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ヒトリゴト。
Let's talk about What you love.


11/27(土)

■トニが決まったー!(喜)

ガルデマイスター、フォードと一年契約!正式発表されました。あー…よかったよかった。コリンちゃんと違って、私はこのひとをどうして好きになったのか実はあんまりよく憶えてないんですけど(をい)、時々走るだけなのに気づいたときには気になってた人なのでした。コドライバーが来期から交替するので、どうなるのかな…わくどき。レギュラーなんだから十勝も来るんだよね…。来年は行くか…(お目当てさえいるなら山越えだろーがやってやろーじゃねーか!←無事帰ってこられるかは謎;;)

これでとりあえずひとつ片付きました。あとふたつ。…まぁコリンはWRC走らなくても本人満足できるんならそれでいいんだけどさ。レッドブルのウィルドハイム放出により、DCに希望、というのが英国メディアの見解。マテシッツがロイターのインタビューで「開発のノウハウを知っているベテランドライバーとして、たとえばクルサードやハイドフェルトがいる」と発言したと、今日付けで報道されたためですが、これは別にクリエンやリウッツィの可能性を否定するわけではなく、後者の可能性のほうが高いのは今も同じでしょう。ただ、以前にビルトの報じたところでは、マテシッツはDCには興味がないと言っており、今回態度が軟化したのは、質問の仕方によるものか、何らかの心境の変化によるものか、要するにファンとしては早くシロクロつけて欲しいのですが!(笑)

■ラルフィのインタビュー@F1Racing

特別面白いものでもない。が、来期について、まだチームに合流してもいない現時点で多くは喋りたくないと言いつつ、「トップ5にちょくちょく食いこみたい」と。つまり、自分がどういう立場のチームに行くのかということはちゃんと理解しているらしい。
ヤーノと組むことについて、「彼のようなチームメイトを持つのは、プロジェクトを進行させるうえで随分楽になるだろう」というコメントに、妙に裏を勘繰ってしまう私は素直ではない、だろうか(いやJPMとは苦労したんだろうなとかね)。
ウィリアムズ在籍5年というのは、チーム史上最長だったというのは、最近まで気づかなかった。しかし、思い出はと訊かれて、ろくな答えを返していない。重ねて問い掛けられて、ようやく「パトリックは時々気難しくて一緒に仕事をするのは大変だったけれど、サーキットを離れて赤ワインを傾けるときは、いい雰囲気だったよ」と。
彼がウィリアムズに移籍したとき、私はここで彼はチャンピオンになるだろうと期待した。多少落ち目ではあったけれど、いいチームでありいいスタッフであるのには間違いなかった。やがてBMWの梃入れで少しずつ上向きになり、初優勝をした頃からは、よし行ける、と思っていた。何が、いけなかったのだろうか。最初のうちは随分厳しいコメントを書いていた私も、そのうち何も書かなくなった。新たに書くような内容を、見つけられなくなった。今から思えば、ラルフのウィリアムズ行きは、当初私が(そして恐らく本人も)描いていたような薔薇色の人生ではなかった。
ラルフの所為、ではない。ただ、彼は、彼の兄さんほどに、強烈に強引に周囲を巻きこんで突進していくエネルギーに欠けていただけだ。そしてチームも、簡単に騙されてくれるようなお手軽な集団ではなかったということだ。彼らの関係は、(非常にウィリアムズらしいといえばそうだけれど、)結局、チームと雇われドライバーの一人、の域を出ることはなかった。
幻滅するほど、強い期待を抱いていたわけではないから、現状を認めてそこから再出発することは難しくない。評価は来年の春にしよう。春が早すぎれば夏にしよう。そうやって日延べしていくことこそが、私の彼への心情を代弁しているのだろうけれど。



11/25(木)

■F1Racingの"Man of the Year 2004"

