ヒトリゴト。
Let's talk about
What you love.
9/26(日)
ご無沙汰してました。スコットランド行き損ねました。概要は先週末の自宅日記に記したとおりでして、同居中の祖母が緊急入院しましてね。休暇はまるっと、病院との往復に費やされております(T
T)
最初から障害ばかりでしたけど、直前にも予定のフライト(BA)がキャンセルになってスケジュール変更とかありましたけど、最後の最後でこうくるか…!みたいな…(泣笑)
よっぽど私に来て欲しくないんでしょうか、DC。遠すぎです、トワイナム。でも負けない。(笑←性懲りもなくまた計画する気)
いろいろと惜しかったものはあり、筆頭はITVの中継でした。↓でも言っているとおり、少し起爆剤が欲しくて。初めてのサーキット、彼らの濃厚な解説を是非聞きたかったのでした。
■上海GP 予選
そんなわけで、予定ならITVで楽しく観戦しているはずだったのが、いつもどおり地上波でぶつくさ言いながら見た。で、ラルフが帰ってきたのがせめてもだよなぁと思ってたら、ラストで吃驚した。これは英国行けなくてやさぐれてる私への慰めか…!?(笑)
久々に頭を使う出来事の発生に、一瞬呆然とした後、手を叩いて喜んでいた私は間違いなくファンの風下決定。いやでもこれで俄然面白くなったし。そりゃこいつを立て続けにやられたら流石にどうしようと思うけれども。最近、あまりにも可愛げがなさすぎて味気なかったので、この程度ならご愛嬌だ。
しかしあの歯切れの悪いコメントは何だろう。何が言いたい?ミスならミスだと認める御仁だし、見た感じは単なるポカにしか見えなかったから、あの歯切れの悪さには首を傾げる。あんな曖昧なコメントを残すことのメリットって何だ?或いは正直な理由を白状することのデメリットは?何かの戦略?考えすぎ?単なる失言?負け惜しみ?(←振り回されてる×2)
プレスリリースを見る限りでは、ほんとうに理由が解らない、ようにも思えるが、リリースをあんまり信用しないので、どうもこうも。スピンの瞬間ロスがどんな放送禁止用語を口走ったのか、読唇しようと思いかけ、我にかえった。あの人もごもご喋るから時間の無駄だ。ま、理由が解ったところで順位は変わらないし、ポカだとしてもまた同じことをくりかえすとは思ってないので、どうでもいいといえばどうでもいい。
目に付いたのは、ザウバー。PR戦略としては、新サーキットでの話題作りとしても、ヴィルヌーヴ+公衆へのアピールとしても、大成功だろう。…と穿った見方をしてしまうのだが、フェラーリが少々息をつける状況となったので、タイヤ・車体ともにザウバーに力を割けるようになったという面もあるのかなとも。
久々に予選をまともに見たが、無線を聞き取ることに無駄な意欲を燃やしてみた。
>上海国際サーキット
どうなの?と訊いてみたら知人は「俺は嫌い。」 即答の理由は、エンジンにきついから。
同じ人がデザインしているから、レース展開における効果としては同じようなプラス面が期待できるとは思いつつも、コーナーの形状は「どこかで見た感じ」なのがいっぱい。個人的な美意識からすると、いろいろ性格やビジュアルが違うほうが楽しい。などといいつつ、レースさえ面白ければそれで満足なのかもしれないが。
9/10(金)
訂正します。パリダカなんぞの前に、とにかくスコットランドです。トワイナムに早く行きたい。(でも早く行けば行っただけ早く帰ってくる羽目になるんですよね。休日は全部でたったの6日間。)
■ファンのスタンスを再構築する必要性
…を、ひしひしと感じています。自分が求めるものを、対象のドライバー或いはチームが産出できないとなったとき、どういう態度を取ればいいか。これまでは、最大級の関心事は常に一歩抜きん出たところにありましたから、他がどれだけ動揺しても、大黒柱が一本確り通って揺らぐことはなかった。勿論、いまだに何を中心に据えるかという点はたぶん変わらないのだけれど、そこに依拠する割合が減りつつある。満足、してしまっている部分が大きいので。
