今回の勝利はフェラーリにとって50戦目の連続ポディウムだった。
この連続表彰台記録、実は1999年マレーシアGPにスタートしたもの。あのときも、彼は圧倒的に強かったが、以来向かうところ敵なしだ。全63勝のうち、28勝がこの期間に達成されている。
ある意味、あのマレーシアはターニングポイントだったと、今にすれば思う。あの後、ミヒャエルが『チームプレーに頼った』姿を見た記憶が、私にはない。フェラーリはチームオーダーを事ある毎に適用するが、2000年以降の彼は、おそらくそんなものがなくても勝ってこられたのではないだろうか。
もっとも、これは彼だけの功績ではありえない。移籍5年目にして、チームが彼の要求に応えられる道具をつくれる素地を得たということだ。幾多の最高の技術が、これ以上ないほど綺麗に噛みあった、その結果が今日のフェラーリ。
レースを愛する私は、真紅のペアの独走を少々苦々しく見守っているけれど、彼らが嘗めてきた辛酸を思うとき、胸の奥にどこかしら暖かな想いが生まれる事実は否めない。
私の好きな走りをミヒャはもうしない、する必要もない。彼はただ、マシンと自分の限界を極め、楽しむだけでいい。
苦しんで苦しんで苦しんで、のたうちまわった末に辿りついた無敵の境地で、「マシンと一体化するとき、僕は本当の僕になれる」と微笑む。
それを想うこの気持ちを、人は愛しさと呼ぶ。
* 格の違い。…というか、大人気のなさに呆れた話…(黙)
予選・レースともに、フェラーリの(というか、ミヒャエルの)強さが際立ったが、フェラーリを除けばMIユーザーの圧勝だったのだという事実は、ジェームズ・アレンに指摘されてはじめて気がついた。(James
Allen's Race View, ITV2002)
予選ではジャック・ヴィルヌーヴの12番手が、レースでは同じくジャックの8位が、フェラーリ以外のBS勢の最高位だ。アレンは、「ミシュランは本当にいい仕事をした。しかしそれでも、上位陣には何の変化も見られなかった」と書き、続けてパトリック・ヘッドの次のような弁解を紹介している。
「実際問題、うちのクルマは去年のやつより2〜3秒も速くなってるんだ。だから、うちが努力してないわけじゃない、たとえフェラーリに1秒以上置いてかれてるとしてもね。」
マシンの潜在能力に限りのあるチームは、タイヤひとつでがらっと様相が変わることもあるが、トップチームはセッティングの可能域を広くとれるから、小手先の作業にはさほど影響されない。それはフェラーリも同じで、たとえタイヤがマイナス要素だったとしても、彼らのクルマ(とドライバー)はそれを補って余りあった。
結局のところ、総合力の優るチームが前を行く。加えて、ただ走り去ればいい先頭と違って、ウィリーやマックはお互いで潰しあう羽目に陥る。苦闘するライバルチームを横目に、ミヒャエルは序盤から次々とファステストを更新し続けた。AutosportもThe
TimesもThe
Independentも、『格の違い』を強調した。
誰もお呼びじゃないんだ、と見せつけるかの如き――Autosportは『お手本』と評した――走りっぷりに、TVの前で「大人気ない〜っ」と喚きながら、そう野次を飛ばせる嬉しさを噛みしめていた。
ポールを獲って1コーナーを制覇することの重要さを。
* 目にとまったこととか気になったこととか。
@BMWのエンジン。いいトラクションをしているな、と感心していた、JPM vs マクラーレンs。
Aバス・ストップで一生懸命ヤーノを抜こうとするラルフ。あそこ、パッシングポイントだったっけか?
B難しい作戦を選んだフィジコと、ジャックのバトル。ケメルストレートエンドは、いつもドラマの舞台になる。最後のブローは勿体なかったが、たとえマシンが壊れなくても、1ストップが成功したかどうかは怪しいところ。
* スパの記憶
いちばん強烈なものをあげよ、といわれたら、即座に浮かぶものが3つ。95年、98年、そして2000年だ。
何が印象的だったのかといえば、以下の通り。
95年はいわずもがな、我らが王様が16番手よりスタートして、濡れた路面をスリックで踏ん張り、レインを履いたヒルを抑えきったこと。レ・コム〜マルメディのカメラ映像を見ると、いつもあのシーンを思い出す。私が何の疑念も不安も持たず、ただミヒャだけを見つめていることができた最後のレースだった。
98年について誰もが思い出すのは、次第に激しさを増す雨のなか、周回遅れのDCにいっそ見事なまでに突っこんで自爆した挙句、逆切れしてマクラーレンに殴りこみをかけた王様の姿だろう。…いや自虐しているわけではなく
(何しろその瞬間「よっしゃ殴りこみだぁ!」と語尾にハートマークまでつけた。→私)、安全圏まで他者を突き放しながらも安心できず、何かに追われてでもいるように飛ばす彼の姿が、目に焼きついているだけの話。
このレースは、スタートで12台がスクラップと化す大事故にはじまり、ジョーダンのデイモン・ヒルが2年ぶりに優勝し、チームオーダーに納得できないラルフがそのヒルをファイナルラップのバス・ストップまでつつきまわすなど、イベントの多いGPだった。
2000年、私にとってもっとも鮮烈だったのは、ケメル・エンドでのミカのパッシングではない。無論あれも素晴らしかったけれど、それよりもミカの予選での山下りに固唾を飲んだ。『山を制すものはスパを制す』というフレーズをどこかで耳にしたことがあるが、このときのミカはまさにそのとおりだった。
今年のGPを、後になって私が思いかえすかどうかは微妙だ。映像に捉えられることも、誰と競うこともなかった。
ただ、コメントなどを読んでいて、ミヒャはきっと本当に楽しかっただろうと推察する。誰にも邪魔されることなく、心行くまで愛車との対話に興じた。ミヒャとマシンと、塞ぐもののない視界だけが前方に広がっていた。
たぶん、2002年ベルギーGPは、彼にとってレースではなく、ただのドライブだった。
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