今年は投票し忘れました。…というかそれどころじゃなかったというか(実生活が)
ざっと見た感じ、だいたい予想どおりです。フェラーリはピットクルー大賞、カーオブザイヤー、チームプリンシパル大賞(トッド)、今回新設のテクニカルディレクター大賞(ロス)に加え、ミヒャエルがドライバーオブザイヤーとマンオブザイヤーをきっちり揃えて「お持ち帰り」しました。今回はそれに加えて、予選大賞もミヒャが獲っていたのが、ちょっと意外(これまでのミヒャの歴史を振りかえると)ではありましたが。いや、予選、ぶっちぎりなんですよ。吃驚。
ピットクルーオブザイヤーとマンオブザイヤーは、夫々これで5年連続です。ドライバーは去年アロンソに持ってかれたんですよね。普段どれだけ話題にしなくても(昔に比べてこのひとに関して喋ることが格段に減りました)、或いは貶すようなことを呟こうとも、自分の中の主軸がどこにあって、誰が基準で、そして誰のことがいちばん好きなのか、を、こういう機会に再確認させられます。思わず緩んでしまった頬がなによりの証拠。(クルー達の仕事ぶりがいいということ=チーム内の人間関係がとてもよいということ。つまり、求心力の存在は大きいと思うのです)
どこにどんな浮気をしようともそれらをすべて越えて、だいすきだなぁと臆面もなく云えてしまう対象を持つというのは、幸せだなと、あらためて。
(ミヒャは他にZDF特番の視聴者投票でも20世紀最高のスポーツマン賞(訳適当)とやらに選ばれてますが、こっちは私、グラフが3位というのがむしろ嬉しかったかも。←そりゃミヒャ以外がトップだったら卓袱台ひっくり返してたかもしれませんけどね)

あ、今年も、F1Racing関係者投票があったのですが、そっちはまだ読んでません。追々。(でも去年までのように纏めはしないと思います。日本版が出るし。) 各種レビューも、ゆっくり読むことにします。たぶんラルフィのインタビューと、ロリーのインタビューとで、手一杯になる予感。12月に出張が入っちゃってどたばたしてるんですよ今。

■コリンちゃん。

シュコダから来期のオファーが来てたんですが、蹴ったそうです…。理由は、自分の期待する競争力が得られないと解ったから。将来のことで現在すでに決定しているのは、パリ=ダカに出走するということだけで、他にもWRCのチームや他カテゴリーと話し合いは持っているが、どうなるかは不明とのコメント。…蹴るってことは、それなりに勝算があるとみていいのだろうか……。
好きな人がいるといないとじゃ、やはり入れ込みようがまるで違うのだということを、今年は実感しました。レースは確かに面白けりゃそれはそれで観る価値はあるけれど、現地までわざわざ行こうと思わせるのは、御贔屓の存在です。勝敗は別として、走ってくれてるだけでも嬉しい。そういうもんだ。
嬉しいニュースがひとつ。トニ・ガルデマイスターは、どうやら来期、フォードのレギュラーシートが決まりそうです。マルティンと交替する模様。もっともまだ決定ではありませんが。

ウィリアムズは1月にラインアップを発表するそうですが…それまで生殺しかいな…。



11/21(日)

うっそん。いつの間にこんなに時間経ってるの。そしていつの間にマカオGP終わってんの…!?(をい)
そんなかんじでした。ここ最近、F1の将来はどうなるんだろうとか無意味なまでに果てしないことをつらつら深刻に考えつづけてました。巧く言葉にならないのが判っていたので、腹の裡だけでこっそりと。勝手にバーニーとかモズレーとか自動車会社のトップだとかせちがらい世の中だとかメディアとか時間の流れとかに憤ってました。変わっていくことが悔しくて怖いなんて、まるでちいさな子供のようなことを。変わりゆくものを止めることなどできないと知りながら。
ミヒャエルが引退する時が遠からず訪れる、ことなら、とうの昔に覚悟を決めていたけれど、その他のいろいろなことがこうも音を立てて変わっていくことはその頃は考えてもいなかったので。私が親しんだF1というものが、徐々にしかし確実に姿を消しつつあることに、今更ながら気がついて愕然と立ち竦んでました。いやまだ現在進行形なのかな。よく解りませんが。
合間に幾度か知人と話す機会も得まして、別に↑のよな具体的な話はしませんでしたが、少し、ああ、と腑に落ちたことがあって、ちょびっと浮上できたかもしれません。
以下、愚痴。(暗いので読まないほうがいいかもしれませんが吐き出したいので書いときます←傍迷惑)

