日曜日 10/13
シグナルは点る
ダミーグリッドでは各車、順調に準備をすすめているようだった。直前にトラブルが出たらしいフィジコとジェンスも、ピットのゲートが閉まるぎりぎりにかろうじて間に合ったのでほっとした。
時間になり、クルーたちがマシンを残して脇の芝生まで下がる。あとは、ドライバーと天に命運を託すのみ。
パレードラップでは、思いがけず素敵なものが見られた。隊列が1コーナーを回り、2コーナー、S字…と進むのにつれて、観客席が波うったのだ。
打ち振られた旗は、あるいは黄色だけではなかったかもしれない。それでも、ざわざわと、列の進度にあわせて揺らめくスタンドは、あきらかにただひとつのマシンの動きに添っていた。ただひとりのドライバーへの、エールだった。
母国出身のドライバーを、結果の望める位置に持つということは、こういうことなのだ。
ゆっくりサーキットを一周した列は、ほどなくしてグリッドにかえってきた。先頭をきる紅いマシンが、しずしずとポールポジションに車体を寄せる。
涙がこみあげたのはそのときだった。
過去2回のグランプリのうち、1回はグリッドにつくことができなかった。2度めは、きちんとしたスタートがきれなかった。そしてそれきり、私は鈴鹿に来られなかった。私は、彼が鈴鹿を制するのを生で見たことがない。
ほんとうは、あの日 2000年のあの日にこそ、この場所にいたかった。この目ですべてを見届けたかった。その悔しさを、突如として思い出したのだった。
ああ、きっとあの日も同じようにあなたはその場所にいて、そこからまっすぐ勝利へと飛び立ったのだろう。
TVで見ただけのスタートのシーンが、目の前の風景に重なってみえた。シグナルはまだ赤かったけれど、既視感のようなものがあった。このレース、ミヒャエルが勝つと思った。
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get back to usual life
オープニングラップは予想通りミヒャエルが獲り、スターティンググリッドと同じ順番でDCまでの3台が駆け抜ける。そこでくるりと踵をかえした。
あとは各自の努力と運次第だ。がんばれよ。何人かのドライバーに向けて心の中でエールを送った。
しかし今回の鈴鹿、最後まで一筋縄ではいかぬようにできていたらしい。すんなりと帰してはもらえなかった。
グラスタ裏まで出て、タクシーを呼ぶため携帯を取り出そうとし、青ざめる。ない。
私はがさつな性格そのままに、ジーンズの時は財布と携帯を後ろポケットに突っこんでおくのだが、そこには財布しかなかった。もしやバッグに放りこんだかとひっくりかえしてみたが、やはりない。落としたのだろう。
スタンドで席を立つまでは、確かに持っていた。落としたとすれば、通路でスタート待ちをしながら立ったり座ったりしていたときだ。走って戻ろうと振りかえったとき、BSブースの大画面に、DCが大写しになった。
それがどこかとかどういう状況かとか考えるより先に、なんで顔が映ってるの、と首を傾げた。リタイアしたのだと理解するのに、数瞬を要した。
そうか、私はこれほどに彼を応援していたのか。携帯を落としたことより数段にショックだった。
幸い、携帯はすぐに見つかった。スタンドになかったので悄然としつつスタッフに訊ねたら、これでしょうかとすぐに持ってきてくれた。大喜びしながらも、電車の時間を気にする私を気遣い、そこそこの確認作業だけでかえしてもらえた。(S2スタンドゲートのお兄さん、本当に有難うございました。)
帰るひとは私のほかにもちらほらといた。
歩みを進めるほどにだんだん遠ざかっていくエキゾーストノートは、泣きたくなるくらいきれいで、けれどもう振りかえるつもりは私にはなかった。電車の時間が迫っていたのもあるが、それよりなにより、見るべきものは見たという達成感のほうが大きかったのだ。あとは家に帰ってTVを見ればいい。
私にとっての2002年日本グランプリは、こうして終わった。
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SUZUKA 2002
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