ヒトリゴト。
Let's talk about
What you love.
10/24(日)
ここ数日ひどい風邪にやられてまして、普通に寝起きしてても仕事に差し支えてるような有様ですので、今晩は何もせず早期就寝を試みる予定です。(鈴鹿終わったらもうシーズン終了した気になってましたよ;;)
祖母は昨日我が家に帰ってきました。
エコノミストは読みましたが難しすぎ…。持株とか株主とか総会とかそっち方面の専門用語はなんとなくしか解りません。判ったのは、要するにバーニー側のやりくちは巧いかもしれんがあざとい、ということくらい。あけっぴろげな印象は、「あこぎな商売」でした(爆)
内容としては、2000年のEM.TVによるSLEC(F1事業経営の元締会社)買収を発端とする、いわゆるキルヒ問題の背景と、GPWCの動きをまとめて、今後のF1ビジネスの展望を睨む、といったかんじ。非常にエコノミストらしい記事です。キルヒ事件は、私がちょうど英国にいるときで、散々ニュースにはなってましたがビジネス英語は語彙の外だったので、さっぱり理解できなかった話でして、今回、まあ多少は理解が進みました。株とか法律関連用語はやっとくと後の仕事の役にも立つので徹底的に辞書引いてもよかったんですが、あまりの内容の堅さに脳が拒否反応起こしたのであっさり中止。←根性なし
■F1Racing
懲りないなぁというかよくネタが尽きないなぁというか、とにかくこの雑誌のミヒャエル取り上げ度と切り口の工夫には脱帽する。さりながら、そろそろ出尽くした感があるのも事実。…などと考えつつウィンザーの記事を(ウィンザーだからという理由だけで)読んでみたら、爆弾が隠されてました。もしかしたら私が知らなかっただけなのかもしれないけど。
97年ヘレスのことを裏で考えている所為か、イタリア人にとってのミヒャエルって何なんだろうと改めて思ってみたり。アレンの本("Michael
Schumacher: Driven to Extremes")を読んだときから、期待はまったくしていない。アレンは「ティフォシたちがシューマッハーを彼らのヒーローとして愛するようになるかどうかは、時が経ってみなければ判らない」と書いたが、その答えは恐らくはもう、出ている。
時代を超えた比較については、幾度も「意味を感じない」と言い切っているとおりで、読むとしてもきっといちばん後回し。F1マシンというのは、それからドライバーというのも、その時々で背負う背景が違っていて、それゆえの強さうつくしさ魅力を放つ芸術品だから、たとえばエジプトの壁画とモネの絵を並べてどちらが素晴らしいでしょうと訊ねるようなものだと思うのだ。
タイヤに関する記事は面白かった。知人が散々、同じタイヤだったらここまで差はつかない、けれどそれは言っても詮無いこと、とぼやいていたので、だいたいの事情は想像していたとおりだったが、フェラーリ=BSの連携が如何に綿密なものかとか、MI
側のどうしようもない部分だとか、きちんと解説されるとほっとする。開幕前に散々、単独チーム開発と複数チームによる連携開発とどちらが有利かという議論があったけれど、結論から言えば前者に軍配。そして勝因・敗因のキーワードは、「特化」だった。
…冒頭のウィンザーのコラムが、今後のF1の展望について思い切った発言をしていて興味深い。一理あるなと思ったので、日本版を探してみて載ってなかったらちょっと紹介してみようかと思っている。
10/17(日)
ジェンスの一件は待ちの一手にて。私の彼に対する見方が変わることはありません。ただ早く決まればそれだけDCの進退も早くはっきりするよなと、それだけは生殺し状態でドキドキしてますが。
エコノミストはまだ読めてません。何やってるんだか…。
■ハレとケ
下で書いていることを、もっと巧く言えないかなと考えていて、「ハレ」と「ケ」という言葉を思い出した。定義をもういちど確かめておこうと検索をかけたら、思わぬ拾いものに出くわしたので、紹介する。
>松野清 「文化事業の開催に向けて」
(1) (2)
▽大衆社会が成すると、消費が経済活動の重要なファクターになる。文化も商品化されていく。そうすると儲からないものはもう止めておこう、というふうな形で偏りや優れた文化の切り捨てが生じる。そのまま放っておくと、ますます本当に本心から好きな文化と、商業主義的な文化によっていわば「選ばされている」ものが離れていってしまう。だから、どんなに華やかに文化が栄えているように見えても、いったん欲望の開発競争のスピードが鈍ってくれば、もともと「他人の欲望」であるから、憑き物が落ちるようにパタッと落ちてしまって、文化的なバブル崩壊が生じる。
▽イベントというのは、本質的には民俗学でいう「ハレ」の時間・空間に関わっているもので、「よそ行き」の、日常から離脱した時間・空間。そこでは、時間も空間も人と人の関係も、皆ある意味で「虚構化」されている。だがそれは「文化」の半面でしかない。身近な例を出せば、茶の間のTVも、食事も、食器も、服装も着こなしも、家も住みかたもすべて文化だと考えられる。これら日常の中の文化を洗練して取り出すと、芸術となる。「ハレ」の文化に対して日常の文化、「ケ」の文化と言える。
