ヒトリゴト。
Let's talk about
What you love.
12/22(水)
■自分の意見を述べるということ。
11日に書いたものの続きというか、補足というか。
英国にも、ジェンスに厳しいコメントを述べる人は多い。しかしこれは、決してジェンスに逆風が吹いているということでは、ない。それが、いろいろな記事を読んだ後の私の感想。
私自身かの地を離れて久しいので少し忘れていたが、英国人(に限らないと思うが、私が確信を持って言えるのは英国人だけ)は、たいへんよく自己主張をする国民だ。言い換えれば、言いたいことはハッキリ口に出して言わないと、誰も察してはくれない。異議を唱えない=諸手を上げて賛成、とみなされてしまう。だから、職場の小ミーティングでさえ、喧喧囂囂の論争に発展することがある。ただしこのとき、相手の意見に反対するということと、相手そのものを否定することとは、明確に区別される。判りやすく言えば、さんざっぱら言い合いをした相手と、会議終了後に仲良く食事に行くことが、かの国では可能なのである。この前提があるからこそ、皆、自由に自分の意見を述べることができるのだ。
しかしこの前提は、日本には当て嵌まらない…という印象を私は持っている。日本では、反対意見を述べると、まるで自分の人格が否定されたように受け取って傷ついたり、感情的に噛みつき返してくる手合いにしばしば出会う。あんまりきっぱりと相手の見解を否定するのは、思いやりがないというわけだ。
英語と日本語の言語構造を加味して考えると、面白い。英語というのは、必ず主語があって述語があって目的語がある。もちろん英語にも婉曲表現というのはあるが、日本語に比べればそれでもだいぶはっきりしている。日本語は、主語も述語も目的語も、状況に応じて省略できてしまう。曖昧な日本、という言葉が昔流行ったが、日本の文化というのが曖昧さを大切にしてきた以上、ある意味しかたのないことでもある。
閑話休題。
ジェンスの件について、今後も厳しい意見を書く人はいるだろう。だがそれと同じくらい、好意的な感触をもつ人もいるだろう。どちらも自分の思ったことを正直に述べているまでだから、個別の意見の細部にまで、こちらが振り回される必要はない。たしかなことは、何をどんなふうに書き立てられようとも、結局は英国人はジェンスのことが好きで、彼に大きな期待を寄せているということ。マンセルも、ヒルも、そしてDCも、決して好意的に書かれてばかりきたわけではない。
もうひとつ、私の感じている英国人の国民性。彼らは、好きなものほど、論い扱き下ろし皮肉をこめて評価する。ユーモアのつもりなのか、単なる照れ隠しなのかは判らないが、ちょっとややこしい。(何故なら、時に本気で扱き下ろしているときがあるからです…苦笑。)
12/19(日)
ジェンスとかホンダとか考えてたらあっという間に一週間経過(爆)
出張に忘年会週間が重なりまして、ドタバタとあまり読むべきものが読めずにおりました。昨日も飲み会で出掛けてましたら、携帯にメールを下さった方がいらっしゃいまして。DC、レッドブル決定。ひとまず安堵の息を洩らしました。
この件(DC)に関しては、決まるまで、いっさい何も口にすまいと思っていました。あの世界、実際にサインされた契約書だけが頼りですから。どれだけいい評価をされていても、確実に手に掴んだと判るまではただ、傍観していようと。土壇場という言葉の恐ろしさを、スポーツの世界を覗きこんでいると随所で感じます。
レッドブルに行ったから、彼に何ができるかというと、あまり期待すべきではないだろうと冷たい感想を私は持っています。前にも書いたことだけれど、彼は既に機を逸している。それはもはやどうしようもない事実です。ただ、このままフェイドアウトというのだけは、嫌だった、その理由は今年、私が彼に会いに行かれなかったからです。
