ドライバーたちの移動が済むと、パドックにものんびりした空気が戻った。食事に行く前に、ふと、ピットレーンに出てみようと思い立つ。
昼休みの間は、パス所持者にはピットレーンが開放されるのだ。
シルバーストーンのピットレーンを歩くのは、2回目である。セッション中に徘徊できた前回と違い、今回はどこのガレージもきっちりシャッターを下ろしてしまっていて、見るべきものは何もない。唯一おもしろかったのが、各チームのプラットフォームの中を遠慮なく覗けることか。
GPと違い、テストでは簡易プラットフォームを使うのが慣例のようだ。パソコンが置ける台を、簡単な屋根とビニールカバーで覆い、ちょっと見にはちいさなビニールハウスのよう。それでもきちんと配色はチームカラーを用意している。
パソコンの中はさすがに見られないよう、閉じているところが殆どだった。何せパドックはスパイ合戦の宝庫、ファンのふりした関係者やジャーナリストが虎視眈々と狙っている。しかしBARとウィリアムズだけは、ぱか・・・っと開けっ放しだった。スタッフがひとり残ってまだ何か作業を続行していたBARはともかく、ウィリアムズは無人で、しかもスクリーンセーバーもかけていない。よほど見られても構わないデータだったのか、すっぱり閉め忘れたのか。もっとも、素人目には何の価値もない画面だったが。
シルバーストーンのピットは広い(と思う)。ウィリアムズのあたりでプラットフォームによじ登って、金網の隙間(ピットボードを出すための隙間が、随所に開いている)から顔を出す。前回やったら、さすがに関係者にたしなめられた(マシンが疾走している間は危険なので)けれど、休み時間の今回は誰も何も言わない。
最終コーナーはここからではブラインドになっている。そこをマシンが立ち上がり、全開でつっこんでくる様子を思い浮かべる。耳の奥で甲高いエキゾーストが反響する。一瞬で目前を駆け抜け、右手奥へ消えてゆく。
昨年いちど見ているから、瞼を閉じずとも、幻を描くのはたやすかった。英国にいては見ることのかなわぬ、紅いマシンの幻を。
ピットレーンへの出入り口は、パドックのちょうど真ん中あたりにあり、普段は錠前つきの金網ががっちり行く手を遮っている。そこはちょうど、ピットストレート・スタンド(英国で『グランド・スタンド』というのは、指定席すべてを指す)に渡るブリッジがあるところ。パドックパス所持者はこのブリッジを自由に行き来できるのだが、時間の関係で今回は見送った。
この出入り口の両側を占拠していたのが、ホンダ・パワーの2チームだった。ちょうどパドックに帰ってきたときに、BARのガレージエリアで数人のホンダ・スタッフが喫煙タイムを満喫していた。見るからに休憩中の雰囲気だったので、通りすがりに一声かける。
「お疲れさまです」
とたん、「あれ、日本人?」
彼らの表情がたいそう驚いたものになった。やはりこの時期のF1テストに日本人が――それも女の子が単独で――やってくるのは、そうあることではないらしい。そのまま3人ほどのスタッフにちょっとお相手していただく。調子はどうですか、とか、天気が心配ではないかとか、そんな話題ばかり、5分ほども話したろうか。
別れ際、夕食に誘ってくださった方がいらした。ホンダも今日でテストが終了し、近くのホテルに一泊して明朝帰るという。どうせ私もどこかで適当に食事を済ませて帰るつもりだったから、渡りに舟と快諾した。レース関係者は、よく使うサーキットの付近でそれなりにおいしい店を知っているものだ。
しかし、この約束は空振りに終わった。この日の午後、ホンダはトラブルを続発し、結局翌日も引き続きテストを行う羽目になってしまったのだ。当然、解析待ちのデータが山積みで、夕食の時間にサーキットを出ることなど不可能。惜しい機会を逃したものだ。
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