ヘレスの記憶 : 序




'97年ヘレスを境に、拳を掲げてミヒャエルを応援することを止めた。
やめよう、と決意したわけではないから、この言い方には語弊があるか。翌シーズンが開幕してみたら応援の仕方が変わっていたというだけのことだ。
勝利してほしくて、結果が怖くて、ドキドキしながらTVに向かうことがなくなった。ドキドキはする。けれどそれは不安によるものではなく、楽しみだからだ。いったい何をみせてくれるのか、ミヒャエルに限らず、レースそのものをこの目で観るのが待ち遠しくて、わくわくするのだ。
もはやミヒャエルが勝つか否かは問題ではなかった。私を、心底楽しませてくれれば、それでいい。
レースを観ることと、彼を愛することとは、別もの。
年月を経て愛情は深まり、一方でレースに対しては冷静になっていった。ヘレスがひきがねとなったのか、以前から兆候はあったのか、今となっては判然としない。ヘレスの後も、気持ちは左右に大きく振れつづけた。必要以上に批判的になったりもした。ひとつだけ確かなのは、ヘレスの事件が私の心に一石を投じたという事実。ミヒャエルを想うとき、ミヒャエルを想う自分を考えるとき、どうしてもヘレスは避けては通れない。
どんなに好きでも、大切でも、認められないことが存在すると気づいた。どれほど認められなくても、苦しくても、相手を大事に想う気持ちに変わりはないと知った。たぶん、誰かを愛することと、その誰かを批判することは、相反するものではないと私はあのとき理解したのだろう。
いま、私は記録者でありたいと思っている。その走りも、その姿も、その眼差しも、その言葉も、その考えも、この目に焼きつけて耳で聞いて、記憶に書き留めようと。彼ほど応援のし甲斐のないひと相手に、私のできることといえばそのくらいしかないのだから。

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『97年ヘレス』事件は、間違いなく90年代のF1を代表するスキャンダルである。だが、私には、どうしてあれほどに騒がれなければならなかったのか、が判らない。当時も混乱したし、今でも、ふと首を傾げてしまう。
接触事故そのものは、レースを見ていればどこにでもお目にかかれる程度の代物だった。それにチャンピオンシップが絡んでいたからといって、これまでに例がなかったわけでもなし、下位カテゴリーでだって起こる事態でもあり、冷静になって考えてみれば、あのひとがあそこまで叩かれねばならなかった根拠は意外と薄弱なのだ。
当時の私は、そこまで冷静にものごとを見られるほど余裕がなかったし、達観してもいなかったから、見事にメディアの戦略に乗せられ、一丁前に傷つき、落ち込み、その果てに開き直った。無責任に勝手な思惑でミヒャエルを信じこみ、裏切られたと悲しみ、しばらくは眠れない日々を送った。
以降、ずいぶん長い期間、いろいろなものに対して過敏になっていた、と思う。
2000年にミヒャエルがついに戴冠し、やっとすべてが吹っ切れた。闇雲に弁護するでもなく無闇に批判するでもなく、人々の意見を受け止められるようになった。図太くなった、のかもしれない。
そうして改めてヘレス事件を見直してみたら、思っていたよりこの現象は奥が深く、面白かった。当時の記述を読めばひとりのミヒャエル・ファンとして未だに胸が痛むけれど、社会現象としての『ヘレス』は、掛け値なしに面白い。
ヘレスに対する私個人の考えだけでなく、スキャンダルの全貌を纏めてみようと思い立ったのは、それゆえだ。

その全貌がどんなものにせよ、『ヘレス・スキャンダル』がF1の歴史におけるひとつのターニングポイントだったことは確かだ。
所詮は自己満足の分析(というか読書感想文?)ではあるが、最終的に、事件全体を理解するための鍵がひとつでも浮かび上がってくれば、冥利に尽きる。


前書きに代えて――2004年8月