夏前から私は、今年が最後、であることを覚悟していました。いや、そういうと少し語弊があるかな。覚悟を、決めようと、努力していたんです。だからこそ、彼がまだ確実に現役である今シーズンのうちにトワイナムへ行こうと思いましたし、鈴鹿も、多少無理をしてでも行こうとしたんです。鈴鹿には、手作りのフラッグを持っていくつもりで、縫っていました。ミシンが壊れていたので、手縫いで。彼に貰ったたくさんの勇気や希望や幸せに対する、感謝の気持ちを伝えたかった。極東の国にも貴方を応援している人がいるよと、伝えたかった。それには、山ほど届くであろう手紙の一つでは、ちゃんと彼に届くかどうか判らない。サーキットのフラッグで、或いはトワイナムでご家族に直接、そんな方法を考えたのです。
結局、家の事情で両方とも、実現できませんでした。このまま彼が引退してしまえば、私は彼に有難うと言えないままになってしまう。それが、途方もなく嫌で寂しくて口惜しくて悲しくて堪りませんでした。
来年も、我が家の事情は厳しく、スコットランドまで行かれるかどうかは微妙なところです。それでも、それならそれなりのアプローチの仕方を考えるだけの時間が、できた。だから、安堵、なのです。
DCをはじめて意識してレースを見たのは、2000年のフランスGP。ちょうどその日、私はドニントンパークで、BF3を観戦していた。目の前で展開するサポートレースを眺めながら、耳は、BBCラジオのF1中継に釘付けになっていた。DCがミヒャエルを抜いた瞬間、私は無意識に「Yes!」と叫んで手を叩き、周囲の注目を集めた。訝しげな隣人に理由を説明すれば、あっという間にそこいら一帯に私の興奮が伝播し、人々が次々とBBCにラジオのチャンネルを合わせはじめた。ラジオを持たない人は私や他の持っている人の周りに集まりだした。とても印象的で、一体感のある素敵な光景だった。遅い時間に帰宅して、もう眠かったけれど、ITVのハイライトを見た。息詰まる攻防の末にミヒャエルを抜き去ったDC。恰好よかった。それまでも割と好きなドライバーだったし、飛行機事故のことなどからも尊敬をこめて見ていたが、惚れた、のはきっと、この日、だっただろう。
DCのシート決定の情報を胸に、帰宅すると、F1Racing 1月号が届いていた。引退に追い込まれてもシートが見つかっても大丈夫なように書かれた、ウィンザーの記事。厳しいけれども、愛情のこもった内容に、涙が零れた。嬉しいのか、悲しいのか、判らなかった。
12/11(土)
ジェンスの移籍問題について、英国での受け止め方がどうなのか、質問を頂きました。
私がこれまでこの問題を大きく取り上げてこなかったのは、発生時点〜今までの生活がどたばたしていた所為もありますが、そんなに問題視していなかったから、でもあります。私にとっては「よくあること」で、判定は意外ではありましたが、「そうと決まったのなら仕方がない」でした。
そのへんが、もしかしたら日本じゃ一般的じゃない感覚なのかな…?と思ったので、ちょっと意見を書いてみます。
ただし、私はまだ当時の報道のされ方や、マスコミ・ファンの見解に、殆ど目を通していません。これは、英国でほんのちょびっと就労体験をしてみた一日本人の、経験則からくる感想と、予想です。今、8月の報道と、こないだの判決の報道とをダウンロードしてきて、読んでます。読み終わったときに、ものの見方がひっくりかえっていたらごめんなさい。それから、現地での評判と食い違ってたら本当にごめんなさい。
■「契約書」とは何か。
契約社会の雇用関係において、「忠誠心」だの「義理」だのという言葉は、基本的に意味を持たない。不利益を被った側がそういう不平を洩らすことはあるが、社会全体の同意を得ることはできないだろう。また、契約執行中に双方がどんなコメントを発し会話を交わしたかということも、究極的には何の拘束力も信頼性もないとみていい。
