" Michael Schumacher was Lord of the 'Ring as he returned to winning ways at the European GP." ------ITV-F1.com ※映像では見てません。ライブタイミングのみの観戦。 勝ちに来た、と全身でアピールするような週末だった。ミスをした翌GPのミヒャエルは、誰も太刀打ちできない強さをみせる。きっと、これができなくなる時が、潮時だと、ずっとそう思ってきた。最近は、できなくなるのを待つこともなく、最強の名の下に幕を引く、ような気もしている。 彼は、意地の張り処を心得ている。無駄足は踏まない。どこまで計算でどこから本能なのかは知らぬが、効率という側面で彼に敵うものはいまい。同じ轍も踏まない。失敗は自ら取りかえすもの、誰の力も借りない。 「王の帰還」と、ITV-F1はレースレポートに題をつけた。たった一週間だけの『留守』だった。それは、昨年の夏にいろいろと腹を括った自分が、まるで道化に思えるほどに。 ルビーニョは、すっかり二回ストップが定着した模様。ミヒャエルに拮抗する速さを見つけ出せないなら、レースディスタンス通して最後に同じ位置、或いは二番手につけられればよい、そういう開き直りにも感じられるが、要するに自分なりの、自分向きの攻略法を見つけたということだろう。今後は、もっと安定して上位に食い込んでくるはず。要注意。(…と、こう考えるときの自分は、明らかに他チームの応援をしている。) * 今回の「何やってんですか。」 そのいち、ウィリアムズの2台。ライブタイミングは当たり前だが文字情報だけなので、おいおい、と首を振った。後日談を読んで、そりゃまあ仕方がないか、と。実際どんなだったか教えてくださる方募集中。(今更ですがね) そのに、マクラーレンの2台。今回は(珍しく)頑張ってるなと暖かく見守ってたんですが。新車、壊れにくいやつだといいねぇ。(っていうか誰かさんの、いっそ御祓いでもしてもらったほうがよいのでは、と思えるほどの運の無さっぷりにはそろそろ感心すらし始めてる始末でして…。) そのさん、琢磨。下記、参照。 * これが琢磨だ、といつまで言えるか。 笑っちゃうほど琢磨らしい展開。ライブモニタだけの観戦では、心地よい興奮と余韻に浸れたので、個人的には満足しつつ見終えた。が、後から情報を集めたり映像を実際に見た人たちの感想を聞いて、ちょっと考えが変わった。 琢磨のこれまでのレースっぷりは、私好みではない。少なくとも、私がF1に求めるものではない。これはもうはっきりしている。私は、何はともあれチェッカーまでマシンを持って帰るドライバーをこそ、評価する。レースはポイントを獲って何ぼだ。3位の座を捨ててまで仕掛けるのであれば、確実に上位を奪わなければならない。たとえそれが適わなかったとしても、少なくとも現状は維持せねば。特攻かまして自爆、なんてもっての外、なのだ。 ただ一方で、ああ、これが琢磨なんだよな、と納得している自分が、いる。これだからこそ琢磨なのだ。少しでも行ける、と思ったならその直感のままに突っこむ思い切りのよさ、絶対に譲らない負けん気の強さ、自分なら出来ると信じる意思の堅さ。いっそ潔くて気持ちいい。それが一般的に日本人ドライバーに欠けていると評されるものであればこそ、頼もしい。 ただし、その見方はレーサーとしての琢磨、を肯定するものではあるかもしれぬが、F1ドライバーとしての将来を考えてのものでは、ない。私は以前にも、琢磨の走りはF3っぽいと言っているが、それは私が英国で見た時分と走りの印象が同じだからだ。威勢のいいのがいるな、と、観客の口もとをにやりと歪ませるだけでは、物足りない。琢磨なら、もっと上を目指せるはずだ。そのためには、もっと待ちの姿勢を身につけなければならないのではないか。 ジェームズ・アレンのコラムを読んで、この思いは強まった。彼は、初めて琢磨に会った2000年のマカオGPを回顧して言う。「琢磨は週末を通して誰よりも速かったが、予選でナレイン・カーティケヤンに負けた。レースでは優勝しようと気張った彼は、1コーナーでクラッシュした。それまでの自分のキャリアで最も重要なレースだったにもかかわらず、彼は我慢が効かなかったのだ。」 「ジョーダンからF1に参戦した年も、同じような印象だった。今年は克服したかに見えていたのだが、そうではないことがはっきりした。彼のほうがバトンより年上なのに、バトンのほうが経験もドライバーとしての成熟度も上だというのは、皮肉なものだ。」 これはアレンの個人的見解であり、パドックの総意ではないが、少なくともそのように受けとめる向きがある――おそらく少なくはない――ということは確かだろう。 他方、インディペンデントのトレメインのように、琢磨を認める発言もある。曰く、「彼はまたしても名を上げた。真のレーサーここにあり、と人々に思い出させるに足るパフォーマンスで、おそらく未だ洗練されてはいないとはいえ、ショーを盛りあげた。隙を見せれば、彼は付け入ってくる。もしシューマッハーが同じように仕掛けてみせたなら、誰もが賞賛したことだろう。」 「彼のコンパクトで断固とした性格が何人かのドライバーを酷く苛立たせているのは当然の帰結だ。 …(中略)… そんな彼のスタイルを見ていると、ジョディ・シェクターを思い出す。」 トレメインは記事の中で、デイヴ・リチャーズはもとよりトレバー・カーリン、ピーター・コリンズなどの発言を引いて、琢磨を高く評価している。 でもね、と、皮肉屋の私は思うのだ。自爆も厭わぬ決断力を、琢磨らしさだと、いつまで笑って見ていてくれるかな、と。 * もしも話。 レースに"たられば"は禁句だけれど。 キミがいなかったら、もっと接戦になっていたに違いない。二進も三進も行かない現状で最善を尽くしたキミを、邪険に扱う気はまったくなく、後ろにずらりと従えて久々に上位を堅守する彼の姿は、応援したくなるものだった。それでも、ミヒャエルとのラップタイム差は歴然。彼が消えた後、後続のペースが上がったことからも、彼が栓の役割を果たしていたことが判る。ロン・デニスは期せずしてたぶん一番勝たせたくない奴らに手を貸してしまったというわけだ。BARもこれに戦術を狂わされたようで、積載燃料量からも、もっと楽に表彰台2箇所確保はできたはずだった、と悔しげだった。 そのBARの一角、琢磨は、もう一周ピットインを伸ばすことは可能だっただろうか。そうすればルーベンスの前に出られていたと思うのだ。そうしてもしルビーニョの前を抑えていたなら、無理なパッシングもなく、ノーズ交換もなかったことになる。もっとも、限られた周回数で必ずきっちり安全圏までタイム差を確保してくるドライバーなんて、私はひとりしか知らないけれど。そして、どちらにしろ琢磨のエンジンは、時間の問題で壊れる状態だったようだけれど。等と言っていたら、横から合いの手。「ライコネンに抑えられなきゃ前に出れたよ。」 …結局はそこに話が戻るらしい。 要するに結局はスタートが肝心だったという、オチ。