2001年ドイツの旅。
2. ケルンの街。
そのに。
ケルン中央駅の中はいつも賑わっている。北から南へ通り抜ける人、切符を買いに並ぶ人、路線図と地図をにらめっこで行き先を探す人、時刻表と腕時計を見比べる人、パン屋の行列、新聞とミネラルウォーターを抱えた列、雑貨屋のお土産を物色する群れ。とにかく人、人、人。
1階コンコースは南北に2本の通路が貫いていて、両側に店が並ぶ。その二つのコンコースを更に3本の通路がつなぐ。左右の2通路は自動切符販売機やロッカーが置かれていて、真中の1本は食堂街。パブのような店からサンドイッチカフェから食料品店から、いろいろあって目移りする。基本的に、食事はここで全部すませられる。安さの割に量がしっかりしているのがなにより魅力。ちなみに、英語はまったく通じません。
私のお勧めはビールとザウアークラウトとソーセージ。あとはパン。サンドイッチショップの魚の酢漬けは、英国で痛い目に遭っているので迷ったが、頼んでみて正解。父なるラインは偉大なるかな。(苦笑)
駅構内の本屋はさほど広くはないが、時間つぶし兼探しもので覗いて歩いていると、不思議な一角にでくわした。漫画コーナー…なのはいい。ただし置いてあるのがみな日本の漫画。もちろんドイツ語。セーラームーンやドラゴンボールはロンドンでも置いているところがあるが、アトムとかガンダムとかアキラとか、とにかくずらっと並んでいる。ちょっと圧巻である。
新聞・雑誌は、構内にあるコンビニともキヲスクともつかない店に置いてある。F1関係のものを重点的に探したが、Bild(ドイツ最大の大衆紙)がトップで扱っているくらいで、雑誌類は見当たらない。特集組んでるかと思ったのに、残念。
滞在中はBildを買っていたが、そもそもドイツ語など読めないので、如何に字数が少なかろうとあまり意味はなかった。言葉など解らなくても旅はできるが、解ったほうが楽しい。ひょんなかたちで自分の英語の上達ぶりを実感。
それはロンドンへ帰る日のこと。昼過ぎの列車に乗るのに、微妙に時間が空いてしまった。ケルンのハイストリートは結構広いから、服や雑貨を買いに行くには時間が足りない。駅のコインロッカーに荷物をつっこみ、街を散策することに決めた。あてもなく気兼ねなくふらふらと。
聖堂の横丁のモニュメントは、ケルンに伝わる寓話、ハインツェルメルヒェン。家人の寝ている夜中にパンを焼き仕立てを片づけソーセージを作っては商売を手伝ってくれる働き者の妖精たちの逸話は、咲き誇る花に囲まれて、真夏の街並みに融けこんでいる。赤いパラソルの下ではビールグラスが次々と傾く。
名前もなさそうな路地の途中に、突然ストールが立っていた。売っているのはアクセサリ。手作りだろうか。そのまま暗い小路を行けば、ヴァイオリン工房なんかがあったりもする。狭い工房は今日は無人。でもここから音が生まれていく。小路を抜けたらそこは広場。夏休みの昼時に人々はビールで乾杯。アイスクリーム屋も大繁盛。たぶん普通の日常風景なのだろうけれど妙に楽しげ。
見落としてしまいがちな風景を見つけると嬉しい。
河岸に出たら、右へ。今日はドイツァー橋を渡って向こう側へ。聖堂のある側の岸は賑やかだけれど、反対側はとても静かな遊歩道。途中、ベンチに座ってただ流れを眺める。不意に大声で歌いたくなって、立ち上がった。せっかくだからドイツの曲を。民謡やら宗教曲やらとりまぜて思いつくままにソプラノ独唱。そんなことがまるで恥ずかしくない不思議な空間が、ここにはある。天地創造の終曲を歌い上げて息をつけば、わずかながら拍手がかえる。振り向けば、少年が数人、自転車にまたがったまま聴いてくれていた。照れつつもお礼を述べて、ふと帽子でも置いておけばよかったかと現金なことを考える。
帰りはまたホーエンツォレルン橋をえらんだ。渡りきったところに大聖堂は誇らかに聳える。ラインの流れを見守りつつ、悠久の時を生きる。
ヨーロッパの街並みのいちばん好きなところは、やはりこの、時が止まったかのような一角。はるか昔から何も変わらないものにこそ、時代の流れを感じる。変化を、思う。
短い夏のケルン滞在を回想するとき、私はきっと、この、ライン川と大聖堂の光景をまっさきに思い描くのだろう。
目を閉じて、古都の空気を胸一杯すいこんで。
帰路へ、ついた。