彼は、チャンピオンらしいレースができただろうか。
数日考えて、出てきた答えはこうだ。チャンピオンらしいかどうかは知らぬ。ただ、ミヒャエルらしいレース、ではあった。
ミスをして、取り戻すために飛ばした。第2スティント、ミヒャのペースは他の追随を許さなかった。マシン素性の差はあろうが、マクラーレン・ウィリアムズに対して1周あたり1秒近い差をつけた。そこで自力でひっくりかえせれば完璧だったが、求めすぎは罰があたろう。
ミヒャエルの走りは終始、堂々としていた。今はそれでいい。ここにルビーニョがいたらどうなったか、そんなこともどうでもいい。私は、今回の彼の走りを認める。今回は認められる。
前半、王者に挑む若者たちを嬉しく見守っていた。心の中で彼らが王者を出し抜くことを、願わなかったとは言わない。私は少なからず、王様を踏みこえて行く若い力を楽しみにしている。それでも、もしここでそうなったとしたら、本気でどうしようもなく悔しいだろう、と思った。
それゆえに、前が開けたとたんにベストを叩きだした姿に陶然と酔った。ファステストこそDCに譲ったが、各セクターのベストタイムはみっつともミヒャが持ち去った。
私の愛したミヒャエル、は、まだコース上に生きていた。
運がよかったのは確かだ。ルビーニョのトラブル、JPMのピット失敗および2セットめのタイヤの不調(これらがなければ3位以内に入れた可能性は高い)、DCのペナルティ、そしてもちろんキミのオーバーラン、諸々のことが重なったすえ、いちどは自らの失敗で失った栄光は、向こうからミヒャの手の中に転がりこんできた。
ただ、彼自身の言葉を借りれば、「運は自分で掴むもの」。彼も彼のチームも、結果を誇ってかまわない。
トッドと抱きあう姿が心に沁みた。
表彰台の、それから記者会見でチームに謝辞を述べるときの、表情がとてもよかったのが嬉しかった。
エンディングに流れた映像に、彼を知り、彼を見つめてすごした濃密な年月を思いかえして、涙が止まらなかった。
だから、おめでとうではなく、ありがとう、なのだ。
彼がもたらしてくれたかけがえのない日々に、ありがとう、なのだ。
* ルビーニョのトラブル
ITVのジェームズ・アレン(元ピットリポーター、現コメンテーター)が、『ルビーニョだけに起こるトラブルの不思議』に言及している。曰く、"It
is the most reliable car, at least in Schuey's hands. ...(中略)...Why does
it never happen to Michael?"(James
Allen's Race View, 23/07/02).
今年、ルビーニョがスタートできなかったのは3回、完走できなかったのは5回(そのうち1回は事故によるもの)、その間ミヒャエルは全戦において表彰台に立ち、合計で16戦にわたってポイントを獲得している。
これを、チームがわざとやっているはずはない。事実、チームは今年ルビーニョにミヒャと対等に渡りあえる道具を与えている。しかし肝心なときにこれが働いてくれない。
かつて、私はミヒャエルのことを『チームメイトの運を吸いとって勝利を手に入れる男』と称したことがある。ジャッキアップされたままの紅いマシンを見たとき、それをふと思い出した。
ミヒャの勝ち、を予感した。
ほんとうはこのひとは、誰の助けがなくとも勝てるひとなのだ。それをあらためて見せつけるいい機会だと思った。
ロスは、今後ルビーニョの2位を確実なものにするためできるかぎりの事をすると発言したが、運を自分の手元に呼びよせるのは決して楽な仕事ではない。ましてや他人任せでどうにかなるものでもない。
と同時に、たとえタイトルが確定したからといって他のドライバーに便宜をはかるあのひとの姿など見たくない、とも思う。
ミヒャ・ファンのわがまま、を抜きにしても、ルビーニョにとって今が正念場だ。
* ミシュランの逆襲…?
勝利こそ逃したものの、トップ10のうち8台を占めたMIは、本拠地で面目躍如といったところ。BSは優勝のミヒャの他はかろうじて7位にニックが食いこんだのみだった。
しかし、MIのレース・ポテンシャルを引き出したのは、ポールシッターではなくマクラーレンの2台だ。とくにキミは43周目に前を塞ぐJPMの姿が消えたとたんコンマ5秒以上速いペースになり、の第3スティントではほぼ15秒台で揃えた。DCのロングランといい、タイヤ&マシンの安定性が窺える。
レース中、ウィリーに比べてマックはリアに優しいとアグリが解説(フジTV)していたが、同じことを前述のジェームズ・アレンがニュルのレースレポートで、指摘している。アレンはこのとき以来、少なくともレースにおける力関係はマック>ウィリーであるという主張を崩していない。彼によれば、MIのタイヤは磨耗がコンスタントではなく、マシンバランスを崩しやすい、その点で素性の素直なマクラーレンのマシンはこの頃うまく対応しはじめている、という。
ウィリアムズ関係者の証言をまとめると、車体の特性から硬めのタイヤを選択したが、レースでは温まりきらず、距離を重ねるにつれてどんどんグリップがなくなっていった、ということになる。デュパスキエはこれに加えて、2種類のタイヤの間には、1周あたりコンマ数秒のパフォーマンス差があった、と話している。
JPMのラップタイムは、第2スティントに入ってがくっと乱れた。1回目のピットストップ時期は綺麗に3で割った24周目なのに対し、2回目は43周。静止時間はミヒャと同じだったのだから、燃料的にはもっと走れたはずだ。だが、気に入らないタイヤを変えても状況は好転しなかった。今回は(も?)ウィリアムズは完敗だった。
さて、ミヒャのペナルティがなければ接戦にはなりえなかったという声は強い。しかし一方で、DCにペナルティがなければ、三つ巴の争いになっていた。2回目ピットストップ後のペースはDC>ミヒャだ。キミを追いかけまわすどころではなかったかもしれない。もっとも、レースにたらればは無意味だが。つくづくマクラーレンは惜しい機会を逃したものだ。
* 放映に関する呟き。
7月22日のヒトリゴトでも触れているが、ITVを見て知ったのは、コメンタリーブースは情報の宝庫である、ということだ。TVモニター、テレメトリー、ピットからの情報、本職の知識(ITVはマーティン・ブランドルが解説を担当。よく喋る。喋りすぎと言われる。)、羨ましいくらいの情報の洪水である。
昨年、スパの事故のときにも思ったことだが、地上波はこの情報の吸い上げが遅すぎる。あるいはカットされてしまっているのか。レースはエンターテイメント、ということなのかもしれないが、現代のF1は目の前で起こっていることだけを見ていても、何が何やら判るまい。視聴者にとっては実況が命綱なのだ。
今回、ペナルティに関しても焦れったかったが、もっと呆れたのはHHFのジョーダンスポット参戦の話、そしてレース後の黄旗追越し疑惑の話が、完全に削除されていたこと。済んだ話、にしてほしくはなかった。それで痛い目を見た過去のある人間としては。
もうひとつ。
レース前のグリッド紹介で模型が使われている。それ自体はいいのだが、模型をアップしている暇があったら、背後のスクリーンに流れている生のグリッドの風景を映して欲しい、と思う。大概のファン心理には適うと思うのだが、如何。
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