2001年ドイツの旅。
3. ボン。
ボンを訪れようと思った理由はふたつある。
ひとつには、旧西ドイツの首都だから。二つの大戦に翻弄され引き裂かれた国の、民主主義の礎となることを課せられた街。過去に犯した過ちを忘れることなく再出発をきった、戦後ドイツの政治の中心地。今は、ドイツの戦後政治も潔白なだけではなかったことくらい判る。それでも学生時代に聴いた過去を背負う姿勢に感じた鮮烈な印象は、いまだ生々しい。
もうひとつの理由が、ベートーヴェン縁の地だから。ドイツには行きたい場所がたくさんあって、そのほとんどが音楽に由来する土地だ。だが、今回の日程でケルンから行かれる距離にあるのは、ボンだけだった。
ケルン中央駅から国鉄に揺られておよそ20分。ボン中央駅は、背負う歴史に不釣合いなまでにこじんまりとしていた。首都がベルリンに移り、ただの大学街に戻った街は、落ち着いた佇まいだ。街の中心へ足を向ければ、さほど人通りもなく静かな細路は石造りの古い教会の脇を抜け、明るい広場へと旅人を導く。
ミュンスター広場の真ん中に、黄壁の郵便局を背にして楽聖は生まれ育った街を見守る。あちこちにストールや車がカラフルなフルーツやアイスクリームを売っている。テントの下で昼間からビールを傾ける人種は、ケルンほどではないがここにもいて、その喧騒が耳を打つ。オープンカフェの形式は英国ではあまり見ないが、ドイツでは多いのだろうか。
おもしろいことに、そこを通り抜けてまた次の街路へと彷徨いこめば、唐突に静けさが戻ってきた。
ろくな地図を持ってこなかったから、あてどもなくただ勘だけで移動する。
英国に暮らして、なんとなく嗅覚のようなものが備わった。危険、な場所は、確実ではないにしろ判る。ちりちりと、嫌な予感がしたら、その方角には行かない。それさえ守れば、少なくとも命は手放さずにすむ。逆に、街中で地図を広げて通りの名を探したりするほうが、恰好の餌。隙は与えないにこしたことはない。
と同時に、ふらふらと思いつくままに歩いていると、思わぬ発見に出くわす驚きがある。予備知識がないのだから、目に映るなにもかもが新鮮。どうせ気侭な一人旅、時間だけ忘れなければ、何をしたって構わない。
目指すは、ライン川。何があるというのでもなく、川まで行って帰ってこようと、そう思っただけ。
マルクト広場のボン旧市庁舎は、建物全体が、ピンクの地色に白い柱と窓枠、金の飾り、というなんともメルヘンチックな色彩。正面の屋根に大きなボン市の紋章を誇らしげに戴いている。しかし、ど真ん前を遮るかたちで、サマーコンサートかなんかの舞台が設えられているのはどうしたものか。楽聖のお膝元のくせに調和もなにもあったもんじゃない。
コンサートは日時を決めてやるのだろう、舞台も周囲も妙に閑散としていた。
広場で買ったアイスクリーム――英国より安い!種類も豊富――を舐めながら、また脇道へと彷徨いこむ。なんだか普通の住宅街のよう。右手にまたひとつ教会を見て進めば、広い通りを挟んで正面にオペラハウスが建っていた。
近代的な建物には、横断幕がいくつか飾られていた。欧州の夏はコンサートの季節だから、公演の案内かなんかだったのだろう。が、ドイツ語を理解できない身には何のことやら、この建物がオペラハウスであることを知ったのも、実は後になってから。
通りを渡り、オペラハウスの横を突っ切ると、目指すラインがそこに横たわっていた。
河岸はここも綺麗に整備されていて、花壇に座って休む夫婦や行き交う子供の声が響く。橋を潜りしばらく歩くと、左手の土手の上になにやら建っていた。案内板には、ベートーベン・ホールとある。とりあえず覗いてみるか、と坂を上がり、建物正面へ回って仰天した。
芝生の上に、巨大なベートーベンの顔があった。
モニュメントは見たところ非常に丁寧な構造で、楽聖の表情を巧く捉えている。折角だから近くで見たかったが、広い芝生がちょうど育成中のようで立ち入り禁止になっており、遠くからシャッターを押すしかできなかった。
ちなみに、このベートーベン・ホールというのはいわゆるコンサートホール。その他、会議などにも使われている。が、オペラハウスもそうだったけど、いまいち地味な建物…。
中心街へ戻る道すがら、また教会があった。これまでの教会と違い、扉が開いていた。これは、訪問歓迎の合図。教会めぐりは好きなので、ちょっと休憩させてもらう。
小さな礼拝堂はステンドグラスに囲まれて、静かに午睡しているようだった。誰にも邪魔されず、ゆっくりレリーフを見て回った。
ベートーベンの生家(中は博物館)は、普通の家並みの中に紛れていた。壁のプレートと歩道の看板がそれと示しているが、探していなければあっさり通り過ぎてしまいそうだ。壁はこれまたピンクに塗られていて、緑の窓がやけに可愛らしかった。
中は木造。受付カウンターは土産もののレジも兼任していて、CDを始め各種「ベートーベングッズ」が所狭しと並んでいる。チケットを買うと、奥の扉を示された。博物館に入るには、いったん中庭に出る必要がある。どこかの親子連れがベートーベンの像と記念写真を撮っていた。
世界中に愛される大音楽家を世に送り出した家はたいそう狭く、たくさんの収蔵品を抱えてやや窮屈そうだった。直筆の楽譜に手紙、関係する絵やパンフレットやプログラム、楽器、生活用品などが、3階建て(屋根裏付)の建物内に所狭しと展示してある。いちばん奥の、いちばん明るい場所に、有名な楽聖のピアノが置かれていた。
いちばん見たかったものは見たし、そろそろ日も傾き始めたので、ケルンへ帰ることにする。最後に一枚写真をとベートーベンハウスの前でカメラを構え、足場を確認しようと振り向いたら、向かいの画材屋のショーウィンドウに油絵のラルフ・シューマッハーがいて吃驚した。
誰も騒いでいなくても、やっぱりここはドイツなのである。
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