最大の関心事は、誰かさんの幸せなので、その意味では現状に異論はありません。不満がないとは言いませんが。一方で、何か「異変」が起こらないかなぁとぼんやり思っているのも事実。
いちどは、F1がなかったら生きていけないと思っていました。今は、F1がなくても生きていけるとの確信があります。ただし、それは随分とつまらない人生になるだろうとも思いますが。とりあえず一度、正面から向かい合ってみないと駄目かなァ。
などと言いつつ、現実はもの凄く単純で、たとえば中継がITVになったりすれば、全く問題なく盛り上がれるような気もしておりますが(苦笑)←RTLでもいいんだけど、ドイツ語はまだそこまで判らないのですよ。
情報を集める時間のない生活をしていると、中継てのがどんだけ貴重か思い知らされます。さめざめ。
■トワイナムへの道は遠し。vol.3
さて、宿問題は片付いたものの、まだまだ問題は山積している。(というか、全ての問題は時間軸的には平行して発生し平行して解決していったのですが、)ここにきて全てをひっくり返しかねない大問題が勃発した。即ち、飛行機のチケットが満席で取れない。(水爆)
当初、9月の連休をまるまる使うつもりでいたのが、どうやら誰しも考える事は同じだったとみえ、成田発グラスゴー行きはロンドン直行便もアムス経由便も、長いキャンセル待ちの列、待つだけ無駄との容赦ない返事。「キャセイだったら空いておりますが、」と言われても、トランジットの待ち時間がある南回りを使う体力も気力も時間的余裕もないので、お断りする。「ああ、ビジネスクラスならありますよ。」とのお勧めも謹んで辞退。とすると、日程を変えるしかなくなる。
ここで問題になるのが、休暇の日数である。うちの職場では、夏休みは9月末までに合計6日取っていいのだが、奇数月は仕事(雑誌校正)が山場であり、ただでさえ連休によってきつきつのスケジュール、おいそれと穴は開けられない。手帳と同僚と印刷所と相談し、なんとかもぎ取った日数は、3日だけ、だった。
この休暇日数と航空券の空席状況とを突き合わせた結果、旅行は23日朝出発、28日午後帰国、という強行日程。最初はロンドンでストップオーバーして友人の顔見てこようとか、どっかに荷物を預けて軽装でローランドを周遊してこようとか、或いはロッホローモンドで一泊してこようとか、グラスゴーで図書館によって某資料検索したいなとか、何しろ4年ぶりのスコットランド(しかもローランドは初めて)、とにかくのんびり満喫しようと考えていた、そんなプランは水泡に帰した。
成田を朝出発した直行便がロンドンに着くのが午後3時過ぎ、直ちに乗り換えてグラスゴー着が午後5時半。空港から中心街まで約20分、その日はどうあってもグラスゴーに泊まるしかない。一方、帰路の便は27日午後1時半発だが、公共交通機関に何が起こってもおかしくないお国柄、安全を期するなら前日中にはグラスゴーに戻っていなければならない。現地で自由になるのは24、25日の二日のみ。とにかくトワイナムへ行って帰ってくるだけの旅程になってしまった。
この日程の話を外国人の友人にしたところ、「え、休暇だと思ってたけどビジネストリップだったんだ?」と驚かれ、そうだよな欧米の常識からいったら夏期休暇が6日間ってありえないよなぁ…、とぼやいたら、今度は日本人の友人に、「それでも行くんだね」と笑われた。更に、「そんなにしてまで何しに行くの」と訊かれたので「DC博物館見に」と答えたら、「それだけかよ」と思い切り莫迦にされた…。(いいじゃないか好きなんだから!)
