ヒトリゴト。
Let's talk about
What you love.
2/27(日)
1/23日付ヒトリゴトで書いた、Autosport.comとAtlasF1の提携。すでに一部相互乗り入れが始まっているようで、読み比べようと両方からプリントアウトしてきていざ目を通したら、一言一句まんまでした。記事内容はそっくり一緒なのに、見出しが違ってたんですね。うーん厄介厄介。でもそれは、ロイターとアトラスも同じことなのですが。今後は、三者三様の見出しのつけ方を比べてみるのも面白いかもしれませんね(そんなことする暇があればの話)
たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(たばこ規制枠組条約)がついに発効しまして、タバコ業界が本格的に冬の時代に突入しました。JTも2006年秋でF1撤退だそうで、慣れ親しんだ各種ロゴやカラーが、車体やサーキットから消えていくのはなんだか寂しい気もしますが、時代の流れなんでしょうね。昔、深夜ひとりで見るF1中継の合間に流れるマルボロとマイセンのCMが大好きでした。前者はアメリカの大地をカウボーイが駆ける姿を、後者はどこか森間の湖をカヌーが進む様を映して、とても綺麗でした。タバコのCMというのは、絵的に美しいものが多かったようにも思います。
そういえば、JTはいっそテーブル食塩でCMを、という案を、タバコ広告規制が話題になった当初、友人と話したことがありました。いったいどこに向けてアピールする気だったのか…>当時の我々
F1Racing 3月号(シーズンプレビュー)は、2005年の展望を"A vs B"の対決形式で纏めて紹介。表題の『dog-eat-dog』は、弱肉強食とか生き馬の目を抜くとか食うか食われるかの過当競争などのことを指します。俎上に載せられているのは、JPM
vs キミ、エンジン vs シャシー、MI vs BS、EJ vs ストッダート、バーニー vs バーニーの敵、レッドブル vs ザウバー、ミヒャエル
vs ミヒャエル自身、ヤーノ vs ラルフ、2004年の予選方式 vs 2005年の予選方式、BAR-ホンダ vs ウィリアムズ、フェラーリ
vs 他チーム、と多岐に渡り、だいたい2〜5ページくらいのものが多いなかで、キミとJPMの対決に尤も多くのページが割かれています。
何度かサイトに書いているように、私はあまり開幕前の戦力分析というものに比重を置いていません。が、何が見所と目されているかが判って面白いので、泥縄と知りつつちょっと詰めこみ作業をしてみようかしら。…と、思ってからすでに一週間が経過、まだ一本しか読めてないのが現実ですが。
そうそう、今月号には特典で、今期の開催カレンダーと、A-1GPのDVDがついてきました。ただし後者、うちのデッキでは見られない代物でした。(涙)
週末に何かやりたいと言いましたが、母の手伝いと雛人形の飾り付けで終わってしまいました。体調はどうやら平常に戻りつつあるようなので、3月はもう少し状況を改善します。…開幕しちゃうしね……。
【更新】
雑記の表紙を2005年仕様に。…今年はいったい何回書けるのだろう。(始まる前から弱気)
それにしても、外国国名の漢字表記って面白いです。白耳義(ベルギー)、摩納哥(モナコ)、聖馬力諾(サンマリノ)、巴林(バーレーン)、土耳古(トルコ)…。(そうか、耳がルの音なのね…)
2/23(水)
昨日のプロジェクトX (日野トラックのパリ=ダカ挑戦)を見ていて気付いたこと。どうやら私はドライバーと同じくらいかそれ以上に、メカニックという生きものが愛しいらしい。
二週連続して、週末に家を空けていたもので(出張と旅行)、すっかり何もできてません。加えてここ数日、酷い頭痛に悩まされておりまして、読んだり書いたり考えたりが辛くて避けてます。情報は昨日から漸く手に入れ始めましたが、亀の歩みにて。今週末には何かしらやりたいと思っています。
そんな近況。
2/12(土)
また暫く開いてしまいました…。できるだけ週一更新は心掛けてるのですが。ニュースに触れられないと自然語ることもできないという悪循環。コストカット+GPWCの件を、英国新聞が結構熱心に報道しているので読みたいと思いつつ、手が回らずにいます。…ま、オフシーズンだしね、ぼちぼちと。(開幕したらどうなることやら;;)
■DCのインタビュー@Autosport.com
インタビュアーはジョナサン・ノーブル。質問の照準を移籍問題に絞っているので非常によく纏まっていて、DCの意見が判りやすい、いいインタビューです。
▼ "I have experienced what it like to be down,
outside the top 10, and the reality is the motivation remains the same. The
motivation is always about going forwards, and the team remains the same
because they are out there to try and do the best job they can. And you
set yourself realistic targets to try to achieve them or surpass them. So
that is exactly how I see the challenge of going with Red Bull Racing. To
expect them to win a grand prix is a pipe dream at this moment in time,
but there is absolutely no reason why, with a clear strategy of investment,
attracting the right people and having the right facilities, at some point
in the future that they cannot be competitive and racing for podiums."