極端なことを言おう。英国人には、嘘吐きが多い。それは人間性の善し悪しの問題ではなくて、文化の差だ。彼等はそのとき思ったことをすぐ口にする。しかし、それはその瞬間の気持ちにすぎず、永続的なものではない。翌日にすっかり忘れ去っていたからといって、必ずしも前日の発言が偽りだったということにはならない。言葉にした時点では確かに本気で、心の底からそう思って言っているのだから、余計に性質が悪いと私などは思うが。
たとえば職場で上司や同僚に仕事上のお願い事をする。一発で快く引き受けてくれ、口調や態度からは今すぐにでも適えてくれそうに思える。日本の常識からいくと、こういう場合に催促を重ねるのは相手を信頼していない証拠であり、無礼にあたる。ところが英国では、この状況では何日、何週間待っても何事も起きない。待ちくたびれて「どうなった?」と訊いてみれば、あっけらかんと、「え、だってあれっきり何も言ってこないから、もういいのかと思った」とのたまう。
どうも、大事な依頼なら督促してくるのが筋だという認識が、あるらしい。取り交わした証書もなく、追確認もされない、ならばわざわざ労を執る必要もない、という論法には呆れかえったが、実際、口約束は果たされないものと考えて間違いない。約束を守らない相手が悪いのではなくて、証拠を遺さなかった私が悪いのだ。
そういう社会だからこそ、紙に書かれた契約書が重大な意味を担うのである。提示された契約書の内容に完全に納得がいった場合にのみ、サインする。納得できなければサインしなくて構わないし、契約書に書かれていない条項については拒否権がある。その代わり、一度サインした条項については、執行期間中に何が起きても、全責任を負わねばならない。「知りませんでした」は通用しない(このへんの認識が日本人は甘いと常々思うのですが)。そのため、契約書の提示にあたっては充分に吟味する猶予が与えられるのが通例。
記載漏れや確認の不徹底によって発生した不利益も、サインをした以上は気付かなかった方の落ち度となる。その不利益は甘受するしかないし、もし逆に自分に有利な条件なのであれば、有効活用して構わない。契約社会というのは、訴訟社会でもある。常に揚げ足の取り合いになりかねないという容赦のない側面を持っている。
さて、そこで、ジェンスである。
まず、彼のしたことは間違いだった。移籍しようとしたことが、ではない。契約書にあると信じた抜け道が、実際には抜け道ではなかったというその一点において、失敗だった。抜け道が本当にあったのなら、それはBAR側の落ち度であり、逆手に取ることは悪くも何ともない。そうすることによって自分の労働環境をよりよくできるのであれば、やらない方が馬鹿だ。そこに遠慮や恩義の挟まる余地はない。プロフェッショナルの、仕事の話なのだから。
恩義を挟んで失敗したのが、ジョニー・ハーバート。自分が最も辛い時期に信頼してくれたコリン・チャップマンの好意を、彼は振り切れなかった。誰もが才能を認めながら、花開くことなく、去った。有効活用して勝ち組となったのが、ミヒャエルだ。スパで自分を大抜擢してくれたエディ・ジョーダンを、たった一戦で見捨てた。
今回、移籍問題の根本は、ごくごくシンプルだ。具体的な不満があったというよりは、単純に、8月時点でのジェンスが自分の将来を考えたとき、総合的にみて、BARよりウィリアムズのパッケージや将来性のほうが魅力的に思えた、というだけのことだ。そしてジェンス側のツメが甘かった、というだけの話だ。
ジェンス側は、徹底的に、微に入り細を穿って、契約条項をチェックしなければならなかった。契約破棄をしようというのなら、蟻の這い出る隙もないほど完璧に足場を固めて、それから声を上げるのが、相手への礼儀だ。それを怠って失敗して蒙った不利益は、どんなものでも享受するほかない。評判がどれほど傷つこうと、信用を落とそうと、すべて自分の責任だ。
