パドックスイートは休憩場所としてはおあつらえむきだが、一日中篭もっていては、せっかくのパドックパスが泣く。気分も落ち着いたところで、パドックへ向かった。昨年秋のテスト見学時に風がとても強かったのを覚えていたのでコートはしっかり抱え、トートにはサイン帳とマジックペン、非常食用のシリアルバーと水のボトルをつっこみ、カメラふたつを肩にかけ、首からパスを下げたら準備完了だ。
最初に遭遇したのは、ラルフだった。
パドックに足を踏み入れた途端、少々騒がしい集団が向こうからやってくるのへ出くわした。見れば中心はラルフ。サンマリノで初優勝した直後で、ファンに取り囲まれていた。
まさかこんなにすぐ誰かに遇うとは考えていなかったので、心の準備がまるでなく、焦ってしまって写真どころではなかった。慌ててあとを追いかけるのが精一杯。わりと丁寧にサインに応じているので 後でとても珍しいことだったのだと知った ペンと紙をごそごそ探しながら、気づけばガレージはもう目の前。何か声をかけて引き止めねば、と人垣の後ろから叫んだ。
「ラルフ!優勝おめでとう!」
「サンキュ!」
今日だけでももう幾度も言われているのだろう、ラルフはあたりまえのように軽い返事をした。…別に、サインの手を休めず顔も上げずにおざなりな対応をされたのにカチンときたというわけでは、決してない。ただ、そのとき、どういうわけか、こんな科白が口をついた。
「日本にいたときからずーっと、応援してるよ!」
次の瞬間、ラルフが固まった。それまで足すら止めることなく忙しなくサインをしファンの言葉に答えていた彼が、突然、ぴたっとすべての動きを止めたのだ。そして、
「あ…ありがとう……。」
こちらを振り向き、頬を赤く染めた。
きゃあぁ…!という黄色い声が周囲の女の子から上がるなり、つきそっていたウィリアムズの女性スタッフが如才なくラルフを促し、ラルフは素早い身のこなしでガレージへと消えた。
いや、参った参った。あんな初心な反応をされるとは思わなかった。(笑)←よっぽど日本滞在時に恥ずかしい思い出でもあるのかしら。表彰台での一件(シャンパンの壜を落として割った)にはさすがに触れないでおいたんだけど…(苦笑)
そしてここで教訓がひとつ。
ドライバーを追いかけるつもりなら、サーキット内いつでもどこでも、サイン帳とペンとカメラは瞬時に構えられるようにしておきましょう。(T T)
ラルフに逃げられたあと、しばらくはウィリアムズのピット裏をうろうろしていたが、何事も起こる気配がない。他のファンも三々五々散りはじめたので、こちらも別の興味の対象を探ることにした。
とりあえず、パドックを端から端まで歩いてみる。前回はたった3チームしか参加しておらず、随分寂しい雰囲気だったパドックも、英国に本拠地を構えるチームが勢揃いしたこの日は、なかなかに賑わっている。
まず、パドック入ってすぐがマクラーレン。メディア・センターとおぼしき入口を挿んで、ウィリアムズ。続いてベネトン、BAR、通路を渡ってジョーダン、ジャガー、最後にプロスト。ピット・ガレージの位置は、たとえテストといえども、グランプリと同じ『カーナンバー順』、すなわち昨年のコンストラクターズ選手権の成績順だ。昨年来たときは、ジョーダンとジャガーは隣り合って3番目・4番目のガレージを使用していたが、今回はぐっと下がって、それぞれ6番目と9番目なのが、やや寂しい。
こういう言い方をするのもなんだが、下位チームに行けば行くほど、スタッフの人数が減るのと比例して対応はソフトになっていくのが普通。例外はジャガーで、スタッフは気さくなのだが、同時にゲストの数もトップチーム並に多く、今回めずらしくゲスト用テントを持ちこんでいたのも、ここだけだった。
パドック中、もっとも態度が硬かったのが、BSだ。普通、チーム関係者はよほど忙しいときでなければ、ファンの挨拶にも応えてくれる。しかし、BSのスタッフだけは誰も彼も、日本語で挨拶しても、聞こえているのかいないのか、振り向きもせず通りすぎていく。ホンダのスタッフには話しかけることのできた私も、BSだけは2回試してそれきりだった。
対照的に、ミシュランのスタッフはとっつきやすかった。ちょうどプロストのところで、タイヤを洗っているおじさんがいた。
「そのタイヤぜんぶ洗うの?」
「そう。洗わないと駄目なんだよ」
「大変だね」
「まーねぇ…」
「ところで、今日って何セット持ちこんでるの?」
「内緒」
「コンパウンドは?軟らかいの?固いの?」
「それも内緒」
こっちが何を訊いたところで、相手はプロの詮索屋を普段から相手にしている強者、どうせはぐらかされて終わりなのだが、そうと判っていてもこの手のやりとりは他愛なくて楽しい。
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