったため、ビデオも録れず、翌日仕事なので夜更かしもできず(2時10分放映開始ってどうなの…;;)、泣く泣く結果だけ確認して寝たのですが、レースレポートを読むかぎり、なんだかとても面白そうなレースだったようですね。
とりあえず私はジェームズとアンドレが揃って元気よかったってだけで有頂天です。特にジェームズ、デビュー戦でトリッキーなコンディションで4位入賞、一時はトップ走行もしたそうで、「ねぇ見て見て!」と自慢したい気分。
■あちらを立てればこちらが立たず(WRC)
コリンちゃん。来期シート危ないです。
WRCはイベント毎に各チーム3台までエントリーできますが、来期からこの3台目のエントリーに規制が設けられ、「過去3年間に表彰台に立った経験のないドライバー」でなくてはならなくなります。これまで確実にポイントが稼げるベテラン選手を揃えていたチームは否応なく3人のうちの1人を放出せざるをえず、実は先月のトンミの引退表明も、このルールを踏まえてのものです。
コリンが現在所属しているシトロエンは、すでに若手のローブと長期契約を結んでおり、残る1席をコリンとサインツで争っているのが現状。仮にこの椅子取りゲームに負けると、行き先はヒュンダイかシュコダしか残っておらず、これはコリン自身が「できれば避けたい選択肢」と明言しています。
"I could be out of a job and it
wasn't my plan to be out of a job at this point in my career,"
シトロエンのトップによれば、オーストラリア・ラリーが済むまでは最終決定は保留という話ですが…ああ胃が痛い。
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