ただ、本人が法律に縁がない場合、欧州では個人でも専門家に委託することが多い。そして、その専門家の不手際で自身が不利益を蒙ると、今度はその専門家を相手取って名誉毀損の訴訟を起こしたりもする。ジェンスはそうはしなかった。相手の言うことを頭から信じてしまった自分のミスだと言った。このことは、評価していいと思う。
今回の騒ぎが、彼の将来にどう影響するかという点についても、私は放任している。肝心なのは、彼が「どうするか」ということ。本当に実力のあるドライバーなのであれば、こんな些細な事件程度で潰されるはずがない。汚点など、自力でどうにでも挽回してみせればいい。実力社会は、最終的には世間体より結果を優先するのだから。悪影響を受けるとすれば、所詮そこまでだったということだ。よって、お手並み拝見、と思っている。
(ファンの身がここまで言うのはおかしいですか?信じていないのではなく、彼なら大丈夫だろうと思いながら言っているのですが、仮令駄目だったとしても、ああ、と納得するだけの話なのです)
12/8(水)
■デュパスキエのインタビュー@AtlasF1 (後編)
インタビュアーは、デュパスキエを「F1のパドックという代物を形成した最後の世代」と称す。どういう意味かと思ったら、彼は何と、コンコルド協定の第一回策定チームのメンバーだったそうだ。最近のファンの殆どはコンコルド協定なんて無いほうがいいと考えているが、と振られて、
「私は技術面で関わっただけで、ビジネス面のことはよく解らないが、これだけは言える。バーニーは実に先見の明があって、TV時代にモータースポーツが発展するには何が必要かを知っていた。当時の人間は皆、バーニーを尊敬していたよ。だって、あの頃、F1だのモータースポーツだのは概してクソ(=下らないもの)だったんだ。貧しくて、辛い時代だった。給料なんて出るわけもなくて、誰もが内職して食い繋いでいた。」
「レースっていうのは、天職だ。やりたいから、情熱があるから、やるものだ。でも、バーニーには判っていたんだ、F1は『単なるレース』よりもっと大したものだってね。彼はF1で成功することは功績になり得ると考え、そこで商売をすることを思いついた。F1で金儲けだよ!我々の誰も思いつかなかった発想だ。商売をするには客(観客)が要る。スポンサーが必要で、そのためにはTVに露出する必要がある。そうやってF1は金儲けの仕組みを作りあげたんだ。」
「(ビジネス面で)バーニーと張り合おうとする奴は一人としていなかった。彼は確かにたくさん懐に入れていたけど、彼なしには一銭も儲からなかったんだからね。実際、チームには困らない程度の金が回ってきていたし、それ以前を考えれば、バーニーが巨利を貪るのも黙って然るべきだったのさ。」
――バーニーを評して、こんな言い回しがあります。80年代には未来の男だった。90年代には現在の男だった。そして21世紀の今、もはや彼は過去の男なのではないか、と。
「モンテツェモロ氏がモンツァで宣ったことだろ。…私は、バーニーを否定するような事は言わないよ。そうだね、80年代は洞察力と構想力がものをいったし、90年代はその構想を実行し達成するためのプロフェッショナルなシステムを完成させた時代だった。でも、システムというのは変わるもので、我々は当時と同じ条件下にあるわけじゃない。TVも変わった。メディアとの付き合いも変わった。何もかも。だから、80年代のやり方が現在では時代遅れなのは当たり前だ。10年先には尚更だ。でも、バーニーもそのくらいちゃんと判っているよ。」
――メーカーが本腰を入れれば入れるほど、経営哲学が(レースそのものを押し退けて)F1を席捲しているように見受けられます。"伝説の男たち"の時代は終わりつつある…。