▽実は、人間にとっては、そういう生活・日常の文化のほうが先であり、元であり、豊かな日常の文化があってはじめて、高度な芸術、洗練された「ハレ」の文化があるのではないだろうか。芸術や芸能というのは、「ケ」の文化の抽出なのだ。
▽イベントを、「イベント型」イベントと、「装置型」および「風景型」イベントとに分類する考え方がある。「イベント型」が「ハレ」の共同的な遊びであるのに対し、装置型や風景型は「ケ」のイベントだと言え、それが抽出され、生まれてくる土壌、日常的な「ケ」の文化を豊かにしていくという観点が重要になる。
英国に暮らして実感したのは、かの地ではモータースポーツは「ケ」のイベントであるということだ。これはGPであっても本質は変わらず、日常の延長線上としてF1を楽しんでいる。一方、私が日本GPへ行くのは、たびたび口にしているとおり、「お祭り」だからだ。イベント型イベントとして認識しているわけだ。
この差は、それこそ「生まれてくる土壌」のあるなしだと思う。身近さと言おうか、あの国では、F1のテストを見学しに行くというのが、これっぽっちも特別な感覚ではなかった。
F1はバブルの時代の、終盤に差し掛かっていると私は考えている。崩壊するか、食い止められるか、いずれにせよバーニーの打ち出している方策は、一時凌ぎにしかならないような気がする。
10/12(火)
■英国GP問題について
来年のカレンダーに英国GPが組みこまれるかどうかは、明日まで待てば判る。だが、単純に生き残るかどうかではなくて、なんとなくバーニーのやりかたに疑問が残ったので、片っ端から報道記事を読み漁ってみた。
英国で、いちばんこの問題を本格的に追求しているのは、"The
Daily Telegraph"(無料登録制)だ。問題が噴き出した9月末から今日までの間に総計20本もの関係記事を掲載している。執筆陣は9名にのぼり、中にはデイモン・ヒルの寄稿や、同紙のビジネス担当特派員なども含まれ、BRDC側の主張、バーニーの主張、政府の立場、ファンやドライバーの希望、ビジネス面からの分析など、様々な局面から取り巻く状況や関係各者の素顔を紹介していて面白い。
状況を簡潔に纏めて報じているのは、"The
Independent"(英国GP関連記事は現在フリー公開中)。記事数は同じ期間に9本と少ないが、だいたいの話の流れとバックグラウンドを理解するのに十分なだけの情報は載せている。
疑問点の整理にうってつけは、ITVのアレンのコラム。読者からの質問に答えるという形式で、問題の核心を抉り出している。ITVでは、あとは「どうして我々は英国GPを愛するのか?」と題した記事が面白かった。(賛同したり首を捻ったり)
デイリーテレグラフの路線は、公平を装いながらもはっきりしたバーニーへの批判姿勢は一貫している。読者投稿などの量を見ても、一種の批判キャンペーンのようにも見える。ITVは、自身が放映権に関してバーニーと利害関係にあるため、キャンペーンを展開したりはしない。そんな斜め方向からの読み方をするのも、また一興。
私は、F1というのは、結局どこまでいってもヨーロッパのスポーツであり、汎用性には乏しいと思っている。それは、参戦チームの殆どが欧州系であるとか、欧州にファクトリーを構えているとか、莫大な資金がかかるとか、単純にそういう理由だけではない。F1という存在の発祥が欧州に根ざしており、欧州の社会・人脈の中で育ってきた文化だからだ。
ひとつの文化が別の文化圏に根を下ろすには、気の遠くなるような時間がかかる。たとえば日本はGPを開催して10年以上になり、毎年鈴鹿はたいそう盛り上がるが、モータースポーツそのものは未だ一部の好事家のスポーツに留まっており、日本の文化であるとは到底言えない。多くの日本人にとって、F1というのはスポーツというよりは、エンターテインメントなのだ。この方向性は、他のアジア諸国においても同じだと考えられる。ましてや、貧富の格差が大きく未だ経済成長過程にあるアジア諸国が、現在のF1にチームとして(スポンサーや単なるオーナーとして、ではない)参戦し活躍できるかと考えた場合、実現の可能性はどう見積もっても低い。また、日本人が未だに直面しているような一種の人種差別的排他の精神が、F1にはある。開催地は世界各国に跨っていても、結局は欧州のスポーツだと私が言うのにはこういう背景もある。
何事においても、ルーツというのは大切だ。木を植え替えるとき、ごっそり抜いて別の土地に移し替えても大抵は水を吸い上げられずじきに枯れてしまう。コマーシャル性の高さは認識しているし、欧州で視聴率・観客動員数が落ちているのは事実だが、かといって欧州離れを促進することは、長期的に見たときにF1の将来を難しくするのではないだろうか。
(たぶんまだ続きます。何故ならまだ↑の新聞記事は読みかけばかりだから。別口で、エコノミストがF1の金の流れをフローにしている記事もひょんなことから入手したので、こちらも面白かったら何か書きます。)
10/11(月)
↓の記事は、昨日書いていて途中で眠くなってアップする前に寝てしまったもの。
鈴鹿に行っていた皆様、お疲れさまでした。面白いこぼれ話などありましたら教えてくださいね!
