モナコGPの雑記_
May 23 2004
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何はともあれ、まずはオメデトウと。
それから、オカエリナサイ、と。

チェッカーが次第に近づくその時分、私が思い出していたのは、かつて誰よりも鮮やかに華やかに自慢げに笑ってみせていたイタリア紳士の姿だった。勝たせてやりたいと思った。残り10周で映ったその男の横顔は、とてもいい表情をしていた。緊張感と、信頼と、祈りと、現実を見極める鋭さとを併せもった、懐かしい貌つきだった。
チェッカーまであと2周というところで、男が笑った。ああ、楽しいのだなと、久々のその感覚を楽しんでいるのだなと、嬉しくなった。あれから10年、髪は白くめっきり老けこんだ印象のあるひとだったけれど、今日の彼は、ひどく若く見えた。
いろいろと、疑惑も纏わりついて嫌な思いもさせられた。彼の言葉は信じられぬと明言もした。それでも、突き詰めればきっと私はこのひとが大好きだ。

お帰りなさい、フラビオ。

(あ、いちばん最初のオメデトウ(↑)は、ヤーノに対しての言葉ですよ)


* 以下、繰言。

トラブルだと思ったのだ、最初。サスかブレーキに異常が発生したのではないか、と。それが、単なる判断ミスだ、という。どちらの責任かなんてことはもはやどうでもいい。言いたいことは、同じなのだから。
「あんたらいったい何年F1乗ってるのよ!? F3の坊やたちみたいなコトしないで頂戴!」
一回目のピットストップに向けたスパートは、相変わらず目も眩むほどの勢いで、だから私はこのひとが好きなのだと再認識した、その矢先だった。脱力、した。

ITVのジェームズ・アレンのコラムは、さらりと「パドックで聞く現役・元ドライバーらの意見は概ね、シューマッハーに大方の責任あり」と触れただけだったが、インディペンデントのトレメインの分析はかなり辛辣だ。
「彼(ミヒャエル)の行為そのもの(ブレーキを暖めること)は間違っていない。ただ、どのように行ったのか、という点が問題なのだ。彼はセフティーカーが急にスピードを落としたと主張しているが、VTRを見る限りそんなことはない。最初モントヤに回避スペースを与えておいて、突然その鼻先にハンドルを切った。トンネルという狭い場所で、モントヤは行き場を失い、2台は接触したのだ。」
彼は、似たような先例がミヒャエルにはある、として筆頭に2000年モンツァを上げ、当時のバトン(煽りを喰らった)のコメントまで引用している。そして、「あのとき、シューマッハーは謝ったが、今回はその兆しすらない」と記事を纏める。
そもそも、書き出しからしてものすごい。かつてファンジオがセナを諭したという逸話を引き合いに出しているのだが、こんな顛末だ。
 「オーストラリアGPでファンジオがセナに言った。
 『きみは素晴らしいドライバーかもしれないが、立派なチャンピオンとはまだ言えない。』
 セナはこの言葉をひどく気にし、ファンジオの残した格言に適うよう、一生懸命努力した。その格言とは、
 『いつも最高のドライバーであるよう努力しなさい。でも、決して自分が最高だと思ってはならない』
 というものだった。
 もし、ファンジオがシューマッハーに忠告するとしたら、F1界のNo.1ドライバーの掘った墓穴の前に、何を話すだろうか。」


私としては、実はこの件がここまで騒がれるとは考えていなかった。ミヒャエルがたびたびポカをやらかすことは重々承知で、そのポカというのが普通では考えられないレベルの失態である確率が低くないことだって解っている。解らざるを、えなかった。そういうひとなのだ。だけど、何も、あの状況で、と思わなくはないが。
結局のところ、安全性云々を口にしつつ、本音はフェラーリの独走が止まったのが喜ばしく、ついでに「またやったな」という『いつもの攻撃』でしかないのだろう、というのが、各ソースを巡った後の感想。JPMとの対立構造も、いまさら外野が煽ることでもなかろ、というのが私のスタンス。

危険行為というならば、琢磨のブローのほうがよっぽど槍玉に上がると思っていたのだけれど、こちらは思ったより反応が鈍かった(記者会見でルビーニョが問題にしてましたが)。とはいえ、彼のエンジンがスタート直後から「論争を呼ぶほどに」白煙を上げていた、というトレメインの文章に、思いは透けて見える。トレメインはその結果として起こった事故についても、"an ugly incident"という表現を使っており、これは「醜い、見苦しい、不快な、物騒な」という意味。通常はあまりレースアクシデントに用いる表現では、ない。
私は、こちらについては、即座に止めるべきだったと考えている。どうみたって保たせられる症状ではなかった。モンテカルロの特徴からみても、吹けば後続の視界を遮るだろうことは十二分に予測できた。危険回避を怠った、ととられても文句は言えまい。
一方で、知人はこんなことを口にしている。「勝負している以上、完全に駄目になるまで走らせる義務も権利もある。素人にこの感覚はわからない。」

どの件に関しても言い分はそれぞれあるだろう。昔ならいちいち食ってかかったりもしたものだが、最近はそんなこともなく、黙って肩を竦めてやりすごすことが多くなった。
面白いレースが見られれば、私はそれでいいのだ。政治も駆け引きもF1のエッセンスで、そのこと自体を咎めるつもりはまったくないけれど、今はちょっとそこから距離を置きたい、そんな気分。
そして、楽しさだけで言うならば、今回のレースは面白かった。たとえご贔屓が壊滅状態(いやジェンスは2位に入ったけども)だったとしても、面白かった。

ひとつだけ分析っぽい内容を付け加えるなら、たとえあそこでミヒャエルがクラッシュしなかったとしても、優勝はヤーノのものだったと思う。戦略的には、ミヒャエルの勝機も充分ありえた。ただ、ヤーノの走りっぷりには、凄みがあった。こいつはやるな、という安定感があった。
彼自身が語ったように、"in general, the race was in my hands from the beginning."であり、"This was my weekend. Sometimes it is not, but this was my weekend, definitely."ということ、だったのだろう。


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