ヘレスの記憶 : 48周目の悪夢 - 1



決戦、前夜。

よく晴れた週末だった。最終戦までもつれこんだタイトル争いは、シューマッハー78ポイント(5勝)、ヴィルヌーヴ77ポイント(7勝)でその日を迎えた。
当日のことを描いた文章はどれも、凄まじいテンションの高さを話題にしている。私自身こうして思いかえして真っ先に脳裏に浮かぶ記憶は、ブラウン管を通してもありありと解る異常なまでに張り詰めた空気だ。

火付け役は、前戦日本GPにおいてヴィルヌーヴがフリー走行中の黄旗無視が原因で失格となり、5位2ポイントを剥奪された事態だった。その結果、1点リードで最終戦を迎えるはずだったヴィルヌーヴは、逆に1点を追う立場へと追いこまれた。
フェラーリがルクセンブルクGP(ニュルブルクリンク)で派手にコケたため、鈴鹿前の段階では、チャンピオンシップは圧倒的にジャック有利(9ポイントリード)と目されていた。それが、この裁定で一気にイーブン――ややシューマッハー有利――へと状況がひっくりかえったわけだ。史上稀に見る対決、と興奮する人々ばかりでは、残念ながらなかった。
アンチ・シューマッハー派はこれを「フェラーリを優勝させるための陰謀」だと憤慨して憚らなかった。というのも、第14戦オーストリアGPでレース中に同じく黄旗が「見えなかった」ミヒャエルは、10秒ピットストップのペナルティのみで放免されていたからだ。しかも、一旦は提訴したウィリアムズのアピールを取り下げさせたのは、マックス・モズレーの脅しともとれるコメントだった。「鈴鹿での2ポイントを失う程度で済むならいいが、もしヴィルヌーヴが最終戦に出走できないなんて事態になったら、バーニーは真っ青だろうね。」(AtlasF1, Oct. 15, 1997)

FIAはフェラーリを贔屓しているのではないか――疑惑はシーズンを通してパドックについて回った。「F1はもはやスポーツじゃない、ただのビジネスだ、八百長だ、というのが、懐疑主義者たちの言い分だった」(アレン、p11)。最大の疑惑は、当時禁止されていた電子制御系、とくにラウンチコントロールに関するもので、ミヒャエルのマシンに対する同様の不信感が、かつてベネトンで走っていた頃にもあった。どちらの場合も、もちろんチーム側は否定した。「だが、噂は絶えなかった」とアレンは記している。「噂を流すのは簡単だが、疑われたチームが証立てをするのはほぼ不可能なのだ。典型的な噂はこんなかんじだ。“チームXはとても賢いソフトを開発した。ホイールスピンを抑える効果を持つもので違法なのだが、あんまり性能がいいので、FIAにも発見できない”。 ・・(中略)・・ もし他チームがこれを信じたいと思えば、シューマッハーがいかに否定しようとも、自分たちの信じたとおりに解釈するだろう。」(アレン、p23-24)

実際にフェラーリが不正を働いていたかどうかは、正式には解明されていない。FIAに優遇されていたという物的証拠が残っているわけでもない。ただ、事実がどうあれ、周囲はほぼそう信じていた。先入観、と一括してしまってもいいが、そこまで弁護的になる必要もない。いい悪いではなく、ほとんどの人がその可能性が高いと考えていた、その精神的心理的下地がタイトル争いそのものにも、その後の騒ぎにも、大きな影を投じたことは確かだ。
(ちなみに、もしLCSなりTCSなり積んでいたとして、その場合ドライバーの無罪放免はありえない、というのが私の個人的解釈。一介の雇われドライバーにチームの決定に逆らうことなどできようはずもない――いくらミヒャエルだろうがそれは一緒――が、沈黙は消極的な荷担であり、乗っていた以上まったく知らなかったということはありえないからだ。ただしそれが良心的にいいことか悪いことかを論じる気は、私にはない。どちらにしろ当時の私が当時の彼の走りに感動した事実は変わらない)