たぶん、F1は今、成熟しきって大きな転換期を迎えている。放っておけば、熟れ落ちるだけだ。私はそれが怖かった。
自動車の発明と発達とともに自動車レースは育ってきて、その頂点にF1は君臨してきた。自動車の発達は、工業の発展と重なる。技術と資本の粋を尽くして世界最高の工業品をつくりあげ、それを芸術と呼び、人類の繁栄の象徴と為す。ひたすらな向上心が奨励され、上へ上へと登りつめるための贅沢は当たり前に認められた。その最たるものが、F1だった。
今は違う。膨張した世界経済は今までのような上昇線を描けず、贅沢は許されない。産業の中心は、工業から商業へ、ものづくりからサービスへ、形ある製品から見えない商品へと移っている。モーターショーなどに出品される自動車の売りは、いまやエコであり福祉であり乗り心地であり、速さや強さや恰好よさではない。最も速く、最も強く、最も高価な工業的芸術品(のひとつ)であるF1マシンの居場所は、巨大な商業ショーの中にしか残っていない。ショーというのは常に斬新でなければならず、繰りかえされればされるほど、飽きられて捨てられていく。そういう、食い潰される運命を想像して、絶望的になっていた。
そんなとき、知人が言った。これからはレーシングマシンといえども環境問題を念頭において開発していかなくちゃならん、と。今のレギュレーションではガソリンエンジンしか作れないけれど、そのレギュレーションをこれからは変える方向で自動車会社が頑張らないと、と。驚いて聞きかえしたら、あっけらかんとした答えが返ってきた。「だってそうでもしなきゃ生き残れないだろ、レースが。」
ああ、なんだ、と、そのとき思ったのだ。諦めてない。中にいる人たちが、諦めていない。ならばきっと大丈夫。どんな形になっても、F1は生き続けるだろう。幾らだって脱皮すればいい、本質は変わらない。そして私が愛するのは、その本質の部分に他ならないのだから。
暫くは、それでも、悔しかったり悲しかったり寂しかったり、するだろう。喪われたものを、喪われゆくものを想って、落ちこむだろう。それでも、たとえ一旦離れることがあったとしても、最終的に還る場所はもう決まっているんだろう。
十年前のあの日、ミヒャエル・シューマッハーという形を取って私を虜にしたレースの魅力は、F1がその当時の姿を失ったくらいで消えてしまうような、そんな軟なもんじゃない。つまりはそういうこと。
そんなノスタルジックでセンチメンタルな秋を、ひとりで勝手に過ごしていたのでした(笑)←笑い話にしといてください後生だから(汗)



11/2(火)

■DCのインタビュー@AtlasF1

アトラスは時折、思いもかけない面白いインタビューを掲載する。これも、そのひとつ。
インタビュー時期は最終戦直前。単純な表面的な来期の展望に留まらないのが、いい。返答にはデイビッドの人生観や、その変化や、英国人らしい諦観と開き直りが見てとれる。思わず片頬がにやりと歪むこともしばしば。

