とてもきれいなものを見せてもらった。 決してきれいな思い出だけを重ねてきた場所ではないのだけれど、血の歴史を懐に抱いたサーキットなのだけれど、それでも、やはり春の息吹にあふれたイモラは、うつくしかった。 そういえば、あの日も、空は高く澄んで木々の緑が映えていた。だからこそ、坂道を登った先の空に、彼の人が吸いこまれてしまったような錯覚をおぼえたのだった。 私にとってイモラの名は、苦い気持ちと切っても切れない。けれども、このさき思い出すのはきっと、光踊るうつくしい風景ばかりだろう。あの日、彼の人が最期まで見つめていた、どこまでもきれいなあの風景なのだろう。 * 感想と文句。 王様。どうしてもうこのひとは…!と堪える端から頬が緩む一方だった、10周目。その後の遮るものとてないオンボード映像は、94年のFIA総集編ビデオで見たセナのそれに似て、昨年までの私なら恐怖していたかもしれない。今年はただ、嗚呼このひとは愛されているのだ、と、埒もない嬉しさとともに見惚れていた(レースに神様がいればの話)。 JPM押し出しの件は、あれは自覚ありでしょう(笑)←問題視はしてないということ ジェンス。彼は、10年前のミヒャエルだ。似ているとかいないとかではなくて、その立場が。94年の開幕前の、「やる気を起こさせるものなど必要ない、セナが前を走っているだけで充分だ」というミヒャエルの科白は、まさに今のジェンスの思いではないだろうか。 第二のミヒャエルは要らない。再来など期待しない。でも、若鳥が風を得て舞いあがる姿は、いつ見ても小気味よい。さあ羽ばたけ、天高くどこまでも。 BAR。正直ここまでやると思っていなかったので、楽しく見ている。琢磨にばかりトラブルが発生するのは、さて単なる偶然で片づけてよいものか。あまり続くようだと、将来の見通しまで芳しくなくなるのがこの世界。レース後インタビューは、もっと憤りを顕わにしてもいいんじゃないかと思った。F3時代はけっこう怖い顔して人近づけなかったけど、あれは自分の失敗だったからなのかしら。ああ、それと、チームはもっとピットストップの練習をしましょうね。 ウィリアムズ。きっちり仕事はした。最低限ではあったけれど。足りないのはドライバーの腕か、マシンのポテンシャルか。BARがあれだけのペースを出せているのだから、タイヤの所為にはよもやできまい。とはいえ、さほど心配はしていない。底力はあるチームだ。どん底も経験している。私はまだ、彼らの巻きかえしを大いに期待している。 ラルフ。…いい加減にしないと愛想尽かすよ?(←できもしないことを軽々しく口にしないように。) 毎度毎度庇えはしない。接触が多いだけでも憤懣やるかたないのに、パターンまで一緒ときた日にゃあ。そんなに出停くらいたいのかい。ちったぁ学習しなさい、学習。…その瞬間までの死守っぷりがよかっただけに、怒りも大きいのです。(ペナルティ食らうのが問題なんじゃなくて、この場合、ぶつかった時点ですでに駄目) その他、目にとまったパフォーマンスの人たち。アロンソ、ヤーノ、キミ。怒りを通り越して呆れの矛先は、デビ。今回の完敗で賞は、謹んでルビーニョに差しあげます。