今さらという気もしないでもないが、つらつらと考えたことなどを記しておく。
満足度としては可もなく不可もなく、のレースだった。いちレースファンとしては、先行の2台を別モノと考えればいいだけの話。ル・マンやBF3を見慣れていれば、難しいことではない。
前2台同士、それから後続もそれぞれの位置で、きちんとバトルをしていた。不満がないわけではないが、消化不良をおこすほどでもなく。うまく行くときもあれば、何をやっても駄目なときもある。それを見届けなければならないのは寂しいけれど。
* ミヒャエルはルーベンスに負けたのか
…何もこんなにはっきりきっぱり文章にしなくてもってかんじですが→タイトル。
私にとっては負けた、というよりは勝てなかった、という印象が強い。人間誰でも失敗はあるから、ミスったことを責めるつもりはないが、昔のあなたはそれを自力で取り戻したでしょ、という気分。
レースヒストリーチャート(Tag
Heuer)を見ると、ウィリアムズにひっかかった最初の2周をのぞき、10周あたりまでミヒャエルがコンスタントに詰めてきたあと、彼のスピンまで両者の差はだいたい1秒前後で安定している。自分のミスで10秒を失ったミヒャは、1回目のピットの後はファステストをたたき出したのちも33秒台を並べ(レースラップチャート参照)、2回めのストップに備えた。インラップは両方ともミヒャのほうが速く、ピット作業に差がなかったことを考えると、彼は当初からピットで順位をひっくりかえすつもりで、あのスピンさえなければそれは充分可能だった、ということになる。
今回、チームは2人にそれぞれ完璧な環境を与え、あとはドライバーの腕次第だった。
ミヒャは純粋に届かなかった。
山は登りつめれば、次に下り坂が待ち構えているということは百も承知だ。覚悟はとうに決めたはずで、それでもいじいじ思いめぐらす自分には、ほとほと嫌になる。
少なくとも、負けて悔しいと思う私が存在するうちはまだ、大丈夫だろうが。
ちなみに、オーストリア以来オーダー論議があちこちで盛んだが、今回の「現状維持」はチームの対応としてはごく自然で、驚くには値しない。ミヒャが本気でかかればコース上でも抜けたかもしれない、が、同程度に玉砕・全滅の可能性もあった。無難なのは無理をさせないことだ。どこのチームも、ドライバーの意地よりチームの利益を重視する。
とはいえ、白状すればかく言う私も当初驚いた手合いである。各者のコメントを丁寧に読んでその疑いは晴れたのだが、まだ納得がいかんぞ、という方は、こちら。→●
* タイヤ・パフォーマンス
見るべき人が見れば、別に驚くほどのことでもないのかもしれないフェラーリのペース、私はといえば、"たまげた"。
実は別カテゴリーでしたと言われても、きっと驚かずにすみそうだ。ここまではっきり差がつくと、むしろ他が情けない、と辛い採点をしたくもなる。
もっとも、現代F1において見た目の差と実力差とは比例しない。ピットストップ戦略の違い(すなわち燃料積載量の差)も要素のひとつ。今回でいえば、ラルフのペースが上がらなかったため、後続はこれにつかえてフェラーリを追えなかった。
とはいえ仮にマクラーレンが前にいたところで、太刀打ちできたかといえば、疑問である。
そもそも採れる戦略の幅というのが、マシンコンディションによって大きく左右される。バランスに安定感がないクルマは、一定水準以上のドライバビリティを確保するために犠牲にする部分が大きい。ミシュランタイヤの特性に悩むウィリアムズ&マクラーレンは1ストップを選ばざるを得なかったが、パッケージで上回るフェラーリは、逆にいろいろな作戦を自由に組み合わせることができた。
今年のフェラーリの強みは、何よりもチームを回す歯車がすべてきれいに噛み合っているところにある。ミヒャもルビーニョも、どこのサーキットへ行ってもコースを滑るように美しく駆ける。
さて、その差の原因をタイヤのみに帰するのは意味がないが、ミシュラン・トップ組がタイヤに足をひっぱられているのは事実。
今期、レース中にミシュラン勢のタイヤスモークが映しだされる回数が多い。以前にも似たようなことがあった。ふたつのメーカーのタイヤの性質差が大きくて、メディアがこぞって話題にした。
あのとき、メーカーはBSとグッドイヤーで、我らが王様は後者を履いて苦しんだ。1997年の夏。GYのスリックタイヤは、毎戦のようにブリスターに悩まされた。王様が一生懸命尻を叩いても、なかなか状況は好転しなかった。
ものごとには流れというものがある。ひとつ間違うと、何もかもが悪いほうへ転がっていってしまうのが、この世界である。
ただし同時に、今が順風満帆だからといっていつまでも大丈夫というわけでもない。
油断は、禁物。
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