2003 F1Racing Man of the Year
2003年シーズンのマン・オブ・ザ・イヤーを10人選べ、という命題に、F1Racing誌の記者たちはどんな回答をしたのか。目に留まったいくつかの点について、まとめてみた。
読者投票のように部門毎に選ぶ形式ではなく、シーズン中で印象に残った人物を上位から順に選んでいるため、ドライバーやチーム関係者などがごちゃまぜになっている。
回答したジャーナリストたちは以下の10名。
a) Matt Bishop −編集長
b) Anthony Rowlinson −編集主幹
c) Stephane Samson −副編集長
d) Stewart Williams −編集主任
e) Dom Taylor −編集部記者
f) Peter Winsor −編集顧問
g) Alan Henry −総合監修者
h) Maurice Hamilton −寄稿記者
i) Steve Matchett −技術担当編集者
j) Mike Doodson −寄稿記者
キミ・ライコネンとファン・パブロ・モントヤ
読者投票との最大の差は、キミとJPMの扱いに表れた。
読者投票12部門中、ドライバーがノミネートされる7部門(新人賞を除く)を見ると、キミがトップ3に数えられるのはドライバー・オブ・ザ・イヤー(第3位: 17.06%)とマン・オブ・ザ・イヤー(第2位:
17.24%)のふたつだけ。しかもトップとは大きく水をあけられている。これに対し、ジャーナリストは10人中3人(a, e, j)がキミを第1位に指名した他、2位指名が2人(b,
d)、3位指名が1人(f)。10人の中にまったく数えなかったジャーナリストは2人(g, h)だった。
JPMはというと、読者投票では2部門でトップに立ったうえ、残りの5部門すべてにおいても常に4位以内をキープしている。しかし、ジャーナリストでその名をあげたのはたった2人、それも6位(i)と8位(c)と、評価は芳しくない。
JPMを選んだ理由について、サムソンは「タイトル争いに絡んだ」と述べているが、むしろこの評価の低迷っぷりは、王者へのNo1挑戦権をもちながら自滅したアメリカGPがおのずから説明しているのではないか。裏付けるように、キミを選んだジャーナリストたちは一括して、彼のコンスタントな走りを評価している。
JPMは魅せるドライバーだ。アピール力は強いし、見ていて楽しいドライビングをする。素人受けする、と言い換えてもいい。わくわく、はらはら、どきどき、観客がレースに求める興奮を、彼は体現しているわけだ。
一方のキミは、さほど記憶に残る走りをするタイプではない。けれど着実にポイントを稼ぐ、安定した印象がある。玄人受けするのである。
実際には、ふたりのリタイヤ数はキミの3回に対しJPMは1回多いだけだし、JPMの2勝に対しキミは1勝しかしていない(Autosport参照)。が、どうしても、JPMの走りはキミのそれに比べてムラがあるように映ってしまう。
アメリカGPは、駄目押しだった。肝心なところで勝てない印象を与えてしまった。そんな気がする。
ウィリアムズのふたり
これも、読者投票とジャーナリストの見解が食い違ったもの。読者が歯牙にもかけなかった――本当に歯牙にもかけてもらえなかった。スタート・オブ・ザ・イヤーの6位(5.54%)だけだ――ラルフだが、F1Racing誌では2人のレギュラー陣が名をあげ(e,
f)、更に1人が「シューマッハー兄弟」として評価対象にしている(h)。
「ラルフの実の兄に対するパッシングはモントヤを平凡なドライバーに見せた」(ドム・テイラー)
「ラルフを選んだ理由は、彼が短気なチームメイトの挑発に乗らなかったからだ」(ピーター・ウィンザー)
「ミヒャエルとラルフの兄弟の、イモラでの静かなる威厳を評して」(モーリス・ハミルトン)
見ている人は、ちゃんと見ている。私は今期の彼について、とても成熟した印象を受けた。兄さんのような強烈な個性はないかもしれないが、堅実で安定した走りは増えてきた。これでもう少し、シーズン通してバランスのいい走りができれば…、と、ここから先はファンの願い事になってしまうので割愛。
タイヤ戦争
BSはアメリカで鮮やかな巻きかえしを見せたが、時すでに遅し。夏の終わりの「悪足掻き」は、英国のジャーナリストたちにすこぶる受けが悪い。
F1Racingでも、素直にミシュランに票を投じた記者が5人(b, c, d, h, i)いる他、タイヤ騒動におけるパトリック・ヘッドの対応を評価した記者が3人(d,
e, h)、皮肉をこめて反対勢力に投票したのが4人(c, d, f, j)。タイヤの話題にまったく触れなかったのはビショップとヘンリーの2人だけだった。
タイヤが今期のタイトルレースを左右したという見方は根強い。
皮肉の矛先としてあげつらわれているのは、チャーリー・ホワイティング、ロス・ブラウン。
「シーズンも残り3戦になった時点で見事なタイヤ・ルールの再解釈をやってのけたチャーリー・ホワイティングには、礼を言うよ」(ステファン・サムソン)
「ロスのあの不屈の精神は尊敬に値する。たとえそれが弁解の余地のないことを言い繕うためのものだとしてもね」(スチュワート・ウィリアムズ)
「ライバルの違法行為を非難して、結果的に2003年のタイトルの価値を永久に損なった手腕に一票」(ピーター・ウィンザー)
ロスに対抗したヘッドは逆に賞賛の雨あられだ。
BSの菅沼さんへの一票(ドッドソン)は、悪意からくるものではなく純粋にBSの尽力に対する評価ととれる。
この一件に関しては、私自身はさして騒ぐ気もなく、ただ単に事の次第を知りたいという動機のみで記事を読んだり調べたりしていた。9月のヒトリゴトに付け加えることは特にない。かつて若かりしミヒャエルは散々ケチをつけられ足を引っ張られた。結局のところお互い様で、つけこまれるほうが悪いのだ。(だから逆につけこまれたとしても、それを狡いと詰るつもりはまったくない。)
帝国の黄昏?