もっとも、黄旗に関していえば、これは完全にヴィルヌーヴ側が迂闊だった。当時のニュースは的確に背後関係を解説している。
すなわち、日本GPにおいて黄旗無視でひっかかったのは、ヴィルヌーヴ、シューマッハー、フレンツェン、片山、バリチェロ、ハーバートの6名。うち、ジャックを除く5名には『執行猶予つき出場停止』の処分が下されている。ジャックのみが即刻出場停止の重い処分となった理由は、Motorsport.comのニュース配信記事、およびジョー・セイウォードのシーズンレビューに明らかだ。
「ジャック・ヴィルヌーヴはまたしても黄旗無視の違反を犯し、一戦出場停止の処置が確定した。これは、9ヶ月前に下され、これまで執行を猶予されていた処分だ。現在のところ、彼は提訴したまま明日のレースに出走するもようだが、最終的に失格となる見込みが高い。・・(中略)・・ シューマッハーも同じく黄旗無視を問われ、執行猶予つき一戦出場停止の裁定を受けた。彼はいまのところ未執行の処分はなく、この処分も来期に影響することはない。」(Motorsport.com, Oct. 15, 1997)
「ヴィルヌーヴは黄旗無視により、日本GPのリザルトから除外された。彼は、度重なる黄旗無視により、執行猶予つき一戦出場停止措置を抱えた状態で鈴鹿にやってきたが、懲りずにまた無視を繰りかえしたためだ。」(セイウォード, Review of the year 1997, Motorsport.com, Nov. 1, 1997)
要するに、サッカーに例えれば、ヴィルヌーヴは既にイエローカードを1枚貰っていたのだ。2枚目のカードを出されてから、誰某だってさっき同じことをやったがお咎めなしだった、あいつだって2枚目退場になってなきゃおかしい、と騒いだって誰も聞く耳を持たないだろう。オーストリアでミヒャエルが見咎められなかったことをFIAの贔屓と非難するにしても、それをもって鈴鹿でのジャックの違反が正当化されるという論理はない。ましてやスチュワードがフェラーリ贔屓の判定を下していると認識しているならば、ジャックは今がどんな時期なのかをきちんと見極め、何をおいても自重しなくてはならなかったのだ。
(ベネトン時代のミヒャエルはスチュワードに目の敵にされていた。だから、判定の不公平性をもってミヒャエルの功績を非難する気は私にはない。F1はそういう世界なのだと理解している)

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チームレベルでは、日本GP終了直後から、両陣営ともきわどい応酬を繰り広げている。現在でも読めるニュース記録では、とくにフェラーリ側の攻撃性が目立つが、どうやら最初に手袋を投げつけたのは、ウィリアムズのようだ。
10月15日付のMororsport.comは、パトリック・ヘッドの最近のコメントとして、「シューマッハーは1994年の最終戦で(デイモン・)ヒルを『排除』して勝っている」から、「今回も同じことをするだろうと予測している」という内容を紹介している。
同じ記事で、これに対してミヒャエルが「チェッカーを受けるまでレースをするだけ」だと、他意を否定する発言をしたことが報じられている。それによれば、「シューマッハーは、もし必要とあらばポジションをキープするために積極果敢に応じるつもりだけれど、誰かにぶつけるような真似はしないだろう、と強調した」。(Motorsport.com, Oct. 15, 1997)
翌16日、前述のようにモズレーの提言を受けたウィリアムズが提訴を断念、ジャックの日本GP失格が確定する。これが影響しているのかどうかはともかく、その後フェラーリ関係者の発言が活発化している。
18日、ミヒャエルが「フレンツェンに関する懸念」を表明して曰く、「ジャックがフェア・プレイヤーであることは疑いようもないけれど、チームメイトは果たしてどうだろう。ハインツ=ハラルトは僕をブロックしようとするかもしれない。」(AtlasF1, Oct. 18, 1997)
続いて20日にはトッドが、日本GPと同じように、成功の鍵はアーバインが握っていると発言。「とても大事な一週間になる。奇跡は起こしようがないが、最終戦に向けてできる限りの準備は進めている。」(AtlasF1, Oct. 20, 1997)
ロス・ブラウンは22日にヘレス入りした後、高まる懸念を牽制するかのように、ミヒャエルは公明正大に勝つだろうと述べる。ただし、彼はこうも言っている。「シューマッハーは勝つためにレースをする。ポールからスタートし、チャンピオンシップを守るために、あらゆる手を尽くすだろう。ただしそれ(ポール獲得)が難しいようならば、(タイトル獲得という)目的を果たすべく、最善の戦略に沿って戦うだろう。」(AtlasF1, Oct. 22, 1997)
この、最善の戦略というのが何を差しているのか、また「あらゆる手」がどこまでを含んでいたのか。作戦立案者のレース前のコメントとしては珍しくもない発言だが、結果を元にしてみると、暗示的にも思える。