ここのところ、シルバーストーン問題と、バーニーのマーケティング手法などについて、つらつらと考えています。近いうちに何か書けたらよいのですが。
10/10(日)
えー、下で強気なこと云ってますが、流石に出発2時間前に祖母がICUに担ぎこまれたらいくら私でも諦めますよ鈴鹿行き。てなわけで、トワイナムに引き続き再びキャンセルです。今年は昨年にも増してDC応援モードで行くつもりだったのになぁ。
と、電話で現地の友人に話したら、「だからじゃないの?」と言われました。……そーかそんなに私に会いに来られるのは嫌かデイビッド…(黙)
■日本GPライブモニタ観戦感想
間の悪さ世界チャンピオンの称号をDCには捧げたいと存じます(T T)
すごくいいレースをしてたんですよ。スタートで1台抜いて、ウェバーはコース上で抜いて、2ストップストラテジーで着々とポジションを上げて、L/T(ラップタイム)もよくて一時はジェンスに0.8秒まで迫って、このまま行きゃあ次のピットストップで表彰台狙えるか?という状態。もっとも、対ジェンスとの戦いは彼が先に2回目のピットストップを行った事で状況は一変してしまい、今思えばそこが分かれ目だったかな。ジェンスはどんどんL/Tを上げていくのに対し、重くなった&前後を他の車に囲まれたDCのL/Tは伸び悩んでいて、逆に琢磨とのポジション争いが微妙になってきてしまった。そして最後は、バリチェロとどかん。
2回目のピットストップのタイミングは、予定どおりだったのかもしれないけれど、もし仮にこれがジェンスとの膠着状態をなんとかするための対策(L/Tは全般的にみてDCのほうが良かったので、給油しても前が開けたほうが早く走れるという判断)だったとすれば、それは完全な読み違い。…だなんて結果は素人でも予測できるので、たぶん予定どおりだったんでしょうけどね。何にしろ、間が悪かったということ。パフォーマンスでは週末とおしてチームメイトを上回ってましたから、よしとします。残念は残念ですけど。
ジェンスの、最後のピットストップに向かう部分の追いこみは、思わずニヤリとする出来でした。上記のとおりデビとの兼ね合いがあったので、単純に喜ぶわけにもいかなかったのですが。
ラルフの表彰台は本当にもう久々で、それだけで幸せになれてしまう自分はやっぱりこの子のこともちゃんと好きなのだと思います。
そして兄さん……私に、何を、言えと。
フェラーリ&BSのタッグは、どう足掻いても太刀打ちできないペースで、ただ溜息をついて眺めるしかできませんでした。ひとりだけ、ずーっと33秒台キープ。ラルフも頑張っているけど、次元が違う。途中ルビーニョもL/Tを上げるから、マシンとタイヤの組み合わせによるベースラインがそもそも他のチームと違うのでしょう。(実は知人がこれを以前にぼやいてまして)
それにしても、私が行けなくなったと判った時点で友人には「ミヒャエルが勝つよ」と言い切ってましたが、本当に勝ちました。ミヒャエル・ファンをやってかれこれ10年、そのうち5回は生観戦してますが、そのうちの一度としてこの人、私の目の前で勝ってくれたことがありません。ドイツ国歌は観戦第1回目から暗記していつでも歌えるようにしてるのに、歌った試しがありません。DCといい、どうして私の好きになるドライバーは私につれないのか…(滝涙)
>地上波観戦後追加事項
・ DCと琢磨とのポジション争い@最終ピットストップ、について。脇坂くんの計算上では、「DCは必ず前に出られる状態」(=4位は確実)だったらしい…。
・ 琢磨のレースは、最初にジェンスに前に行かれたことによって完全にスポイルされたとみていい。後からチームが順位を入れ替えたようだけれど、オーダーを出したのが本当なら、もっと早い段階で出すべきだった。同じことが、アロンソとヴィルヌーヴのふたりにも言える。速やかな判断ができるか否か、このへんがフェラーリとの差のような気がする。
