サンマリノGPの雑記_
April 23 2006
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" Michael Schumacher, that is! " (これぞ、ミヒャエル・シューマッハーだ!)
  ------ www.formula1.com, live-timing comment


※オフィシャルサイトのライブタイミングで観戦しています。

これが、蝋燭が燃え尽きる寸前の煌きでも一向に構わない。
もう、思い残すことは、ない。

  * * *

レースを見ながらメモを取ることなど、ここ数年はめっきりなくなっていた。今回も、そのつもりはこれっぽっちもなかった。けれどそれは、虫の報せとか、そんな類のものだったのだろうか。15周目、ジェンスがピットインするタイミングで、私はふとメモ帳を手元に引き寄せた。
殆どがミヒャエルとアロンソのL/T(ラップタイム)で埋まった数枚の紙。私は後生大事にこのメモを保管するのだろう――これまでにメモしたミヒャの沢山のレースと同じく。

興奮が少し収まった火曜日、録っておいたDVDで地上波放映を見た。やはり、ライブタイミングで観てよかった、と思った。
映像で見ていると、すぐ後ろに付かれていても、さほど怖くない。勿論、追いつかれてすぐはドキドキするが、やがて視覚がその光景に慣れてしまう。
だが、タイミングモニタでは、距離感を目で測ることはできない。セクター毎、つまり数十秒の空白の果てに1周につき3回表示される数字と、ごく僅か――といっても地上波解説より数段情報は多いが――の実況レポートを元に判断するほかはない。
今回のGPは、レースのほぼ半分近くが、僅差でのL/Tバトルだった。コンマ以下の闘いは、目で見ても殆ど判らないものだ。タイミングモニタ上の闘いは、熾烈だった。34周目にアロンソがミヒャエルの後ろについて以降、両者の差が0.5秒以下だったのは実に17周に及ぶ。第1セクターでミヒャエルが0.1秒削れば、第2セクターでアロンソが0.2秒を奪い、第3セクターではミヒャがまた0.1秒取り戻す。毎周がそんなかんじで、私は息を詰めて真っ黒なモニタに小さな数字が表示される瞬間を見守っていた。その緊張感は、私をたまらなくさせた。

  * * *

SCが入った瞬間、マズイ、と思った。予選でPPを「獲りにきた」ミヒャエルは、順当に考えてアロンソよりも軽い。第1スティントで逃げてタイムを稼ぐ作戦であることくらいは、川井ちゃんがいなくたって判る。幸いSCはすぐに退いたが、これが念頭にあったため、マッサのペースが落ちたとき、フェラーリの魂胆がどこにあるのか簡単に見当がついた。
それまでマッサは、ミヒャエルに匹敵するとまでは言えないまでも、少なくともアロンソとは互角の好タイムで走っていた。第1セクターはミヒャより――コース上の誰よりも速かったし、12周目には25秒台半ばの自己ベストも叩き出した。それが、17周目のL/Tは、ミヒャの1:25.301に対し、1:27.209。2秒近く遅い。その1周前の自身のL/Tからも、丸々1秒、遅かった。急なトラブルが出たのだとは、全く考えなかった。マッサの直後にいたのがアロンソだったからだ。
地上波は、「マッサが遅いため結果的にアロンソの道を塞いでいる」(右京さん)と説明したが、違うだろう。マッサは意図的にアロンソを抑えたのだ、SCのおかげで確保できなかった距離をミヒャが稼ぐために。

