蛇足の後日談 10/14
朝10時に目が覚めた。自分の部屋。そうだ、昨夜帰ってきたんだ。
なんだか不思議な感じがしたけれど、それは今までサーキットから帰ってきた翌日に必ずつきまとっていた感覚とは違っていた。
いつも何かが物足りなくて、どちらが現実か判らなくなるような、ふわふわした不安と寂しさがあった。今回は違う。どちらも地に足ついた現実だった。
とても満ち足りていた。
洗濯と掃除を済ませ、軽く腹ごしらえをしてからトーチュウを買いに町に出た。のんびりした秋の休日の陽射しはやわらかく、ふと焼けつくようだった鈴鹿のそれを思った。私の右手首には、時計の跡が白く残っていた。
商店街のアーケードには、旗日の国旗がひらひらと風に揺れていた。まるでひとりの若い日本人の快挙を、称えているかのように。
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日本人である、というだけで応援はしない。殊に琢磨は、F3ドライバーとして見てきた経緯があったから、今年は応援も評価もしないできた。お手並み拝見という気持ちもあれば、判断を下すには早計だと思ってもいた。
最初に彼に会ったときの印象が、まだ私の心に鮮明だった。
土曜日、宿に帰ると、同室の仲間が琢磨応援旗を制作していた。自ら手伝った旗がTVに映ったとき、思わず笑みがこぼれた。
母国のドライバーに、声援をおくる。あたりまえかもしれないけれど、日本では久しく見られなかった光景。ひらひら揺れる旗の波が、彼の動きにあわせて流れていく様は、実にうつくしかった。
火つけ役が誰であろうと関係ない。軽薄なナショナリズムなどを超越し、観客を乗せ、酔わせ、祭りの渦中へと引きずりこんだ張本人は、間違いなくこのひとだ。
佐藤琢磨。
ひさしぶりに見たその全開の笑顔の前では、どんな思惑も無意味だった。
トム・クラークソンは''fairytale''と称し、ジェームズ・アレンは''romantic story''と記した。グランプリには、ときとして理屈だけでは説明のつかないドラマが生まれることがある。
奇跡のような、偶然のような、運命のような、その瞬間を私は愛する。
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夜になって、H社のS氏から電話があった。
『楽しかったか?』
うん、めちゃくちゃ楽しかった、と答えた。
本拠地で入賞してさぞかしご満悦かと思えば、根っから技術屋の彼は他の3台が完走できなかったことのほうを気にしていた。
『おかげで今週末は土曜出勤だよ』
「え、なんで。」
思えば間抜けな反問だが、すっかりF1は『終わった』つもりでいたので、咄嗟にはてなマークしか浮かばなかったのだ。
電話の向こうで彼は苦笑した。
『阿呆、遊んでる暇なんかねぇんだよ』
真紅に染めあげられたシーズンは終わり、ドライバーたちはバカンスに出かけ、F1は冬眠の季節を迎えた。
けれど水面下では、すでに新たな戦いが始まっていた。
...FIN.
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SUZUKA
2002
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