● ルノー・ファクトリー探訪。

ウィリアムズでもマクラーレンでもなく、ルノーのファクトリーを訪ねようと思ったのは、ひとえにその場所がかつてベネトンのファクトリーだったからだ。
今はもうないそのチーム名は、思えば私の青春そのものだったかもしれない。若いチームだった。若さという名のエネルギーがありとあらゆるところから溢れているような、勢いがあった。その中心に、あのひとが輝いていた。それが、私にとっての"Benetton Formula Ltd."だった。

Whiteways Technical Centre, Enstone, Chipping Norton, Oxfordshire, OX7 4EE

ベネトン・ファクトリーの住所ならば、今でもソラで書ける。英語が苦手科目だった当時、あのひとにファンレターを出すために一生懸命なぞった。何度も書き損じたから、覚えた。不要となってからも、忘れられなかった。
いつだったか忘れたが、日本の雑誌がファクトリーの取材に入ったことがある。緑の芝に半ば埋もれるような背の低い白壁と、茶色い煉瓦の塀とが、とても素朴でうつくしいと感じた。いつか行ってみたい。地図の上をなぞり、夢みるうちに、チームそのものが消滅してしまった。
だから、探しに行ったものは、夢の名残。

普通に地図を見て載っている場所ではない。インターネットの地図で、住所から場所を割り出し、プリントアウトしたものを実際のロードアトラスとつき合わせた。チッピングノートンはオクスフォードからA44を北西に行った町。エンストーンはその道程の5キロほど手前の村。しかしファクトリーに行くには、エンストーン強い風に翻る、旗。の更に手前で田舎道に入る。英国の田舎道は道標もほとんどなく、一歩間違えれば完全に迷う。それでも、なんとかなるだろうと思ったのは、どういうわけだか絶対に辿りつけるという確信があったためだ。どういうわけか、は、わからない。


英国についた日、宿までドライブする途中に立ち寄る計画を立てた。ヒースローを出たのが夕方5時、普通に高速を走って宿まで約3時間、それをオクスフォードから下に降り、国道を抜ける回り道。
時間が押していたので、正しい道を進んでいるのかいまいち不安を押し隠して、ひたすら車を飛ばした。森を抜け、川を渡り、とんでもなくド田舎の集落を過ぎ、どれほど行ったろうか。そろそろ見えてこないとおかしい、そう戸惑いはじめた頃に、ふいに風にたなびくルノーの旗が目に入った。
車を止める。外に出る。3本のポールに翻る黄とグレーの旗を見あげ、そして振りかえった。
看板。かつてはここに"Benetton"と刻まれていた。雑誌で見た煉瓦の塀が、そこにあった。

かつて"Benetton Formula Ltd."と控えめながらセンスのよいデザインで刻まれていたそこには、"RENAULT F1 "の名が飾られていたが、その向こうに白い建物が見える。塀の傍によって覗きこめば、メインエントランスが遠目に窺えた。

しばしの間、ただただシャッターを切った。薄曇の空はまだかろうじて明るく、この空をあのひとも見たのだろうかとそんな感傷すら浮かぶ。そのうち、いつまでも去る気配のない東洋人女性ふたりを不審に思ったか、はたまた単に呆れてか、門の脇の管理人小屋からおじさんがひとり姿を表した。
どうやら熱烈なルノーファンだと思われたらしい(笑←でも当前の誤解)。手招きしたおじさんは、もうひとり建物の中にいたおじさんと相談しながら、ポスターやらカードやらいろいろとお土産をくれた。確かに嬉しかったし、有難うという言葉に偽りはなかったのだが、微妙に後ろめたさが…(苦笑)
ふと、かつてこの国に住んでいてあちこちのサーキットを単独行した頃のことを思い出した。独りは寂しかったけれど、それでもサーキットにいる間は楽しかった。はじめて顔を合わすチーム関係者やカメラマンたちは気さくで優しかったし、二度三度と訪問が続けば顔見知りとして向こうから声をかけてくれたりもした。だから、何度でも行きたいと思ったのだった。

正門遠景。右端の建物が管理人小屋。
宿には夜10時までに着くと連絡を入れていた。近くに電話はないから、約束は違えられない。去りがたい気もしたが、見るべきものがもう残っていないのも事実だったから、おとなしく宿に向かうことにした。
私が訪ねたかったのは、かつての、ミヒャエルがいた頃のベネトンのファクトリーだったのだと気づいたから。
もう、この世のどこにもない。実際にその場所を訪れてみて、実感した。場所は同じでも、あの頃の熱はもうそこからは感じられなかった。その名残すらも。記憶の中にだけ生きている、熱気だった。この地に居を構えるチームが今後どれほど活躍しようと、おそらく私はこの地を再び訪れることはあるまい。ルノーが嫌いだというわけではなく――あれほどに、あそこまでひとつのチームに丸ごとのめりこみ、スタッフのひとりびとりまでそのすべてを愛しく思うことは、もうないような気がするのだ。

ベネトン・フォーミュラワンは、私の青春だった。ファクトリーに背を向けて車に乗りこんだとき、私は私の青春にさよならを告げた。



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