"Whether I will still be competing when that moment comes is a different
matter, but what I can do is play my part in building the foundation."
▽ 昨年下位走行を余儀なくされても自分のモチベーションもチームのそれも落ちなかったから、すなわち前進することこそがF1の核心であるという理解に立って、現実的な目標を立て乗り越えようとするという点において、レッドブルでのチャレンジもこれまでと何ら変わらないのだと、まず自分の移籍動機を説明。現時点でレッドブルが勝利を目指すのは世迷言にすぎるけれど、明瞭な投資戦略をもって有益な人材を確保し、適切な設備を整えさえすれば、将来的には表彰台を狙えるポジションまで辿りつけると断言する。お説ごもっとも、だが、かつて前身のチームで同じようなことを繰りかえしコメントしていた誰かさんの姿が脳裡を過ぎる。肝心なのは、「誰が」明確な投資戦略とやらを描き、「どうやって」有益な人材を確保し、「どんな」適切な設備を整えるか、という部分だ。ここが巧く極まらなければ、結局は同じ徹を踏むことになりかねない。ただ、「自分はそのための『基礎工事』をするのが仕事」と言い切る姿勢は、先達とちょっと違っていて、とてもDCらしい。
▼ "This isn't about doing something for someone
else."
"I want to live with my life. This is a significant part of my life,
it's about the motivation that comes from working with the team, the excitement
and energy that comes from working with those dedicated people, giving
them direction and representing them on the race track and trying to do
the best job that I possibly can. And if somebody is prepared to give
me that opportunity then I am prepared to give 100%. That is the beginning
and end of it. And as to other people's opinion on it? I have won grands
prix and in doing so competed against and beaten the best driver in the
history of our sport, so I don't feel I have anything to particularly
prove or justify to anyone else. It is about me and the team."
▽ レッドブルへの移籍を批判する意見に対してどう思うかと問われて、他の誰でもない自分自身の問題であり、自分とチームとの間で理解があればそれで構わない、と。チームの熱心なスタッフと協力して事を進めていくことこそが楽しいのであり、開発の方向性に自分の考えを反映させ、チームを代表してレースをするのが醍醐味なのだから、他の人がどう言おうと知ったこっちゃないのだ、と。優勝は何度もしたし史上最高のドライバーを打ち負かしもしたのだから、もはや世間に対して自分の力量を立証しなければならないとは思わない――とは、なんとも恰好いい科白。
でも、でもね、ふと思うのです。たとえばベルガーは、引退の年(97年)のドイツGP、健康上の理由による休場から復帰してポールトゥウィンをやってのけたとき、こう言った、「まだ俺はここに居るんだってことを世間に証明したかったんだ」と。…こういう気持ちが、ゼロだとは、思えないんだけどね。レーサーなんて皆、負けず嫌いなのだから。ひとつ想像するのは、デイビッドは何か、積み上がった足場の上で手にする栄光ではなくて、イチから自分で積み上げていってその果てに確かな形あるものが出来あがる、そういう「創りあげる」充足感みたいなのが欲しいのかなということ。どうやら、ミヒャとの仲は修復されているようだから、触発されたりもしたのかな、なんて。(先達もその気は大いにありましたね。失敗に終わったけど)
▼ "You don't have to face that as a reality
until it is a reality."
▽ 昨シーズン中に、移籍先が見つからないと思ったことは、と訊かれての答え。なんか、聖書の「明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」という一節(マタイによる福音書6章34節)を思い出してしまった。達観しているとも取れるし、いい加減とも取れる。開き直ってるのは確かだが。…いい言葉だなそれにしても(笑)
▼ "I don't waste time worrying about what I
did in the past. I can do nothing about that other than learn from it."
"It is not by accident that I was able to be 9 years with one team. Loads
of people will give their opinions, but it is just article filling. It
means nothing, it really doesn't. What means something is how you feel."
▽ 将来のことにくよくよしないばかりか、過去のことにも煩わされないそうな。…ちょっとちょっと本当に恰好よすぎませんか言ってることが!(笑。←なぜ笑う…;;) 質問は、97年ヘレスでミカに優勝を譲ったことで、その後の人生が変わってしまったのではないかという内容。にしても以前のF1のインタビュー(ヒトリゴト04年9月1日掲載)と答えの内容が若干食い違ってるんだけど。
▼ "Dietrich Mateschitz has a very clear plan
on what he wants to do with RBR, what confuses the issue is that people
think it is just a marketing tool for his drink. It is more than that."