一触即発の空気は、バーニーが異例の勧告を出したことからも判る。「反則だと考えられるどんな兆候も、厳しく詮議する。有罪とみなされた者には、来期の開幕後数戦は傍観者に徹してもらう。もちろん罰金も払わせる。事故はレースにつきものだが、馬鹿な真似は慎んでもらおう。一方が一方を押し出して決まるタイトルなど、もうたくさんだ。」(AtlasF1, Oct. 22, 1997)
にもかかわらず、その後も両者の舌戦は収まらなかった。23日木曜日にリリースされたAtlasF1の記事に、「ヘレスのプレスカンファレンスでの話」として、ミヒャエルとジャックの次のような遣り取りが紹介されている。
「シューマッハーが『皆は(鈴鹿で)アーバインがジャックをブロックしたと言っているけれど、僕は本当に彼がそのつもりだったのか、確信できてはいないんだ。』と発言するや否や、ヴィルヌーヴはマイクを掴み、反撃した。『あいつは俺を丸々1周ブロックしたんだぞ。ミヒャエルが逃げきるには充分だろう。』」(AtlasF1, Oct. 23, 1997)
金曜日は何ほどのこともなく過ぎたが、翌土曜日には、その分のお釣りがくるような騒ぎが用意されていた。
まず、朝のフリー走行後、ヴィルヌーヴが「アーバインに走路妨害された」と抗議する。「馬鹿げた真似はよせ、と言ってやったんだ」というヴィルヌーヴのきわめて辛辣な批判が、記録に残っている。「(アーバインにブロッキングされるのは)この週末で4度目だ。あいつはわざわざ僕を待っていて、3〜4コーナーにわたってわざとゆっくり走った。インラップだったにも関わらずだ。彼が道化役だってことは皆知ってる。でも、あそこであんな事をしても意味はないだろ、僕はあいつと闘ってるわけじゃないんだから。」(ヨーロッパGP予選後記者会見公式記録, Jerez, 25 Oct. 1997, FIA)
否が応でも高まる緊張感のなか始まった予選では、ポールポジションのヴィルヌーヴ、2番手シューマッハー、3番手フレンツェンの3台が1/1000秒まで同一のタイムを叩きだすという、前代未聞のドラマが待っていた。マックス・ナイチンゲールというウィリアムズ所属のエンジニアが試算してみると、これは、年間17戦と考えて63,000年に一度の確率で発生する事態だという結果が出た。(ウィンザー, F1Racing, 1997-Dec.)
さらに、シューマッハーが最速を記録した周回、コースには黄旗が提示されていたというおまけがつく。「旗は見たよ。静止していたけどね」とシューマッハーは笑い飛ばした。「ルールでは、静止した黄旗の状況では、ドライバーは自分の技量の限界を超えて走ってはならない、とされている。僕はちゃんと自分の技量を見極めて走ったよ。そりゃもちろん、旗が振られていた場合は話が別だが。」(ヨーロッパGP予選後記者会見公式記録, Jerez, 25 Oct. 1997, FIA)

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アレンが「いい加減にしろ、誰がシナリオを書いてるんだ!」(アレン、p11)と書き残すことで象徴した、当時のぴりぴりした空気を、セイウォードは『パラノイア』という単語で説明し尽くしている。
予選を終えて出来上がった構図は、「タイトル決戦としては完璧すぎるほどで、これ以上の集客装置は考えられない」ものだった。ゆえに「まるで、水面下で何らかの力が働いているようだ」と考えた者も多く、「シニシズムが常に大手を揮うパドックにおいては、すべてを偶然で片づけるのを良しとしないスズメたちが、モーターホームの裏で『バーニーが何かやらかしたのに違いない』と囀っていた。」
「ふたりのドライバーが1/1000秒まで同タイムを叩き出すというケースはこれまでにもあったが、三人ともなるとまったく前代未聞であり、更にはそんな事態がタイトル争いの大詰めで生じるだなんて、おいそれとは信じ難い。プレスルームでは、陰謀理論家たちが、『神は月に人を立たせられるくらいなのだから、三人同タイムってことだってあるだろうさ』とぶつくさ言いながら仕事をしていた。神様はバーニーに目をかけてるのさ、と肩を竦める者もいた。いやいや、バーニーはついに人間であることを辞めて、神格化したに違いない、その神ってのこそバーニー自身なのさ、と言い放つ者さえいた。」
「バーニーとモズレーはたびたび、F1を裏で操作していると非難されている。証拠はどこにもなかったが、鈴鹿の黄旗疑惑についても、彼らが何らかのかたちで関わっていたに違いないとみる風潮が一般的だった。」
「だから、ヘレスのパドックでは、一連の出来事を偶然として素直に受け止める人々は稀で、何もかもが――または少なくともそのうちの幾らかは――計算され画策されているのだと、頭から思いこんで不信感を募らせる連中がほとんどだったのだ。」(以上引用、セイウォード, Globetrotter, Motorsport.com, Oct. 27, 1997)

テンションの張り詰め具合は、レース直前のブリーフィングでモズレーがドライバーらに直々に釘を刺すほどだった。こうして、モズレーもバーニーも、チーム関係者もパドックの住人も、誰しもが「何かが起こるに違いない」というある種の期待(負の期待)をもった状態で、いよいよ決戦の火蓋が切られるのである。
そして起こるのではないかと目されていた「何か」が、ミヒャエルがヴィルヌーヴと衝突すること、もっとはっきり言ってしまえば、ジャックにぶつけて勝利をもぎ取るような事態、であることは、誰の目にも明らかだった。