2002年、フェラーリはF1Racing誌の読者投票10部門中6部門で栄冠を得た。その前の年も、同じように6部門。2000年は4部門。しかし2003年は、たったの2部門、ピットクルー・オブ・ザ・イヤーとマン・オブ・ザ・イヤーのみ。これらは(私の知る限り)4年連続の受賞となったが、昨年まで3年連続で受賞していたドライバー・オブ・ザ・イヤーはアロンソに、チームプリンシパル・オブ・ザ・イヤーはウィリアムズに、それぞれ大差で持ち去られた。
その流れるような美しさで発表直後から話題をさらった真紅の女王は、遅い重いと散々叩かれたFW25に、栄誉を譲り渡した。
38,930人の読者の態度からは、時代が曲がり角に近づきつつあることが――或いは人々が変化を期待していることが、窺える。
記者たちの評も、あまり芳しくはない。10項目のトップにフェラーリ関係者を持ってきたのは、スティーブ・マチェットただ一人(ミヒャエル)。2002年は、8人中4人がミヒャエルを、ロスとロリーを選んだのがそれぞれ1人ずついた。しかも、2番手、3番手もフェラーリ関係者が席巻した。今年はたとえ選ばれていても、誉め言葉でないことすらある。
8月のヒトリゴトで記した恐れが、嫌なかたちで裏付けられてしまったかんじだ。
もちろん、幾度も言っているように、F1界にはサイクルがあっていつまでもこの栄華が続くものではないことは理解しているから、ある程度の覚悟ならとうに決まっている。盛者必衰、栄枯は移るもの。だったら、どうせ避けては通れないものなら、この目でしっかり見届けたい。――と、繰りかえし口にするのは、つまり要するに自分にその覚悟が本当にあるのか、逃げ出さずにいられるのか、決意を確かめるために他ならない。
どんなにみっともなくても、悪足掻きでも、観て胸が痛んでも、それでも1日でも長く1レースでも多く彼を見ていたいと、そう思うのはファンの身勝手だけれど。
縁の下の力持ち
英国の雑誌やTVを見ていると、ドライバーでもチーム代表でも監督でもない顔や名前によく出くわす。本来はスポットライトの外にいる面々だ。
よく、見ているな、と感心する。
F1Racing記者投票の中にも、チーム関係者の名前は多く登場する。クリスチャン・ヴァイン(ウィリアムズ: スポンサー獲得部門長)、デイヴ・ライアン(マクラーレン:
チームマネージャー)、ティム・デンシャム(ルノー: チーフデザイナー)、タッド・チャプスキ(ルノー: 研究開発部門)、フランク・ダーニー(ウィリアムズ: スペシャルプロジェクトエンジニア)、トニー・パーネル(ジャガー:
プレミアパフォーマンス部)、スティーブ・モロー(マクラーレン: 給油担当)、ジル・シモン(フェラーリ: エンジン開発担当室長)、クリス・ダイアー(フェラーリ:
ミヒャエルのレースエンジニア)、アントニア・テルツィ(ウィリアムズ: 空力担当エンジニア)、トヨタ社員(宣伝広告に粉骨砕身したため)など。もちろん、これに加えて各チームのトップの名前もたくさん挙がっている。
英国人は、黒子や縁の下の力持ちといった存在が好きだ。目立たず騒がず、こつこつとやるべきことをやっているだけの人々にとても暖かいまなざしを注ぐ。かつて、「負け犬がヒーローになれるのは英国だけだ」と言った記者がいた。地味で目立たない存在を愛する素朴な国民は、もしかしたらそれゆえに目立つ派手な存在に眉を顰めるのかもしれない。
ちなみに、ルノーのチャプスキは以前、フェラーリで電子系のエンジニアをしていた。レース前にミヒャエルのマシンにパソコンを繋いであれこれしているシーンを、ITVが撮っている。その彼がルノーに移って手掛けた仕事は、今期素晴らしい性能を誇ったラウンチコントロール。ちょっぴり口の端がぴくりと動く、そんな微妙な一致。
英国人ならではのユーモア
鋭い批評のなかにジョークとしか思えない人選や意見が転がっている。これもまた英国らしさといえる。
たとえば、素直にミシュランと書けばいいところを、敢えてビバンダムと書いたのが2人(c, i)。評価すべきところに敢えてマイナス評価をもちこみ皮肉る(主にタイヤ騒動に関して、上記「タイヤ戦争」の項参照)のも英国流。
だが今回の傑作は、堂々第一位にステファン・グリーンという無名の男性をあげたモーリス・ハミルトンだろう。このグリーンという男、実はシルバーストーンのマーシャルだ。そう、コース乱入男をタックルして引きずり出した、彼、である。あのレースはたまたま現地観戦していたのだが、彼が不埒者を取り押さえた瞬間、スタンドは割れんばかりの拍手でいっぱいになった。もしあの日MVP投票があったら、間違いなく彼がほとんどの票を掻っ攫ったのではなかろうか。
もうひとり、ユーモアはユーモアでもややブラックな表現をしたのが、アントニー・ローリンソン。遠回りなことをせず、侵入者であるニール・ホラン氏その人の名を、6番目に挙げている。
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