▽ マテシッツの構想ははっきりしており、単なるマーケティングツールとしてしかF1を見てないわけじゃないんだと、弁護。それはそうかもしれない。でも私が気にしているのは、マテシッツがどれだけ貴方を信頼してどれだけ長く多く貴方に任せてくれるのかというその点なのだよデイビッド。
▼ "There are the inevitable frustrations that
happen when you are not achieving the success you would like to or the
car would have allowed you to. I know what worked well at McLaren, I know
how difficult it is and I don't under-estimate the times ahead."
"I am doing this for me, I enjoy it, and that is it. I am very happy
for everyone to ignore me and let me get on and do what I can."
▽ 道程は険しく長いことはちゃんと理解していると言う、その言葉を私は信じるだけです。貴方が幻滅さえしなければ、幸せであればそれでいいのよ。究極的には。…そんなことを思いつつ、〆の科白(そう、最後の一文は実際にインタビューの最後の一文なのです)に吹き出す。いいから放っとけよ、って、本当にいい性格してるよね貴方…。
【更新】
久々にこの文字を書いた(爆) 何のことはない、リンクを少々訂正・追加等いたしました。
2/3(木)
見てきました、日本版。…ジェンスへ向けた感情に少し塩味を足して、琢磨に対する表現を少し砂糖で緩和したかんじ…?
日本版には書いてなかったですが、ジェンスの記事も、リチャーズの記事も、両方ともマット・ビショップの手に拠るものです。ビショップの琢磨評は、とくに去年からは素晴らしく辛口になってます。ので、これをどうやって日本で出版するのか――そのまま出したらブーイングの嵐ですよ――が気になったのですけれども、見事にフォローしてました。…ジェンスの評価を落とすことによって。
リチャーズの記事は基本路線に変化はなかったものの、ジェンスのほうはだいぶ手が入ってます。カットもされてるし、文章の順番も入れ替わってます。原文は、おいおいと思わず呟いてしまうほどジェンスへの愛、一歩間違えば贔屓の引き倒し、が丸見えでした(ビショップはジェンスの大ファンなんですよ実際。少なくとも彼の書くものを読む限り)。後半、ミヒャエルのそれとマネジメント体制を比較してますが、これは前半部分でやはりミヒャとジェンスの立場を比較して書いた部分(ここは日本版ではカットされた)ときれいに対比させてありまして、じゃあ前半部分に何が書いてあったのかというと、こういう内容でした。
"He had, and still has, the environment every driver craves - and
which, of today's 20, only he and Schumi enjoy: he is adored by his team; he
has a team-mate whom he knows he's better than (which the team also know,
whatever they say to the contrary, making him the prime conduit of their
race effort); and he has a quick car. That is the driver's holy trinity."
位置としては、ジェンスが一人称に"I"ではなく"we"を使ったことに注意を喚起した直後で、もちろんこの"we"の用法にわざわざ触れているのも、ミヒャエルのそれを意識しているのは明らか。
それはそれとして、この内容が日本で公表できないというのは理解できますし、もしかしたら記事にビショップの名がなかったのはこの改変の所為かもしれないですね。ただし、そうなると今後、BAR、ジェンス、琢磨に関する記事には、英国版と日本版の間に少なからぬ開きが生じかねません。BARの出来がかなりよいか、かなり悪いか、どちらかの場合はその確率がより高まると考えられます。ビショップが編集長である以上、そして英国の出版社である以上、F1Racingのジェンス贔屓路線は揺らぐことはないでしょうから。
実は昨年、いただいたメールの中で、F1Racing掲載のジェンス批判の記事についてのご感想で、あれ、と思ったものがありました。私とは違う受け取り方をしていらっしゃった。そのときは単純に、読む人が違えば受け取り方も違う(私は自分がジェンス贔屓であることをしっかり自覚してますので)だけだと思ったんですけれど、これも、読んだ内容が違っていた可能性があるのかなと、いやあんまり憶測でものを言っちゃあよくないんですけど。
昨日、書くと言ったジェンス記事の感想。↑に加え、「ビショップのジェンス*ラヴっぷりに読んでるほうが照れちゃいました」とコメントするに留めておきます。
2/2(水)
■翻訳について考える。
昼休みにF1Racing2月号を読んでいてふと確認したいことが出来、帰り際に本屋で日本版を探した。見つけたかった号の代わりに12月号(マン・オブ・ザ・イヤー掲載号)を見つけ、思うところあってぱらぱらと捲ってみた。そして、ひとつ妙な発見をしてしまった。