<しつこく続く>
9/9(木)
いつものことですが、間を空けすぎました。実はしばらく日本語(古文)脳になってまして、英語が微妙に面倒くさくてですね。一週間ほど仕事その他で英語漬けになったら、英語脳が起きてきました。にしても2週間分のニュース纏めて読むのは辛い(苦笑)
ラリージャパンは、始まってみたらあんまり真剣に追っかけてなかったな…。むしろその余裕がなかったとも言いますが(ちょっとニュース検索なぞしていたもので)。でも最大の原因はやはり、コリンちゃんの不在でしょう。今年、WRCは驚くほど不真面目です。心は早くもパリダカらしい。十勝は大会としては成功したようですけどね。(でもあの賞の名称はいったい。インマルサット=「国際海事衛星機構」)
ジェンスの件はもうどっちに転んでもシコリが残るというか…もうどうにでもして。待ってます私は。
■トワイナムへの道は遠し。vol.2
前回の続き。さて、何が障害だったかといえば、まず、トワイナムに宿が見つからなかった。
昨年検索で引っかかった村内のB&Bの、HP或いはメールアドレス情報が全部、ネット上から消えていた。英国はフリーサーバーサービスが発達しており、公式サイトが引越しをすることもままあるので、それかと思って再検索をかけるが、不発。電話番号のみならば小規模の宿泊施設案内HPで見かけたが、国際電話はちと痛い。思い余って、主義を撤回、現地の観光案内所に連絡をとり、仲介してもらうことにした。
待つこと一週間、かえってきた答えはというと、「現在、トワイナム村内に宿泊できる施設はありません。」(爆)
そんなはずは!…と食い下がり、もういちど調べてもらったが、どうやらどれもこれも店仕舞(?)してしまったようだという。最寄のB&Bは3マイルほど離れたところだと教えてくれたが、バスの通ってないエリアだということなので一発却下。単独旅行でレンタカーを使う気は更々ない。仕方なくスケジュールを若干変更して、先にカークーブリーまで出てそこで宿を取るか、というのが次の案だったのだけれど、こちらはコストと時間配分の問題でまたもや却下と相成った。カークーブリーは海沿いの、その辺りではいちばん大きなリゾートタウンになるので、宿泊料が高いのだ(とはいえ、グラスゴー市内やロンドンなんかに比べれば安い)。さらに、カークーブリーとトワイナムを繋ぐローカルバスは、かかる時間こそ10分強だが、本数が少なく最終便が午後6時半とあって、行動の自由があまり利かない。今回の旅行の最大の目的はあくまでトワイナムという村に行くことであり、その地でできるだけ長く過ごしたかったし、夕食なんかも地元のパブで済ませたかった。
最終的に、距離的には遠いゲートハウスオブフリートのファームハウスに落ち着いた。ここは、ダンフリース発ストランラー行きの定期バスのルート上なので、様々に旅程がアレンジできる。限られた時間、有効に使うためのカードをまずは一枚手に入れた。
<まだ続く>
9/2(木)
■トワイナムへの道は遠し。
↓であんまり先行き暗いことを書いてしまったので、お口直しでも。
DCの故郷"Twynholm"を訪ねる計画は、昨年に一度立てたことがある。時間的な都合から結局見送りになったのだが、今期の状況を見ていて、これは今年は必ず行かねば、と夏前頃から本格的にプランを練りはじめた。
"Twynholm"はスコットランドの方言で「トワイナム」と読む。スコティッシュローランド(南西スコットランド)、ダンフリーズ&ギャロウェイという地域にある小さな村だ。ネットで検索すると、何故か教会のHPが続々とヒットする。信心深い村なのか、はたまた単に聖職者が熱心なだけか…?
この地方は、北部のハイランドに比べ地形もなだらかで、湖というよりは小さな湖沼が点在している釣りのメッカであると同時に、多くの画家を魅了しているうつくしいエリア、だそうだ。このあたりの説明は、ドロシー・セイヤーズの推理小説「五匹の赤い鰊」(創元推理文庫)に詳しいのでよかったら一読を。
地図で見ると、スコットランドの南の端っこ、ちょうど西へ出っ張った部分の海岸沿い。グラスゴーやエジンバラなどより、イングランドの湖水地方(ピーターラビットで有名)なんかのほうがよっぽど近い。交通機関としては、グラスゴーから鉄道およびコーチが域内最東のダンフリースまでとおっている他、最西端のストランラーは北アイルランドのベルファストへのフェリーの発着港で、そこから海岸線に沿ってグラスゴーへ北上する鉄道・コーチのルートもある。しかし、地域内を横断する交通機関は、ローカルバス以外にない。セイヤーズの描いた1930年代のギャロウェイには、ダンフリース=ストランラー間にローカル線が確かに走っているのだが、或いは自動車の普及で廃れてしまったのだろうか。
そんなわけで、辿りつくだけでも一苦労の片田舎、どうせなら大好きな推理小説の世界も堪能してこようと、トワイナム、カークーブリー(Kirkcudbright)、ゲートハウスオブフリート(Gatehouse