「後知恵ということもあるから、判断は難しいな。確かに、かつてほど独創的な人材は今は見当たらない。でも、状況変化や社会変革を考慮すれば、昔と同じ道徳観念や価値観がものさしにならないのも事実だ。時代が変わったということだ。こればっかりは、誰にもどうすることもできない。だから、過去の人間を引っ張り出して現在と比較しても何の意味もないよね。」
「技術屋としては、新しいものを発見し理解する喜びにそう違いはない。得た知識に基いて何かを創りあげていく。そして幸い、世界にはまだまだ沢山の発見が眠っているんだ。人間というものが存在する限り、学ぶべき事も改善すべき点もなくなりはしないのさ。」
これまでF1の世界で働いてきて、誰がもっとも印象的な人物だったかという問いには、「フランクとロンはとても好きだね。ロンなんかは、私と一緒にF1にやってきたんだ。あの頃は若かった。でも古今東西のNo.1は、やっぱりエンツォ・フェラーリだな」と答える。デュパスキエはかつて、自身のアメリカ赴任中に亡くなったエンツォを偲んで、思い出を本に認めたという。そして何とその本は、600ページにも及ぶ大作となった。「エンツォについて思ったことや、彼との付き合いには、誰も知らない内容が山ほどあった。でも、会社(ミシュラン)が黙ってろといったから、(出版はせず)親しい関係者に配るだけにしたんだ。フランス語の、本当にメモの集大成ようなものだから、今後出版するとしたら、レースの世界を知らない人にもちゃんと理解して貰えるように手を入れないとならないな。」
レーシングドライバーとして好きなのは、ダイナミックな走りを楽しむのが目的なら、かつてはジル・ヴィルヌーヴで、今はJPM。一周の速さやドライビングの正確さを見るならば、セナでありプロストであり、ミヒャエルだとのこと。彼はたびたび予選やレース中にJPMのピットにいるのを目撃されているらしく、よほど好きなんですねと振られると、「そのとおり。別に彼だけが特別というわけじゃないが、彼はあのとおり裏表のない人間で、冗談ばっかり言ってるから、一緒にいると楽しいんだ。でも、私はキミとアイスホッケーについて話すのも好きだよ。彼も話すととてもいい奴なんだ。」
―― それじゃあ来期は、あなたがマクラーレンのガレージに入り浸る姿が見られるのかな?
「いやそれが、ここだけの話だけどね、私はモニターが3つ以上あるチームにしか行かないことにしてるんだ。走行映像と、2つのタイミングモニターと、ね。フランクは3つとも持ってる。でもマクラーレンには2個しかないんだよ…。だから私はいつもウィリアムズに行くんだ。」
これまでタイヤテストをしてきた中で最もいいテスターだったドライバーは、と訊かれると、デュパスキエは暫く考えこみ、「コース上で試せることは何でも試す所為でタイムにばらつきがあるが、事細かに自分の印象を説明をするイクスと、毎周ファステストを叩きだすけれども、タイヤについては『これで問題ない』としか言わないレガッツォーニ」の例を引き合いに出す。
「つまり、タイヤ屋としては、適格かつ真摯かつ実用的な情報なら、どんなものでも欲しいんだ。F1にいるドライバーは皆、世界のトップだからね。それぞれ違う分野に卓越していて、別々の表現方法、感知力、分析力を持っている。そのすべてが必要なんだ。だから、(ベストテスターを)誰かひとり択ぶなんてのは無理だ。たったひとりで、我々が知りたいタイヤパフォーマンスの全体像を把握してくれるドライバーなんて存在しないからね。」
――両方の能力に長けたドライバーというのはいないんですか?
「ああ、ひとり知っているよ…バレンティーノ・ロッシ!」
――は?ロッシ?…何故?
「彼はまったくもって素晴らしいタイムで走ると同時に、正確な情報提供をしてくれるのさ。」
―― F1でそういう芸当ができる人は?