たった1周程度のSCがどの程度、燃費に影響したのかは知らないが、このレース、ミヒャの燃費効率は周囲の予想を大幅に上回っていたようだ。地上波を見た限り、恐らく川井ちゃんの予想も裏切ったらしい(レース前の川井ちゃんのレポートでは、アロンソは25周前後、ミヒャエルは17〜18周目と予想していた。実際のタイミングは、アロンソがドンピシャだったのに対し、ミヒャは20周目だった)。2回目のピットストップタイミングを予測する国際映像も、ミヒャの1回目の所要時間から19周分の燃料補給をしたと判断したけれども、実際にミヒャが入ったのは43周目。そしてこの数周の差は、おそらくルノー勢にも誤算だったのではないだろうか。
2回目のピットストップ、もう入らなければおかしいはずのミヒャエルがなかなか動かない。痺れを切らしたルノーが先に動いた、そう見えた。34周目にミヒャに追いつくまで、アロンソはちょうど1分25秒台半ばを刻んでいた。ミヒャの第2スティントは平均して1分26秒後半〜27秒フラット。地上波は「他のドライバーも26秒台だから特別遅いわけではない」(右京さん)と言ったが、26秒の前半と後半では違う。明らかにミヒャは遅かった。追いつかれた34周目以降は、バトルが加わったためさらに27〜28秒台にまで落ちた。1回目のピットストップ直後のアロンソは、ニュータイヤで1分24秒後半〜25秒前半のタイムを連発している。先にピットインしてもミヒャエルをかわせるだろうと予測するのは、順当だった。
その1周に何が起きたのか、実はタイミングモニタが(このタイミングで!)フリーズしてしまったので、よくは判らない。モニタが復活したとき、ちょうどアロンソがピットから出てきた。直後にミヒャがピットインを済ませ、アロンソの前で復帰した。後日、"Autosport.com"のL/T分析を見て、仰天した。ミヒャエルはアロンソがピットに飛び込んだ直後、いきなり2秒近くL/Tを上げていたのだ。結果、ミヒャはピットイン前よりも若干の余裕――コンマ3秒程度だが――を持って、アロンソを抑えることができたのだった。
パット・シモンズ vs. ロス・ブラウン――かつての盟友の対決は、ロスに軍配が上がった。正念場のあの1周にミヒャとロスの間で交わされたであろう短い会話を想像すると、何とも言えない甘美な心持ちがする。

  * * *

最盛期のミヒャエルなら、この時点でもう私は心配しなかっただろう。だが、それこそ昔のミヒャエルなら、第2スティントで追いつかれるなぞという危なっかしい橋を渡ることもなかった。レースの始まりかたは、SCに水をさされはしたものの、勝ちパターンだったのだ。その流れを一度、手から零しかけた。そのことが引っ掛かっていた。
予選を地上波で見ていたとき、ルカ社長が「絶対に勝て」と言ったという話を聞いた。もしその発言のとおりだとすると、ミヒャエルにはそれこそ、勝つ以外の道がない。だっていつだって彼は、一旦コースに出れば、そのときにチームが要求するものを持って帰った。不可能に見えるギャップでも、大言壮語に思える勝利でも。それが、王様の神通力だった。
ミヒャエルの時代がとうに過ぎていることなど、誰に言われるまでもない。レーサーとしての彼の旬は1998年頃だったと思っている私にとって、昨今の皇帝凋落云々の話題は、何を今更と思わずにはいられないものだ。(その後の連覇は、マシンとチームの総合力の賜物で、ミヒャエル一人の力ではない。)
すなわち今のミヒャエルに、神通力は期待できない。だから、駄目じゃないかしら。いつまで我慢できるかしら。そういう、薄情なことを思って心の準備をしていた。
それでも、本心ばかりは誤魔化せなかった。
いつ、どこで、誰に負けようとも、全力で闘った結果なら仕方ない。その気持ちは昔も今も変わらない。けれど、チームが絶対の信頼で任せた仕事を完遂できないミヒャエルだけは、見たくなかった。「勝て」と言われたのに勝てないミヒャエルだけは。なぜならそのときこそ、私の大好きな王様が王様でなくなるとき、だから。

ライブタイミング上、先を争うように表示されていた二人のL/Tに異変が起きたのは、59周目だった。
思わず小さなガッツポーズが出た。


―――――――王様は、まだ、そこに居た。




 * オマケ: 地上波感想 *

ライブモニタ観戦のときには思いもよらなかったのだけれど、地上波ではオープニングから散々に1994年のセナの件を煽ってくれたおかげで、ミヒャを追うアロンソの姿に昔のミヒャを重ねずにはおれなかった。
私はもう、ミヒャはセナの呪縛からは解放されていると思っている(から地上波が喚くのには閉口した…)。今のミヒャは純粋にレースを楽しんでいるだろうと思っていた。一方で、前だけを見つめているアロンソが、とても羨ましかった。
本当ならミヒャエルも、こうやって、先代の抵抗を受けながら育っていくはずだった。しぶとい奴だ、もうさっさと隠居すりゃあいいのに、そんな憎まれ口を叩きながら、一筋縄ではいかないバトルを楽しめたはずだったのだ。初戴冠後の数年の孤独を思えば、アロンソの今は眩しすぎる。
羨ましくて……そして、少し、安心した。
あんな酷いことはもう二度と起こらなくて、いい。



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