2001年ドイツの旅。
2. ケルンの街。
そのいち。
とにもかくにも、ケルン中央駅を降りてまっさきに視界に飛びこんで…くるにはちとでかすぎる街の象徴が、駅のすぐ脇にどかんと居座っている。その名も高きケルン大聖堂。13世紀から560年かけて築かれた神の宮だ。天をめざす二本の尖塔は折りしも改修中だったが、そんなことで黒ずんだ石積みの威容と美とは寸分たりとも損なわれない。しかしでかい。でかすぎる。全体像を撮りたくてもファインダーに入りません。
中に入れば、静謐。ときどき修繕中のトンカチの音がお茶目。教会のなかでシャッターを切れなくなって久しいので、長い回廊も高い天井もステンドグラスも、心のフィルムに刻みこむ。ここは祈りの場であって、観光の場ではない。私は教会めぐりは大好きだが、それはキリスト教育ちの端くれ(ただしクリスチャンではありません)として、祈りと願いと歴史に満ちた礼拝堂の空気が心地いいから。単に古い建築物にラヴ、というだけの話でもあるけれど。ただひたすら静けさに浸り、柱に触れて時の流れに思いを馳せれば、エネルギーチャージ完了。元気になれる。
ここは塔の上まで上ることができる(有料)。…ただし自分の足で500段。私のケルン滞在は時間との戦いだったのでとりあえず無期延期。ただの無精といわれればそれまで。いいんだ蝋燭灯して感謝ささげたからそれで。
大聖堂の前は広場の喧騒。市民も観光客も関係なし。大道芸人もちらほら。
ホームレスが数人、聖堂の入口で物乞いをしているのを、見習司祭と思しき青年が説得して追い払う。また戻る。追い払う。その繰りかえし。やはり観光収入は大切なのだとせちがらい現世を思考の左片隅で一瞬だけ嘆きつつ、英国でも珍しくない光景なのですぐに忘れる罪深さ。お互い所詮は俗界に生きる身だ。
聖堂裏手に本屋を見かけるなり飛びこむ。本屋とみれば寄らずにはいられないのはどういった遺伝子のなせる技か。あたりまえだがドイツ語ばっかりで何が何やら判らない。それでも画集と楽譜の数の多さにうっとり。楽譜は大好き。楽器も大好き。道路はさんで向かいに楽器屋をめざとく発見し、後で覗くことを決意。
本屋ではドイツ語学習用の絵本を探す。散々悩んだ挙句、これだ、と意気ごんで購入したはよかったが、帰国してから気づいた、英語バージョンを買ってしまったことに…。
楽器屋で求めたのはヴァイオリンのガット弦。もう弾かなくなって久しい――愛器を英国に連れてこなかったので――ので帰国したってまともに音は鳴らせまいが、それがどうした。日本で買うのと値段が天と地。さすがは音楽大国だとにやにや怪しい人になりさがる。ついでに弓も買い換えたかったが、こればかりは楽器本体との相性なので泣く泣く諦めた。…金さえあれば楽器ごと設えたのに。(無茶だっつの)
楽器屋の隣は、クリスマスショップだった。真夏の晴天下だというに店頭には山と積まれた色とりどりの卵の殻。紐がついていてツリーにぶる下げることができる。イースターエッグというやつだが、本物の殻を使ったものははじめてみた。ものすごく心惹かれるものの、これから英国にいったん帰ってそれから本国帰還の道すがら、壊れない――あるいは壊さない自信は胡麻粒より小さい。壊れちゃったら悲しいのではじめから買わないことにする。
店の中には作り付けの棚にぎっしりと胡桃割人形が並ぶ。ナッツクラッカーは英国でも人気だが、木彫りの人形は見かけなかった。こちらは本場。もっとも、人形作りの盛んなエルツ地方は旧東ドイツだが。ロンドンでの元同居人がナッツクラッカー大好きなのを知っていたので一体買っていってやろうかと思うが、小さ目のものでもゼロが一桁多かった。もちろん、止めた。(そればっかりだな)
結局ここは見て楽しんだだけ。もう一日ケルンですごすようならも一度寄って何か買っていたかもしれない。旅というのはそういうものだ。一期一会、だから楽しい。
その日の真の目的は本屋探しだった。何のためって、ドイツGP関連の雑誌および某ドライバー(今更伏字にする意味がどこに)関連書籍の買い漁り。中央駅の中にもマガジンショップや書店はあったが、目当てのものはみつからなかった。
宿から駅を挟んで反対側、人の多い商店街を歩く。途中お腹がすいたのでパン屋さんでブレッチェンを齧りつつおのぼりさんと化す。ランジェリーショップがセール中で思わず寄り道したり。物価はロンドンに比べれば断然安い。
いやしかし目的は本屋だ。時間を気にしながら――腹減った――ずんずん通り突き進むと、らしからぬカラフルな看板にでくわした。やった本屋さんだ。疲れが一気に吹き飛ぶ。
1階はベストセラーや話題の本といったかんじ。2階に上ると思ったより広く、様々な種類の本が書架に並んでいた。モータースポーツコーナーにはちゃんとお目当ての品が。3種類を選んでレジに並ぶ。「好きなの?」と女性店員。この街ではオリエンタルはあまり見かけないから、好奇心をそそられたらしい。ロンドンやノッティンガムではまずそんな質問されないから(中華街があるから)なんだか新鮮だ。「大好きなんです」と臆面もなく笑えば相手も笑顔。そう、彼はこの国の英雄なのだ。
父なるラインの辺では、どこからどうやって持ちこんだやら、真っ白いグランドピアノを河岸に据えて、無名の巨匠が独演会の最中。鍵盤を踊る指が肩を寄せあう聴衆を酔わす。夕食のサンドイッチを齧りながら、コンクリの土手に座って足をぶらぶらワルツに耳を傾けた。
ラインは雄大に流れゆく。いろんなかたちの船が行く。河岸はさながら人間の見本市。いい人もそしてきっと悪い人もいる。警戒だけは怠らず。
ホーエンツォレルン橋を向こう岸へ。列車と隣り合わせに大河を渡る。渡った先には誰かの銅像。ガイドブックなんて持ってないから、誰の像かは判らない。
階段を降りて水面へ近づき、柵に凭れて来た方角を仰ぎ見れば、橋と教会と駅のシルエットがひとつになって夕陽に輝いていた。