「たぶん、ミヒャエルだろう。でも、彼とは一緒に仕事をしたことがないからはっきりしたことは言えない。私の個人的な経験上は、そういうドライバーはひとりもいなかったよ。」
…えーと、だいぶ長い引用になりました。インタビュアーとの掛け合いがたいへん面白かったので、所々再現してみました。が、基本的には順序も含めて意訳・編集してあります。というのもデュパスキエさん、喋ってるところを見て思っていたとおり、非常にラテン系な話し方をされてまして。要するに情感豊かで、とりとめもなく会話が進んでいく。なので、敢えて手を入れました。オリジナルは有料サイトなので、欲しい方はご一報を。A4印刷で6ページくらいです。
12/7(火)
書きたいものが溜まっていて、資料となる記事を山のように抱えつつ、なかなか作業が進みません。とりあえず3つ、書きたい時事ネタが…。賞味期限切れにならないうちに頑張ります(頑張りたい、のほうが適切かも)
↓は、先週末に書いておいてアップし忘れていた(汗)もの。ソフト立ち上げたら書きあがっていて、何でアップしなかったのかは謎。後半は明日にでも。
12/3(金)
映像で見るとほっとします。英国に居た頃は当たり前だった関係者の表情とか肉声とか、が、日本で、それも地上波だけで観戦をするようになって、それこそ何億光年の彼方みたいな感覚があって、もの凄く置いてきぼり喰らっているふうに悔しくて、それで私はこの3年ばかり拗ねているわけなのですが。(笑)
ラルフが、はにかんだようないつもの笑みを浮かべてインタビューに普通の声音で答えていて、それだけで幸せなのでした。お手軽。
■デュパスキエのインタビュー@AtlasF1 (前編)
最近インタビューばっかり読んでる気がするのは、気の所為ではなくて、これがいちばん読みやすいからです。(爆)
ピエール・デュパスキエがミシュラン社全社員中の最長老だったというのは知らなかった。会社としての定年は65歳。しかし、
「F1には、古臭い、歴史を引き摺った人間が多いから、私のようなのが時には会社の助けになるんだよ。たとえば、私がバーニーに電話をかけるとするだろ。たとえ不在でも、彼は20分もあれば必ずかけ直してくるよ。でも、うちの若いのが同じことをしたとする。バーニーは無視して、それっきりさ。フランクやロンにも同じことが言えるね。」
「私はただ、いい仕事をしたいだけなんだ。現場に居座るために仕事を続けたいとは思わない。本を読んだり、書いたり、音楽を聴いたり、うちの一番下の息子が今年14歳になるんだけど、バイクレースをしたがってるし、F1以外にもやりたいことは沢山あるんだ。」
…ちなみに、彼の「息子のひとり」は「今40歳近い」そうです……。
デュパスキエは1937年にフランスのメス(ルクセンブルクやドイツとの国境近くの町)に生まれ、アルジェリア戦争の頃にパイロットとして兵役に就いた(「幸いなことに、私は戦地へ赴かずに済んだ。ただ空を飛んでいればよかったんだから、最高の気分だったね!」)。退役後、リヨン工業大学でエンジニアリングを履修。1962年、「タイヤのことなんてチンプンカンプンだったけど、車とかバイクは好きだったから」ミシュランに入社した。最初からR&Dセクションに配属され、約10年後、コンペティション部門(レース部門?)のトップを任される。90年代にアメリカでのプロモーションに携わった以外は、一貫してレース畑にいた。彼こそがミシュランのF1参戦の原動力だと考えている人は業界内にも多いようだ。が、
「そうじゃないよ。ただ単に、グッドイヤー(のタイヤコンセプト)が偏向していたものだから、対抗してミシュランのラジアルタイヤを持ちこんだってだけさ。そして我々は勝ちまくった。素敵な日々だったね。だからその後も、当時の交友関係を大事にしたんだ――バーニーとか、ロンとか、フランクとかね。アメリカ赴任の後、ミシュランのレース部門全体を総括する立場として本社に復帰して、そのときフランクから電話を貰った。彼の挨拶はこうだった、『やぁ元気かい?で、いつ(F1に)戻ってくるんだ?』」
「それから、トヨタのWRC最後のレースの時に、富田(務、現TMG会長)さんが彼のトレーラーハウスに招いてくれて、『座ってくれ、内密の話があるんだ。トヨタは、会社(チーム)として、F1に参戦することを決めた。(ミシュランに我々と)組んで欲しいんだ。』
吃驚したよ。それがすべての始まりだったんだ。」
「でも、私は急がなかった。F1で何が起こっているのか、注意深く観察していた。F1てのがちょっとばかり、その、厄介だってことをよく知っていたから、会社のリスクを考えれば、(F1復帰について)正直なところ気乗りはしなかったんだよ。知名度を上げたい中小企業ならともかく、ミシュランほどの企業になれば、失敗した暁に失うものは大きすぎた。結局、トヨタに加えてBMWからも要請があって、重い腰を上げたというわけさ。」
―― それでは、どうして未だにF1に参戦し続けているんですか?