・ 脇坂君と森脇さんの会話は、非常に含蓄があってよかった。一方の実況席は、黄旗の存在に気づいていながら雑談を優先。実況ができないのならいっそコメンタリーなど廃止してしまえばどうか。(副音声でマシン音だけとかできないかなぁ)
・ アグリさんのラルフに対するコメントが好意的なものばかりで、どうしたのかと思った。日系チームに加わるってことはそういうことなんでしょうか。でも私、個人的にはラルフに開発能力や牽引力がそれほどあるとは考えてないんだけど。
10/2(土)
火曜日に祖母が退院してきまして水曜日から怒涛の勤務状況でした。すっかり週末更新なサイト。鈴鹿には何とか行かれそうです。というか無理矢理行く腹積もりのようです…。(遠い目)
■今更の上海GP感想
莫迦ばっかり…!(滝涙)
本当にもう、↑の一言で済ませてもいいですか…。(いやラルフはあきらかにとばっちりではあるんだけどでもねー…)
序盤の段階で、「これでラルフとDCが絡んだりしてなー」と怖い冗談を飛ばしてたら、それが現実になっちまいました。子供っぽい意趣返しをかましてみる29歳は可愛らしかったですが。でも君らそんなだからトップチーム空手で出てく羽目になるんだよもー。大人しくしてりゃお互いきっちりポイント獲れたものを。
ジェンスについては、本人も言ってますがスタート失敗が響いてますので誉める気は更々ないです。王様はねぇ、直後はいろいろとそりゃー考えましたよ考えましたがね、一週間たったら屁の河童。その程度には信頼しているということらしい。タイトルも確定してるしこれまでに充分すぎるほど沢山魅せてもらってきたという感謝の念が強いこともあり。にしても、勝てば面白みがないと文句を言う癖に、負けると悔しいこのひと(私)の我侭ぶりはどうにかならないもんでしょうか。
上海は非常に映像映えするサーキットであることが判明。バンクのついたコーナーがとくに。パッシングのシーンなぞ、不覚にも燃えてしまいました。うんそういう意味では巧いんだよねティルケ氏。じゃあサーキット自体が好きになれるかというとそうでもないんだけど。それにしても凄い埃だった…さすが中国、侮れん。
エンジンは、きついきついと騒いでただけあって、皆さんきちんと安全圏で収めてきたようです。ち、つまらねぇ。(暴言)
でもって、地上波に苦言を呈するのは本当にそれこそ今更なのだということは百も承知でこれだけは。レース関係者が、「ミナルディは何のためにGPに出走しているのか解らない」なんて言っては駄目だと思うのですよ。ファンが言うのはともかく、自身レースに携わる人間が、レースを愛しているのなら、決して言ってはならないと思うのですよ。
というのは、以前私も同じようなことを考え、「参加することに意義があるのかもしれないけどさぁ」と否定的な内容を、口にしたことがありまして。知人に、言下に叱られました。「F1というのはプロスポーツだから、参加することに意義があるなんて甘えは許されない。そんなことはレースをしていれば自明で、それでもなお参戦してくるにはそれなりの理由や覚悟や目標があって、それぞれの目標を達成するために誰もが全力を尽くしているんだ。他所の人間が外から見てあれこれ批評するべきことじゃないね」と。彼は下位チームで燻っていたこともありますし、そこからこつこつと上位を目指して優勝まで辿りついたこともある。私は、素人の了見の狭さを恥じました。だから今回、ほかならぬレース関係者が素人紛いの感想を公共の電波に乗せたことは、ショックでした。
…と、ここで言っても詮無いことなんですけどね。
【更新】
雑記に「97年ヘレスの記憶」をこっそりもう1ページ分アップ。大変なのは次の部分です。レース分析。資料は揃ってるんだけどねぇ…(足りないのは取っ組む覚悟)