土曜日 10/12



旅先で寝坊をしたことは、不思議とない。普段の寝起きの悪さが嘘のように、かぱっと目が開く。自分ではそのつもりでなくても、やはり興奮してアドレナリンの分泌量が少々多いのかもしれない。
行きがけのコンビニでお茶とおにぎりだけ買って、いそいそと場所取りへ向かった。予選という名の真剣勝負、ピットしか見えない指定席で燻っている気は毛頭なかった。

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フリー走行 

狙いは、昨日も陣取ったG席裏。マシンのスピードとバランスが目の前で観察できるうえ、ちょっと目を上げるだけでピット上の電光掲示板を確認できる。
G席の反対側でS字を見ることも考えなくはなかったが   ここでのミヒャエルの走りには定評がある   、昨日の場所がぽっかりひとりぶん空いているのを見た瞬間、決めた。今日は一日、ここに腰を据えよう。

土手の上には、ちょうど私の腹の高さほどの木の柵がある。たいした高さではないが、ここに座るとS字のほうまでぐっと視界が開ける。絶景かな。こりゃいいや、と束の間パノラマを楽しんだ。
楽しみが束の間に終わってしまったのは、すぐ警備員が飛んできたからだ。真後ろは急な土手で、落ちたら無傷では済むまいから、まぁ仕方がない。それにしても、あの眺めを諦めるのは惜しい。来年は脚立でも持ってこようか。

2度のセッション中は、ひたすら逆バンクを抜けていくマシンの挙動を見ていた。
全体の流れはピットFMや場内放送を聞いて随時確認してはいたが、クルマが前を通るたびにエキゾーストにかき消される。各々の現在順位などは、ほとんど把握できない。片方耳栓をつければ違ったのかもしれないけれど、音をシャットダウンしてしまうのがなんとなくもったいなくて、そのままにしていた。
次々と駆け抜けるマシンたちが、秋の澄んだ光に映えてきれいだった。

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予選直前、あふれる人々。
予選 

見はるかす人、人、人。予選まであと5分をきって、スタンドを飾る人の群れはなお増えつづける。
晴れた空、舞飛ぶトンボ、エンジンテストの響き。膨れあがる人の波。
不意にぞくぞくして、訳もなく泣きたくなった。

総合タイムのいいマシンは、逆バンクを抜けるとき、カーブの頂点でほとんど減速をしない。滑るように、無駄も隙もなく抜けていく。2コーナー立ち上がりから続くリズムの重要さは、今年も変わらない。
マクラーレンの2台は、朝から幾度となく違うラインを試していたが、予選でも同じことを繰りかえしていた。苦労の甲斐あったか、最後は揃って2列目をゲット。満足には程遠いがDCが前だったので、ひとまず安堵する。
ウィリアムズ勢はいいところなし。朝ラルフが頑張って、予選は赤旗中断まではJPMが粘っていたが、そこまでだった。コース再開後、各車がタイムを上げてくる中で、一周をまとめられなかった。

逆バンクでのミヒャエルは地味な走りに終始した。地味だったけれど、一周めぐってくれば、ぽん、とトップタイムを叩き出す。そこには不可思議な凄みというか、揺るぎない存在感のようなものがあった。
一昨年、そして昨年、『驚異的』と言われたミヒャエルの予選を、私はブラウン管を通してしか見ることができなかった。だから今年は、どうしても彼の速さを体感したかった。最後のアタック、琢磨の好タイムに湧きあがる実況を完全無視して、私は電光掲示板を睨みつけていた。
そして、鈴鹿へ来た目的のひとつは、達せられた。

ただ、今にして思えば、琢磨の入魂のラップを見逃したのはもったいなかった。パルクフェルメでもみくちゃにされる表情は明るく、F3で見たのと同じ満面の笑みが戻ってきたのが、なにより嬉しかった。

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我慢くらべ 

予選の赤旗中断は、130Rでのマクニッシュのクラッシュによるもの。ガードレールに直撃大破したマシンの撤去と、ガードレールそのものの修復作業に1時間以上がかかった。これが、私にとっては悪夢の始まりだった。
それまでは予選の行方を気にかけることでなんとか誤魔化してきた反動が、セッションが中断したことで一気にやってきた。怠い暑い眠い。いくら水分をとっても喉の渇きがおさまらない。そこにじっとしているだけで疲れる。
それでも日陰に避難しなかったのは、ことさら我慢大会をしようと思ったわけではない。この日自由席の、それも私の周辺の観客の態度があまりよろしくなく、シートが敷いてあっても、そのうえに持ち主が座っていようとも、堂々と土足で踏みこんでくる輩が多かったからだ。
みっともないとは思ったが見てくれより実を取ることにし、首と腕(半袖だった)にタオルをこれでもかと巻きつけ、ジャケットを頭から被って、コース再開まで昼寝をきめこんだ。体力をできるだけ消耗しないための苦肉の策だったのだが、あまり効果があったとはいえない。
ようやくコースが再開されたときは、本気で「助かった」と思った。

そんなこんなで、マクニッシュのクラッシュの状況は、ずっと後になるまでよくわからないままだった。のちに映像を見たとき、ぞっとした。よくぞ無事でいてくれたものだ。
SUZUKA 2002