久々に心からレースを楽しんだ。
冷静に考えれば、それどころの状況ではなかったかもしれぬ。けれど私はシューマッハー家の家庭の事情など与り知らぬ状態で、序盤の兄弟バトルに固唾をのんだ。
そのまま弟が勝っても構わないと思った。同時に、ここで勝てなかったら兄の運もこれまで、と酷薄に考えた。そしてまた、最後に勝つのは兄だろうと、漠然と予感してもいた。
これほどミヒャエルの純粋な強さを実感したレースは、近頃では稀だ。昨年どれほど勝利を積み重ねても、レーサーとしての彼個人の強さを、私はほとんど感じられなかった。
今回ばかりは、文句のつけようがない。彼は強かった。勝つべきレースで、きっちり勝った。
どんな裏事情よりも、その事実をこそ、誇りに思う。
一世一代、或いは、一期一会。そんな言葉が、脳裡に浮かんだ。
* * *
彼は、はたしてレース中に家のことを思いめぐらしただろうか?
私にはそうは思えない。余計なことを考えている状態で走って勝てるほど、F1は甘くないと思うからだ。
あくまでこれは私の想像にすぎないが、きっとグリッドについたあと、遅くともレッドランプが点灯しはじめた時点で、レース以外のことは彼の頭から消えていたのではないだろうか。
だから、私が彼を 彼ら兄弟を賞賛するのは、ああいう状況の下で走ると決断した覚悟と、実際の走りっぷりに対してであって、走ったことそのものについてではない。地上波は散々に彼らの心情を語っていたが、BBCでは、表彰台やインタビューを免除された、という話のついでに説明があっただけだった。
彼らは、プロだ。決断を下すまでどれほど悩んだかは知れぬ。けれどいったん心を決めたら、迷わず為すべきことを貫徹する。
すべてを振り払って目の前のレースに集中できないのであれば、最初から走ろうとはしなかっただろう。
ぶっちゃけた話、彼らの家の事情など、私には爪の先ほども関係がない。そりゃ、彼らの気持ちを思えば暗澹としないわけではないけれど、いざレースを見るとなれば、それとこれとは別。あの日、私は純粋にミヒャエルの走りに驚嘆し、喜んだ。
レース前に彼の表情を見ることがなかったから、できたことかもしれない。BBCの放送の最後と、地上波の放映開始時刻が被っていたため、私は迷わず前者をとった。ひさしぶりにドイツ国歌を聞いて歌って、その興奮をひきずったままTVの前に向かったら、ちょうどフォーメーションラップが始まるところだった。
だから、彼の表情を知ることができたのは、パルクフェルメ以降。
ぎくりとした。
* * *
結局、私がもっとも恐れていたことは、杞憂に終わった。34歳のイモラ、は何事もなく 私が心配していたようなことは何事もなく、過ぎた。
それでも、おかえり、は、まだ言わないでおこうと思う。
世の中には、非常の時に、力を発揮するひとがいる。今回の彼は、それに分類することもできる。
非常時だったから特別だったのか、強い彼が本当に戻ってきてくれたのか、その判断は次戦以降に持ち越しだ。
ひとつだけ、とてもとても嬉しかったことがある。予選後のミヒャエルのインタビュー。
「追いかける今の立場のほうが実は居心地いいんだよ」
そう言い訳しながら、表情をふとほころばす。
そう、私もずっとそう思ってきた。追いかけているあなたは、何よりうつくしい。
はにかんだような笑顔は、はじめて見るようでいてどこか懐かしく、愛しかった。
* * *
ミヒャエル、素晴らしい走りを見せてくれて、どうもありがとう。
スペインでは、心置きなく声をあげて笑おう、ね。
(ラルフ、君も頑張ったよね。おつかれさま。)
※私がGP前に何を恐れていたか、はこちら。
(幸い的外れな杞憂に終わりましたが)
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