日本版の翻訳に、何となく、作為を感じる部分があった。
問題の記事はPitpassのジェンスの移籍問題について、ジェンス自身にも責任があったとする暴露記事。英語版の読後感に比べ、日本語版のほうが圧倒的に、ジェンスに対する負の印象が強い。英語版が甘いといっているわけではない。厳しいことは厳しい。だが、日本版の記事は英語版に比べ、表現の選び方が冷淡であり、少々意地悪だ。
特に気になったのは二ヶ所。エッセンシャリースポーツ(バトンのマネジメント会社)に「バトンが金を支払った」という表現の元は、"invest"、すなわち「投資」だ。2月号によれば、バトンの父・ジョンが、この会社の株主に名を連ねているとのこと。これは、バトンが今後活躍すれば彼のマネジメント業はビジネスチャンスに繋がる(ミヒャエル/ウェバーの例を参考すれば、将来の収益は莫大なものが期待できる)から、それを見越しての投資と考えられる。個人投資ビジネスが盛んな欧米では珍しいことではない。必ずしも、「移籍のために金を払った」と解釈する必要はなく、むしろここでは、バトン家が問題のマネジメント会社の経営に口を出せる立場にあった(よって、移籍問題にバトン側が積極的でないはずはなかった)ということが大事なのではないだろうか。
もうひとつは、記事の結びの部分。日本語では、「忠誠心などという単語を持ち出してもバトンには通じないだろう」という文脈で終わっている。英語のそれは、以下のとおり。
Nonetheless, if everyone else in the B.A.R-Honda team is giving heart
and soul to the programme, what does it do to long-term morale when Button's
quotes appear on rival team press releases, reminding the world of how
much he wants not to be at B.A.R-Honda? One could bring the notion of
loyalty into the argument, too - but then today's drivers and managers
like to counter that by uttering such platitudes as, "Things have
changed since the old days."
Yes, they have - and not for the better. (F1Racing,
Dec. 2004, page:17, col:3, line:45)
概訳するなら、「チーム全体が来期の開発プログラムに精魂をこめていると仮定して、そのような状況下でバトンがライバルチーム(ウィリアムズ)のプレスリリースを通して将来の移籍をほのめかすことが、チームの長期的な士気にどのような影響を及ぼすだろうか。忠誠心という言葉を持ち出すことは可能だが、現代のドライバーやマネージャーらはすぐに、『昔とは違うんだ』という平凡な言い回しで反論したがるのだ。そう、確かに昔とは違う。そしてそれは悪いほうに変わってしまった。」…と、まあこんなかんじだろうか。他にも、"Button's
team(バトン側)"、"Buttons(バトン家、バトン側)"というのがすべて、ジェンス個人の扱いになっているとか、微妙な変更点があった。
現在の私の生業は、日→英とはいえやはり翻訳出版だから、自身の対訳チェック時のことを考えれば、作業過程で恣意的なミスリーディングがあったとは常識的に考えられないし、考えたくもない、のだけれども。
私が、F1Racingという雑誌を好きな最大の理由は、この雑誌の編集方針には徹頭徹尾、現場の関係者への惜しみない愛情と尊敬の念が備わっているからだ。批判することはあっても、貶すことがない。また批判そのものも、理にかなっていて、なおかつ冷淡ではない。暖かい視線が常にあるから、安心して読めるし、不愉快な思いをすることがないのだ。全編とおして読んだわけではないから、たった2ページを元に判断するのは宜しくないと知りつつ、もしその編集方針が日本版に反映されていないとしたら、非常に残念に思う。
そんなわけで、あらためて、自分の仕事(つまり丁寧に翻訳チェックをすること)の重要性を確認させられた。と同時に、少し反省もした。かつて私はバスコンセロスの書いたミヒャエル関連の記事を完全無視していた。現在は彼の記事に触れることそのものがなくなってしまったが、たぶん見かけたとしても、気にかけなかったのではないだろうか。というのは、彼の記事は「ああだってどうせ貴方ミヒャのこと嫌いでしょ」、の一言で済ませてしまいたくなるような内容ばかりだったからだ。でも、もしかしたらそれは翻訳の所為であったかもしれない。バスコンセロスのオリジナルの記事は、それほど嫌な内容ではなかったのかもしれない。
さて、2月号翻訳版にリチャーズのインタビューは載ったようですが、どう訳したのかな。日本版実物を見かけてないので不明。それと、DCのインタビューって、2月号の1ページインタビュー"F1
to One"か、1月号のウィンザーの長文記事か、どっちなんでしょうか。後者は紹介しようと思いつつできずにいるやつなんですが。
2月号のジェンス記事の感想は、また次の機会に。
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