ハンガリーGPの雑記_
Aug 6 2006
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"The last lap felt amazing. _I was loving it,
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I didn't want it to end, knowing I was on my way home to winning my first grand prix. " 
 ------ Jenson Button, at the Post-race Press Conference


※オフィシャルサイトのライブタイミングで観戦しています。

チェッカーの瞬間、脳裡にあったのは、「タイトル争いはプラマイゼロだし、欲を言えば1ptでも削っときたかったけど、まぁ仕方ないわね。最悪の状況だけは回避できたってことで。次、頑張りましょ。」
何が起きたのかをじわじわと認識しはじめたのは、PCの電源を落として、翌日の早朝勤務のためにシャワーを浴びている最中だった。日常そのものの水音を聞きながら、実は歴史的瞬間に立ち会ったのじゃないか、との思いが胸に染みわたるように広がっていった。


この勝利は、私にとってはほぼ同時期に始まった、ふたつの戦いに一区切りがついた――もしくはひとつ大きなハードルを飛び越えた、ことを意味していた。

1つは、ジェンス。在英時、出勤間際のBBCの朝のニュースに登場した彼の、若さゆえの不遜さに、好青年らしい笑顔のなかで野心を隠そうともしない眸に、一目惚れした。ちょうど、ミヒャエルが5年ぶりのタイトルを獲得した直後のこと。センチメンタルな懐かしさとともに、時代の変遷を初めて実感した、象徴的な朝だった。
私が彼に拘りつづけるのは、恐らくそれゆえだ。同世代の面子と比べて傑出した存在ではなくても、私は、私が、この子を見守っていきたいと思ったのだ。
もうあまり時間が残されていない、と書いたのは昨年。BARに残るという選択で自ら退路を断った彼は、この勝利でひとまず最初の、そして最低限の「credit」は確保した。遅すぎるという見解はあるだろう。棚ボタじゃないかという見方もあるだろう。肝心なのはこの後、これで一皮剥けることができるか否か、だということも重々承知。それでも今は、素直におめでとうと称えたい。手放しで、喜びたい。

2つめは、たまたま英国で人生の軌跡が交差したひとりのエンジニア。偶然が幾重にも重なって得た友誼だった。私にとっては人生の貴重なアドバイザーでもあり、仕事の分野は違っても、時に励まし時に励まされ、ともに自身の設定した目標をめざしてきた。その友人がこれまでどれだけ頑張ってきたかを思えば、今回の一勝は、たかが一勝とはとても言えない重さと嬉しさをともなう。
私はホンダというメーカーに特別の思い入れはないし、39年ぶりという数字にも実感は湧かない。だからこの気持ちは、純粋に友人に対する思いなのだろう。
月曜日の国際電話で、すでにどちらからともなく、「大事なのはこの次だよね」と口にしていたのが、ちょっと可笑しかった。戦場も戦い方もスタート地点も目的地すらも全く違うけれど、私にとって彼はかけがえのない「戦友」。願わくば、向こうもそう思ってくれていると嬉しい。


ここまで、本当に長かった。この先、また長い長い道程は続く。その道がどこへ続いていようとも、まっすぐに頭を上げて、彼らの歩みを見届けたいと思う。


  * * *


おもちゃ箱どころか、子ども部屋丸ごとひっくり返したみたいなレースだった。

土曜朝の時点で、ミヒャにとっては楽に勝てる展開になるはずだった。それを、自分のミスでわざわざ苦境を呼びこんだ。そこで終わってしまわないのがこのひとのこのひとたる所以で、予選終了時には、状況はほぼイーブン、ややミヒャ有利、という、見る者をハラハラわくわくさせるグリッドが出来上がっていた(あの段階で2人とも「終わり」だとは、世界中の誰も思っていなかっただろう)。
レースが始まってみると、ミヒャがタイヤ選択を失敗した――あるいはそれ以外に選択肢がなかっただけかもしれないが――のは目に見えて明らか。20周が過ぎた頃、私は「ミヒャのレースは終わった」と考えていた。ところが、ミヒャの本領発揮は、ここからだった。