「F1ドライバーの究極の目的は優勝であり、タイトル獲得だと思う。でも、勝つことが現実的な目標になりえない状況だったとしても、持てる道具、選べる選択肢のすべてでもってベストを尽くすというモチベーションがなくなるわけじゃない。勝てないからといって、おもちゃを放り捨てて『もう家に帰る』と不貞腐れなきゃならない法はないんだ。やる気のある人々と一緒になって、自分の判断でもって、何かを変えていくというのは、それ自体がすばらしい挑戦なんだよ。」
「たとえばほんの少し長くその場に居座っていて、突拍子もない思いつきが降って沸いたとする。それを聞いたエンジニアが、『やってみよう』と言ってくれ、暫くして何らかの成果を携えて戻ってくる。それはその日のレースや、次のレースで優勝できるようなセンセーショナルな発明じゃないかもしれないけれど、ドライビングを少しばかり楽にしてくれるものだったりする。こういうちょっとしたことが、いわゆる『それなしでどうやって生きていけというんだ?』と言う類のモチベーションになるんだ。」
「僕はF1のこういった側面が好きなんだよ。きみたちジャーナリストの立場に立ってみれば、レースに来る毎に、どのチームもいつも同じようなコメントしか残さない状況がフラストレーションの溜まるものだろうという想像はできる。誰もが、どこが進歩したの、あれを開発したのこれを工夫したのという中から、僅かばかりの本当に意味のあることだけを拾い出して満足の行く記事に仕上げるというのは、大変だろう。でも、それでもきみらはGPにやってくる。それは決してF1について書く義務を負っているからってわけじゃないだろう?きっと、僕らと同じモチベーションじゃないかと思うんだ。GPにやってきて、何かに興味を持ち、宿題を成し遂げて、情報を集めて、何らかの結果を導く、という点でね。」
「正直な話、今年になるまで、自分の記録になんてたいした注意は払っちゃいなかった。今年は、名刺を右手に、自分の記録を左手に、人に挨拶して回る羽目になったからね。そうしたら、これまで自分の成し遂げたリザルトを壁に貼って、人に自慢するのが素敵なことのように思えてきた。僕がここまでの結果を残せたということは、たとえいいマシンに乗れていたからだとしても、単なる偶然じゃありえない。つまり、記録というのは僕の10年間の努力の結晶であり、そういう意味で大切なものだ。」
「僕の目当てははっきりしている。レースを続けることだ。GPに出走させてもらえる中で、いちばんコンペティティブなシートを手に入れることだ。僕はF1が楽しくて仕方ないんだ、それを、どうして、トップチームを追い出されるからって辞めなくちゃならない?世の中にはどうも、トップチームにいて、そこを出るときは引退するときだという風潮があるけれど、おかしいだろう、僕はまだ33歳なんだから。もしレースをもはや楽しめないとか、くたびれてしまったとかいうなら、それは辞め時だろう。ただ僕はまだその気じゃないんだ。」
「レースを辞めたら何をするかって?たぶん何かビジネスに取り組むだろう。今はあまり考えていないけれど、朝自分をベッドから叩き起こしてくれ、欲求不満や挫折の原因ともなり、派生する問題を自力で片づけたり、その果てに『よぉし、巧くいった、幾らかは進歩したぞ』とか『こいつは思ったより厄介だったな、さてどうしたものかな』とか呟くような、そんなビジネスだ。つまり、モーターレーシングがもたらしてくれるような効用を持つビジネスだね。」
「僕がキャリアの終わりに近づいているのは事実だよ。でも、だからといって僕は決して絶望的に足掻いているわけじゃない。ただ単に、F1のパドックというのが、今の僕にとって他の何処よりも気持ちよく週末を過ごせる場所だってことさ。」
(以上、"Last Man Standing: Interview with David Coulthad"より抜粋、意訳。)

文章自体は、デイビッドの喋っている部分はテープ起こしのケバ取りと呼ばれる処理をしただけと見え、完全な会話調なのでとても解り辛い。同じ内容が何度も繰りかえされていたり、やたら長かったり、インタビュー記事というのはできれば簡易なリライトをしたもののほうが意味が伝わりやすいので、その点では下手な記事だ。一方で、話しているDCの感情の流れが伝わってくるという点では、成功している。要するに、解りにくさ回りくどさもまた、DCの持ち味ということ。
こういう内容を、他の誰かが言ったのなら、建前だとか見得だとか強がりだとか思うところだが、デイビッド・クルサードという人は、本気でそう思っていそうだと思えてしまうところが、面白い。
そうそう、インタビュー中で彼が自分の出身地を"a small village"と言っていて、そうかやっぱり「村」でいいのね!と手を打った。(私の知る英国人は皆、どう見ても村でしかないものを「町=town」だと言い張って聞かなかったもので…苦笑)



