金曜日 10/11 寝覚めは最悪だった。意識は覚醒しているのに、身体がぴくりとも動かないのだ。友人に緊急マッサージを頼んで、ようやく起きあがれるようになる。 そんな状態だから、予定していた出発時刻には大幅に遅刻し、サーキットまで送ってくださる宿の方には多大な迷惑をかけてしまった。 サーキットランドの通路には、昨日は準備中だったショップが軒を連ねていて、早速ひっかかる。本当なら日曜日決勝後の叩き売りをアテにしたいところなのだが、今年はその時間がない。買うべきものは今のうちに見繕っておかねば、と多少焦ってそれとなく物色。 そんな暢気なことをしていたのも、入り待ちをする気がなかったからだ。その気力がなかった。(以前後ろから押されてミヒャエルの車の前に飛び出しかけたことがあり、体調不良の状態でもみくちゃにされたくはなかったのだ) 後日、ミヒャエルがスクーター出勤だったことを聞き齧り、地団駄踏んだ。 座席に辿り着いたのは、10時をやや回っていただろうか。ピットの中は昨日とうってかわって、クルーたちがてきぱきと働いていた。グランプリも本格始動である。 相方に昨日の報告などをして時間を潰す。 10時半くらいから、SCがコースの点検を始めた。…のだが、ホームストレートを何周にもわたって全開でぶっとばしていくので、楽しそーだなァと的外れな感想を抱いていた。 +++ 座席あれこれ―S2 この日、とりあえず1回目のフリーは指定席で見た。 一年目に懲りて以来、鈴鹿にくるなら指定席を取る、と決めている。ただし、ぜんぶを指定席で見るつもりではない。サーキットにきたら、ひたすら疾走するマシンを眺めながらふらふらとうろついて回るのが醍醐味、と勝手に思いこんでいる。それなら、なぜ指定席を取るのか?保険である。一雨くれば、自由席はとんでもない状態になる。足元を気にしていては、見るべきものも見たいものも見落としかねない。また、毎朝いちいち場所取りに気を回す必要もない。避難場所さえ確保しておけば、あとは安心、というわけだ。 40分頃、JPMが出てきてピット前でフォト・セッションを始める。続いて、ラルフ。エンジンテストをBGMに、あちこちで『最終戦の金曜朝恒例』であろう行事はさくさくと進む。 セッション開始10分前には他のドライバーも三々五々と出てきて、スタッフと話をしたり準備をはじめたり。ドライバーが準備を進めていく様子というのは、グランプリシーンの中でもとても好きな場面なのだが、いかんせん私のカメラでは手も足も出ないので放っておいた。 マクラーレンのクルーたちは、整然と指定位置に立って、時を待つ。 フェラーリピットも次第に慌しさを増し、やがて張りついていたFOCAのカメラがターゲットを補足した動きをみせた。 この位置からは見えないが、ミヒャが出てきたに違いない。よーく見ると左の奥のほうに、それらしき人影がある。こっそりと注視しておいて、マシンに乗りこむ瞬間、ファインダーを向けた。(ちなみに開始きっかり1分前だった) ちゃんと写っているかは、帰宅してPCに繋ぐまで判りませんでした。 ちなみに、オリジナルはこんなかんじ。↓ S2の利点のひとつは、広いトイレが近いことだろう。待たずにすむし、化粧直しもしやすい。 一方で肝心の観戦のほうはというと、ピットの動きがわかるからマシンが走っていなくても飽きることはないが、マシンそのものを見るには向かないことはなはだしい。 しかも私の場合、気が多すぎてきょろきょろしていたので、ピットのほうでも見落としたものが数知れず。ウィリアムズとマクラーレンとフェラーリと、全部を追うのはさすがに無理がすぎた。オーロラビジョンを活用すればいいのだと気がついたのは、ずっと後になってから。 見るのが駄目なら聞くしかない、というわけで、この朝はストレートのど真ん中の座席を生かしてエンジンのフケ具合にひたすら耳を傾けていた。 +++ Enjoy the sound F1のエキゾーストノートを生で聞くのは、実に16ヶ月振りだった。次々とマシンがピット出口へ向かう姿を、懐かしく見送る。ストレートを全開で駆けぬける音色に、ぞくりとして目を閉じた。 この音の虜となって、はや9年。陳腐な言い回しだが、泣きたくなるほどきれいだ、と思う。『音』を『楽しむ』のが音楽なら、F1エンジンの音はまさに音楽ではないだろうか。 この日、いちばん気持ちよさそうな音を出していたのは、ホンダだった。昨夜、S氏が電話で散々自慢をしていたが、なるほど、こうきたか。澄んだ音色は全エンジン中でもっとも高く、蒼天に吸いこまれるように響く。 よしよし、きれいなのは判った。調子よさげなのも判った。あとは耐久性だ。(はっきり言って信用してません) 他は、ウィリアムズが調子よさそうだった。フェラーリは思ったより野太いコシのある響き。あちゃ、と思ったのはミナルディで、予想はしていたが重たい音をひきずって走っていた。 聞き齧った話だが、エンジンの調子がいいときというのは、すかっと空に突き抜けたような透明な響きがするんだそうだ。これがすかーん、になってしまうと空吹かし状態で、せっかくのパワーが無駄になってしまう。逆に重たい音だとパワーが出きっていない状態なんだという。 その一方で、エンジン音というのは、エンジンそのものの性質や調子と関係なしに、高さ調節ができるらしい。 理系全滅の私にはそのへんのメカニズムは判らないが、S氏の話から察するに、今回のホンダは『母国だし、きれいに出せるものなら出してやる』という感覚はあったようだ。 「今回持ちこんだエンジンは実際調子がよかった」からいい音がしたのか、「今回は凄いらしいという先入観があって実際きれいな音がした」からいいエンジンだと思ったのか、さて、どちらだろう。