どういうドライバーなんだろうと思うと同時に、それに応えるこのマシンって一体…と半ば呆れて、首を振った。機械には、物理的な限界が必ずある。それを無理に超えようとすれば、壊れるだけだ。もちろん人間にも限界はあるが、通常は人間が自分で限界だと思っている地点は実はストッパーのかかった安全圏にすぎないから、意識的・無意識的を問わず精神的にストッパーを外して、普段以上の力を出すことは可能(いわゆる火事場のナントカ的な)。ただ、機械にはその理屈は通じない。限界は限界、無理は利かない。
だから、ミヒャの巧さよりも何よりも、マシンの耐久性に私は感心したのだ。改めて考えてみれば、ミヒャのような無茶ばかりやらかす御仁を乗せてきた歴代のマシンというのは、やっぱりタダモノじゃあない。
おまけにその間、まずキミが止まり、SCが導入されて、アロンソとの差が劇的に縮まる。さらにあろうことか、アロンソがリタイヤ。
何てこと、一気にポイント差解消じゃないの。このひとの持つ運の強さに、知らず笑い転げていた。

とはいえ、そのタダモノじゃないマシンにもやはり限界はあった、ということだろう。幾らなんでも無理をさせすぎた。ミヒャは行けると思っていたかもしれないが、マシンがついていかなかった。そんな気がする。
よくない前兆は、感じていた。54〜55周めにジェンス、ハイドフェルトが相次いでピットインした時、トップで戻ったジェンスとミヒャとの差は10秒。後ろのデ・ラ・ロサとの差も、10秒程度だった。そして51周目にドライタイヤに履き替えていたデ・ラ・ロサは、ミヒャよりペースがよかった。4位で戻ったハイドフェルトとの差は、20秒以上。タイヤ交換だけなら、充分3位で戻ってこられる。アロンソ不在の折角の好機だ、敢えて無茶をして2位に固執せず、とりあえず3位を確保するという手もあった。
ミヒャはポジションに拘った。この「賭け」がミヒャの判断によるものだったことは、ロスとトッドがAutosport.comに語った言葉(※)によってはっきりしている。ミヒャはどうしてたった1ポイントを我慢できなかったのだろう? それは、彼の闘争心の強さを考えれば尤もなことにも思えるし、タイトル争いの趨勢を思えば、彼ほどのドライバーの判断としてとても奇異にも見える。
いくら抜き難いと評判のサーキットでも、1秒以上L/Tの違うマシン相手に10周以上踏ん張れるとは、私は到底思えなかった。だから、抜かれたときの感想は、「あーあ、それみたことか」だった。

一時は、凄いチャンスが転がりこんできたと喜び、次いで逃がした魚の大きさにがっくりきた。でも序盤の展開を思い起こせば、そもそもが落としていたレースだったのだ。兎も角も最悪の事態(アロンソ優勝、ミヒャ無得点)を免れただけでも、御の字と思うべきではなかろうか。
だいたいがこの週末、ペナルティを喰らった時点で、ミヒャのリズムは「狂って」いた。冷静さを欠いていたとも言えるかもしれない、要らぬ厄介を呼びこんでばかりだった。要するにこの週末は、結局のところ彼ら(ミヒャ&フェラーリ)の週末ではなかったということだ。
これが寄る年波というやつか、それともワンオフで、次回までに立ち直って来るのか。…どうも、私は昔ほどには彼らを信頼できていないらしい。
何にしろ、派茶滅茶なレース展開。そして私はそれを精一杯、楽しんだ。だから、まあ、こんな日があってもいいだろう。
(ジェンス勝ったしね)(結局はそこに戻る)

 (※)Autosport.comに掲載された別々の記事で、ロスは“we decided to leave Michael out on track on standard rain tyres”と語り、トッドは無線でミヒャに無理せぬよう呼びかけなかったのかと問われて、“No, we did not want to disturb him”と答えている。



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