「どうしてって、彼ら(チーム)がまだ我々を必要としているからだよ!」
―― チームのことはひとまず忘れて下さい。どうしてミシュランはF1に参戦し続けたいんですか。
「ミシュランのF1参戦の理由が、トヨタとBMWに依頼されたから、なのだけれど…それから今はフォード、ルノー、マクラーレン、BAR、それからザウバーに今度はレッドブルもだね。彼らに、彼らの求めるタイヤを提供する、そのためだ。」
―― チームが幾ら支払おうと、ミシュランの開発コストには到底及ばないでしょう?
「勿論だ。でも、F1参戦はミシュランにある種の、甚大な認知度をもたらしてくれる。タイヤメーカーとしては、それは必要なんだ。詳細は言えないけれど、採算はちゃんと合っているよ。」
「WRCでもモトGPでも、開発コストや方法というのはさほど違わない。ミシュランという会社は勝負事が好きで、勝ちつづけようとする伝統を持っている。WGPに参入した理由だって、バリー・シーンがミシュランタイヤが欲しいって言ったからさ。ラリーにおいても、チームとの関係の基本は、問題が起きたときに直ちに解決できるという点だ。姿勢は何ら変わらないよ。」
あんまり長いので、2回に分けます。
元ネタは、こちら→"Dinner
in Paris with Pierre Dupasquier: Those Were the Days, My Friend..."(AtlasF1.com)
12/1(水)
早いもので、今年も残り一ヶ月になりました。AtlasF1のトップには、"94 Days until the 2005 Australian
GP"と、気の早いカウントダウンが開始されております。…焦るなァもう(笑)
■トヨタの2人、インタビューの対比。
Autsport.comのラルフ、AtlasF1のヤーノ(こちらはトヨタPRからの転載)、夫々のインタビューを続けざまに読んでみたら、2人の対比がちょっと面白かった。
ラルフはとにかく慎重。来期の目標はと訊かれても、「新車もできてないのに来年の話をするのはちょっと早すぎるよね。ただ、僕もヤーノもチームの状況をよりよくするためにトヨタに来て、こうしてテストしているわけだから、事がすべて上手く運べば当然グリッドも上位が狙えるようになる。実現しなかったら僕はそりゃ上機嫌じゃいられないけれども、結局は何もかも、僕らがどれだけマシン開発ができるかってとこにかかってるんだ。
(中略) 僕は過去6年の間に、我慢が一等肝心だって学んだから、きっと大丈夫だよ。」
対するヤーノは、もう少し楽天的だ。「このチームと一緒に、(将来的には)優勝できると感じている。だから僕はトヨタにきたわけだし。前のチーム(ルノー)は、僕が加入したときコンストラクターズ6位で、移籍を決めたときには2位だった。同じことができたら素敵だよね。
(中略) 来年はできるだけ沢山ポイントを稼ぎたい。現状を鑑みるに、一歩でもトップチームに近づけたらいいと思うよ。」
TF104Bについては、とても乗りやすいクルマだと口を揃える。そして、その乗り心地を「予想外で驚いた」と評するところも一緒。2人とも経験もドライビング能力もお墨付きだから、多少は社交辞令が混ざっているとしても、好感触だったことは間違いない。ただ、どれだけ乗りやすくても遅けりゃレーシングマシンとしては役に立たない。そこは2人ともしっかり指摘している。
個人的には、ラルフの次のコメントをまたしても深読みしてしまった。"You come to a team, you sign for
them and it's not only a contract, it's something you believe in and something
you want to finish in a proper way."
(契約書に)サインするということは、ただ契約を結ぶってだけじゃない。それは信頼関係を構築することであり、その契約を適切なかたちで満了したいという気持ちの表れなんだ。…つまり、正しく終らせられなかったと、彼自身そう感じているのだろうか。そんな考えを念頭に、もういちど↑の2人のインタビューを読み直してみると、コメントの違いに何となく得心がいった。(これは個人的な想像ですが、ラルフは、ウィリアムズに相当期待していたのだろうと思うのです)
※2人のインタビューが欲しい方はメールを下されば送付します。(掲示板での依頼は著作権上の配慮から不可)
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