of Fleet)に一泊ずつするという案を考えた。カークーブリーは「芸術の町」で美術館や博物館もあるそうだから、場合によっては二泊してもいいか、などと思いつつ、まずは宿探しに入る。昨年に一回調べ尽くしているので、幸いB&Bも幾つか心当たりがある。時期としては、9月の連休というのは、最初から決めていた。現在の仕事は去年までの職場のように、長期では休めないのだ。(精々三日が限度)
ところが、のっけから、思わぬ障害ばかりが連続発生。なんだか、こんなところでもやっぱりDCはDCだ、と苦笑してしまった。
<続く>
9/1(水)
■大好きなおやつを食べ損ねた気分@スパ
F1サーカスがスパにやってくると、ああ、夏も終わりだなと思う。もしかしなくてもここは私の目下いちばん好きなサーキットで、カレンダーから消えると聞いた時には全身の血が引く思いがした。
そんな話を知人としたら、「俺はなくなると聞いて嬉しかったんだけどな」という。理由を聞くと、97年のこと、スタート直前の数分の大雨で積んだコンピュータがイカレてしまい、散々な目に遭ったので懲りたとのこと。「スパ・ウェザーなんか大嫌いだ」
だがそのスパ・ウェザーこそが、ファンにとってのスパの醍醐味。たった一人の御贔屓に心を痛めていた頃はともかく、今となってはとにもかくにも予測がつかないことこそが、レースを見るにあたって何よりの楽しみだ。尤も、エンジニアにしてみれば溜まったものじゃなかろうが。
さて、そんなふうに楽しみにしていた本戦は、あいにく体調を崩していたため、おとなしくネット観戦となった。BBCラジオが中継でもしていないかと試してもみたが、予想できたことながらすっかりオリンピック一色だった。ちょうど半分を過ぎるあたりまでは快調に観戦できていたのだが、そのあたりから本気で調子が悪化し、已む無く撃沈。二時間程後に復活し、結果を確認したら、なんだか派手なことになっていた。
とまれ、私にとっての『最高に楽しいGP』は、DCがパンクチャーでピットインした時点で終わっている。とりあえずジェンスは無事なようだし、珍しい人が久々に優勝したりもしたし、まぁいいか、と肩を竦めながらも、一言だけ。
七冠なんて、達成できるとは、たとえば5年前には考えもつかなかった。本気で凄いなあと尊敬する私と、いい加減に誰かあの男を止めてくれよと頭を抱える私とが、心の中に半分くらいずつ。とんでもないひと好きになっちゃったもんだ、と途方に暮れる。正直言ってここ数年、彼を応援したことなんてないのだけれど。
偉大な記録を、たとえ勝利でではないにしろ勝ち得た彼の、雄姿をせめて、映像で見たかった。
■デイビッド・クルサードは生き残れるか。
また何やら自虐的なタイトルをかましていますが。
ストーブリーグについてはコメントしないと言っている最大の原因は云うまでもなくこのひとで、はっきり決まるまでは何も考えずにおこうと思っていたのだが、それでもF1Racing(9月号)の記事はイタイイタイと騒ぎながら読破。
ここを見てくださっている方々は私が阿呆なくらいにDC大好きっ子であることをご存知だと思うので、心置きなく歯に衣着せず白状すれば、私は今季限りを覚悟している。ファンとしては冷たいかもしれない。好きと自覚したのは2000年と遅まきながら(それまでも決して嫌いじゃなかったですが)だったうえ、何を置いても全身全霊を注ぎこんだ存在は別にいたから、それゆえの冷静さはあるかもしれない。
単純にシートがあるかないかということなら、話は別だ。キャリアの長さからいっても値段は安かないし、色々な意味でファーストチョイスではないだろうが、それでも彼の経験とネームバリューとを必要としているチームは皆無ではないはずだ。けれど、トップレベルの闘いを望める位置は、もはや手の届かないところに去ってしまった。
結果論にすぎないけれど、彼はマクラーレンに居座りすぎた。目測を誤ったともいえるし、引き際を間違えたともいえる。たとえば彼は記事中で、ミカに優勝を譲ったことを後悔していると告白している。だったら何故そのときその立場に甘んじたのか。ほんの少しの運さえあれば、とローリンソンは書いている。でも、その運すらも自分次第、なのがF1という世界ではないか。
洋の東西を問わず、ものごとには時節があるというのは常識。DCは時節を読み違えた、ということだろう。タイトルを獲る技量はあったと思っている。間が悪かったか、渇望の度合いがやや足りなかったか。どちらにしろ、形振り構わず勝ちに行くという姿勢のこのひとを想像できない以上、タイトルのことは仕方がないと納得すべきなのだろう――感情論は別にしても。
そして何より性質が悪いのは、そういう、どこか甘っちょろい部分もひっくるめて、私はこのひとが好きだということなのだ。何もかもかなぐり捨てても勝利を奪いに行けよ、と、ミヒャエルに向かってはあれほど簡単に言える言葉が、このひとに対してはどうしても言えない。それをしないからDCで、そんなDCだから好きなのだ。
仕方がない、という言葉はあまり好きではない。好きではないが、このひとに対してはもう、仕方がないというほか言いようがない。仕方がないので、今月末、彼の故郷をちょっくら覗いて来ようと思っている。