1997年10月26日、スペイン、ヘレス。ファンとしての根幹を揺らがされた一日。





連載予告: ヘレスの記憶






'97年ヘレスを境に、拳を掲げてミヒャエルを応援することを止めた。
やめよう、と決意したわけではないから、この言い方には語弊があるか。翌シーズンが開幕してみたら応援の仕方が変わっていたというだけのことだ。
勝利してほしくて、結果が怖くて、ドキドキしながらTVに向かうことがなくなった。ドキドキはする。けれどそれは不安によるものではなく、楽しみだからだ。いったい何をみせてくれるのか、ミヒャエルに限らず、レースそのものをこの目で観るのが待ち遠しくて、わくわくするのだ。
もはやミヒャエルが勝つか否かは問題ではなかった。私を、心底楽しませてくれれば、それでいい。
レースを観ることと、彼を愛することとは、別もの。
年月を経て愛情は深まり、一方でレースに対しては冷静になっていった。ヘレスがひきがねとなったのか、以前から兆候はあったのか、今となっては判然としない。ヘレスの後も、気持ちは左右に大きく振れつづけた。必要以上に批判的になったりもした。ひとつだけ確かなのは、ヘレスの事件が私の心に一石を投じたという事実。ミヒャエルを想うとき、ミヒャエルを想う自分を考えるとき、どうしてもヘレスは避けては通れない。
どんなに好きでも、大切でも、認められないことが存在すると気づいた。
どれほど認められなくても、苦しくても、相手を大事に想う気持ちに変わりはないと知った。
たぶん、誰かを愛することと、その誰かを批判することは、相反するものではないと私はあのとき理解したのだろう。そして私は、記録者になろうと決めた。その走りも、その姿も、その眼差しも、その言葉も、その考えも、この目に焼きつけて耳で聞いて、記憶に書き留めようと。
彼ほど応援のし甲斐のないひと相手に、私のできることといえばそのくらいしかなかったから。

ミヒャエルが引退したら、私はどうするだろうと最近思いめぐらす。
決定的に何かが変わるだろうという予感がある。根本的には何も変わらないだろうという予測も立つ。
ミヒャエルがいなければ、今の私はなかった。彼を好きになって、きっと私は途方もないほどの感情の海と思考の波とを冒険する羽目になった。その、最大の波であるヘレスについて、私なりに纏めておきたいと思う。


 ■48周目、ドライ・サックでそのとき何が起こったのか
 ■事件後の反応
 ■ミヒャエル側の主張
 ■私の思い――当時と今と

  (上記タイトルはあくまで予定のものです。変更する可能性がありますのでご了承ください)


2004年丸一年をかけて、少しずつ、知りえた情報から導いた自分なりの答えのようなものを書いて行こうと思います。
亀の歩みですが、お付き合いいただければ幸いです。

2004年2月21日 真咲.




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