11/1(月)

ジェンスの来期については、意外な結末だった。契約上どうあれ、こうなってしまっては本人もチームもやり難かろうから、違約金をふんだくって放出というかたちになるだろうと予想していた。
契約を反故にさせて有望株を引き抜いた結果の成功例で有名なのは、ミヒャエルだ。当時ベネトンのフラビオ・ブリアトーレは、誰が見ても強引と言い切れるやりかたでジョーダンからミヒャを引き抜いた。エディ・ジョーダンとは後々まで揉めたが、結局金で片をつけた。遣り手のビジネスマンという点で、デイビッド・リチャーズはフラビオと通じるものがある。訴訟を起こして手に入れたいのは、ドライバーではなく金、だと思ったのだが。もしかしたら今頃いちばん困っているのは、リチャーズなのではないか――と考えるのは、流石に穿ちすぎか。
いずれ出て行くドライバーがチームの牽引力となれるか。その命題の難しさは、今年ウィリアムズが身を以って証明している。そして今年のBARの躍進の影には、間違いなくジェンスの牽引力があった。来期のBARは、今後チームが伸し上がっていかれるか否かの正念場だ。琢磨がどの程度存在力を見せつけられるか、にもかかってくる。

■来期のレギュレーションについて

ざっと見たかんじでは、戦略にもっとも深く影響してくるのは、エンジンではなくタイヤだろう。エンジンの耐久性は、さすが自動車メーカー、今期開幕前の不安を吹き飛ばす性能を披露してくれたから、来期も同様と考えられる。更なる耐久性向上のため多少大きく重くなったとしても、それをカバーできるパワーと車体バランスを実現すれば済む話だ。
ただし、予選〜レースをひとつのタイヤで戦うとなると、レースの区切り方そのものが変わってくる。極端な話、ピットストップが不要になる。もともとF1のピットストップというのは、給油のためではなく、タイヤ交換のためだ。FIAのスポーティングレギュレーションには「給油をしなければならない」という項目は存在しない。ガソリンタンクのサイズも規定されていない。タイヤのおいしいところを多く使い、燃料積載量を調節して、できるだけ速くゴールに辿りつくためのシミュレーションの結果が、現在の2〜3ストップ(どこぞが一回4ストップをやらかしたがあれは例外として)という戦略であり、それに最も相応しいサイズのタンクなのだ。だからもし、予選+レース走破ぶんの燃料を積み込んでノンストップで走ったほうが速いという結果が出れば、ピットストップそのものが姿を消す可能性すらあるのである。
90年代以降のF1は、いわば「速く軽く」を基準に作られてきた。軽いエンジン、小さなタンク、それらの置き方(=最良の車体バランスの探求)はその象徴だ。それがここにきて大幅な方向転換を見せている。耐久性のあるエンジンとレアメタル使用の制限は、小さなエンジンという志向を難しくした。いずれ軽くできないのであれば、いっそ重くてもさほど遅くならないマシンを作ろうという気運が生まれてもおかしくはない。そして重くても構わないという条件は、給油が必要という概念を根底からひっくりかえす。
けれど、1レースを給油なしで走りきるというのは、車体バランスの難しさという問題を抱えこむことでもある。2ストップや3ストップでも、車重変化によるバランスのバラつきに悩むコメントはドライバーから幾らでも飛び出す。F1マシンは繊細な生き物だ。ちょっとした温度変化や路面コンディション、風向きなどでコロコロと性格を変える。重いマシンで走れるように作るということは、この繊細さをより殺す方向へ進むということだ。それが、果たして速さに繋がるのかどうか。探求の為所だろう。
ちなみに、このネタを仄めかしてくれた知人からは、来期のレギュレーションで給油なしと給油あり、どちらが速く走りきれるでしょう?というクイズを出題されている。計算は、まだ、していない。(面倒くさいしね…笑)



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